ゼロスは日中結い上げていた髪を解いて、砂にまみれて絡まっている髪の毛を解くために少々乱暴に櫛で梳いた。
メルトキオで贅沢三昧の暮らしをしていたころには考えられないことだが、本日は風呂に入れないらしい。
自分の髪に悪戦苦闘しているゼロスは女性陣よりもその事実にショックを受けていた。
もうシルヴァラントの神子御一行様の監視役の名目で旅を始めてからしばらく経つし、野営にだって戦闘にだって二〜三日風呂に入れないのだってなれた。
いや、彼にとっては慣らされたに近いのかもしれないが、とにかくもうそんなことを気にするような段階はとうに超えていた。
が、今回は話が別だ。男としては長い髪を持つゼロスにとって砂漠は天敵だった。空は晴天、然れども砂嵐、そんな中を歩き回ったせいで、
どれだけ髪を梳かしても違和感が抜けきらないうえに、座っていた白いシーツの上には砂の粒と自分自身の深紅の髪の毛が意味もない模様を描いていた。
その悲惨さに溜息をつくと、髪の代わりに砂まみれになった櫛から砂埃を払い落としてもう一度、櫛で梳かしだす。
「だからトリエットは嫌なんだよ…」
普段よりも低い声色は、言葉通りの心底嫌そうな雰囲気をかもし出していた。
ゼロスの髪だけではなくて、今晩宿泊する部屋自体も何処か埃っぽく、窓を開けて換気をしたい気分になるが、
それをしてしまえば部屋中が砂だらけになるであろうことがゼロスには容易に想像できた。
やっぱりトリエットとは相性が悪いと肩を落としていると、木製の安っぽいドアが二回ノックされて、大げさなくらい揺れる。
ゼロスが返事をしようと砂っぽい空気を吸い込んだところでドアが開けられて、本日同室のロイドが入ってきた。
ロイドは珍しく手袋を外していて、色白な手にはタオルが握られている。
「ロイドくん、返事する前にドア開けちゃーノックの意味ないでしょーが」
「返事がないからいないのかと思ってさ、悪かったな」
一応は謝っているものの、その口調には悪びれた感じがなく、形式上の謝罪なんだろうということを言外ににおわせていた。
ノックもないのに部屋に入るなんて、ロイドと俺さまはやっぱり育ちが違うなぁと思っていることに、
のん気に洋服の砂埃を払い落としているロイドが気づくはずもないだろう。
「べーっつにいいけどね。女の子の部屋に入る時には気をつけたまえよ、少年」
ぼふっ、という音を立ててすぐ隣のベッドに座ったロイドは、ゼロスのベッドの上の惨状を見て眉を顰めた。
ロイドも同じように自分の髪に手を伸ばすと、ゼロスのものよりも硬いそれはゼロスと同じようにごわごわとした埃っぽさを伴っている。
先ほどまでいたコレットとプレセアの部屋と同じような状況になんだか自然と頬が緩んで笑えてきた。
微かに声を出して笑うと、隣のベッドのゼロスが怪訝な表情をロイドに向ける。
「どうしたの、ロイドくん。俺さまが一生懸命髪を梳いてる姿を凝視して笑うなんて。麗しい俺様に見とれるならわかるけど、笑う理由はよくわかんねーな」
「さっきまでコレットとプレセアの部屋にいたんだけど、おまえが二人とまったく同じようなことしてるもんだからおかしくってさ」
「髪が短いロイドくんとは違って、繊細な俺さまの髪のお手入れは女の子と同じくらい大変なんですー。むしろ髪は女の命なんですー」
何処か拗ねたようなゼロスの声に、おまえは女じゃないだろと言いながら、ロイドはまた笑った。そうして、手に持っていたタオルをゼロスに投げ渡す。
投げられたそれを反射的に受け取ると、濡れてひんやりとしているのがロイドと同じく手袋を外しているゼロスの手のひらから伝わってきた。
「なにこれ?」
「コレットとプレセアがさ、風呂に入れないならせめてってことで、濡れタオルで髪を拭いながら櫛を通してたんだよ。
で、おまえも大変なことになってるんだろうと思ってもらってきた」
髪が多いから二枚もらってきてやったんだぞとかなんとか言いながら、座っていた姿勢から上半身を倒してベッドに倒れこんだロイドの横で、
ゼロスはなんとも言えない複雑な心中に言い訳をするように、つまらない教科書の例文を諳んじている気分でロイドくんたらやさしーんだから、と混ぜっ返す。
これは誰しもが考え、ゼロス自身も計算した上での彼らしさだった。
なのに、そのふざけた口調と反して、俯き加減のスカイブルーの瞳には縋るような色合いを映していた。
駄々をこねる幼子のような無邪気さではなくて、くだらない感傷を追い払うように埃っぽい頭を左右に振ると、ベッドに仰向きに寝転がっているロイドを見る。
「ねー、ロイドくん」
「なに」
「後ろのほうがさ、うまく梳けないんだけど、頼んでもいいかな」
飽きっぽいけれど、退屈を紛らわしてくれることが大好きなロイドは頼みごとを二つ返事で承知すると、寝転がっていたベッドの上から跳ね起きて櫛を受け取り
ゼロスの背後に陣取った。
「ハニーの髪とは違って繊細なんだから、むちゃくちゃ引っ張って抜いたりしてくれるなよ」
