全部全部、捨ててやろうかと唐突に思った。それをきっかけにして皆本の中に通り雨のように激しい衝動が湧き上がってくる。手にしていた資料をゴミ箱にでも突っ込んで、このまま仕事のデータをすべて捨て去ってみたらと頭の中