「おう!まかせとけ!!コレットの髪を結ったりしてたから安心しろ」
本人が申告した通り、、がさつなイメージを持つロイドからは考えられないほど丁寧に慎重に、細い猫毛に櫛を通していく。
ロイドならば力ずくで櫛を通そうとして、頭皮を無理矢理引っ張られるんじゃないかと考えていたゼロスには拍子抜けだった。
「いたって普通過ぎて、面白くないんですけど…」
ロイドの邪魔にならないように注意しつつ、いつもは上げている前髪を濡れタオルで拭いながら不満の声を上げると、
櫛を通すのを中断してベッドの上に放置してあったもう一枚のタオルで深紅の髪を拭っていたロイドが首を傾げる。
ちなみに、髪を拭うその動作も、いたって丁寧なものだった。
「こんなことに面白いとかあるのかよ。嫌ならやめるけど」
「いーえ、いーえ。まさかそんな、恐れ多くも我らがロイドくんが俺さまのために髪を梳いてくれてるのに、断るわけがありませんよ。
でも、本当に丁寧だなあと思ってさー」
「だからコレットにやってたって言ってるだろ」
「うんまあそうなんだけどねー。じゃあ、さっきもコレットちゃんにブラッシングしてあげてたの?」
「ああ、頼まれたからな」
「ふーん。じゃあプレセアちゃんにもしてあげたりしたわけ?」
「へっ?プレセアも大変そうだったから手伝ったけど、駄目だったか?」
「いやー、ロイドくんったらやっぱり誰にでもおやさしーんだからー。俺さま嫉妬しちゃうよ、ほんとにー」
ゼロスは間延びした台詞の中で気づかれないくらいにだけれど、誰にでもという一説を強調したつもりだったが、当のロイドは気づくことなく、
なんか癪だけど俺なんかよりもゼロスのほうがもてると思うから気にすることないだろ、などというまったく見当違いなことを言っていた。
たぶんコレットはいまの自分と同じような複雑な気分を、プレセアの髪をブラッシングしているロイドを見つめながらいだいていたのだろうと、
ゼロスは軽く頭をかかえてしまう。
「頭なんてかかえて、悩み事か?」
櫛についた砂粒をベッドの隣に置いてあったゴミ箱に払い落としていたロイドは、頭をかかえているゼロスを心配そうに覗き込む。
なんでもないと言いながら距離が近いロイドを押し返すと、ゼロスはもう一度だけ肩を落として溜息をついた。
「ねー、ロイドくん」
「なに」
「今日一緒に寝ようか」
「まあ、同室だからな」
自分が言いたいことがまったく伝わっていないとしか思えない切り返しに、ゼロスはがくりと肩を落とす。
「いやいやいや、そういうことじゃなくてですね。一緒のお布団で寝ませんかということなんですけど」
一息で言い切ったゼロスにロイドは少しの間機能停止したように動作をとめて、やけにゆっくりした瞬きの後に自分が腰を下ろしているベッドを見つめた。
「風呂はいってないから汗くさいと思うぞ。だいたい俺とゼロスじゃあベッドが狭いだろ」
どこかずれている発言のような気がしないでもないが、それよりも自分とロイドじゃなくて誰と一緒ならばいいというのだろうかと問いただしたい気分になった。
だがそれはただの杞憂みたいなもので、ゼロスに向けられる、イセリアとかいう片田舎で純粋培養されたロイドのなんの疑いもない澄んだ鳶色の瞳には、
自分が邪推するような類の意味は含まれていないのだろうと結論付ける。
「砂漠の夜は人肌が恋しいんですー」
「それを俺に求めるな」
「でひゃひゃ、細かいことは気にしちゃ負けだぜ、ハニー!」
「うーん。羊を数えて本当に眠れるかっていう実験に付き合ってくれるならいいぞ」
「えっ?」
まずゼロスはどこから突っ込むべきなのかよくわからなかった。十七歳にもなって羊を数えるんですかとか、
いやそんなに軽いことで一緒に寝ることを許しちゃっていいんですかとか、だいたいあの渋りようの後でこの軽さはよくわかんねぇよとか、
ていうか男は狼だから気をつけなさい(それは女の子限定だけど、ロイドくんは特別!)とあの親馬鹿天使に言われなかったのかとか、
もう本当にどうでもいいことがゼロスの頭の中を駆け抜けていく。
なかなか返事をしないゼロスに痺れを切らしたロイドは、意外にも逞しい肩を掴んでかるく揺すった。その振動にあわせて、紅い髪がひらひらと舞う。
「なんだよ、おまえから言い出したんだろ」
「いいの?」
ゼロスはうんと小さく頷いたロイドが愛しくて堪らなく思えてきて、体ごとロイドを振り返って目の前にある体を抱きこむとそのままベッドに倒れこんだ。
やっぱり倒れこんだときに砂埃がたったけれど、この部屋に足を踏み入れた時とは違い、まったく気にならなかった。
おやすみなさい、よいゆめを
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おはよう、すてきないちにちを
「おやすみなさい、よいゆめを」と「おはよう、すてきないちにちを」から、続きのようなものにとべます。
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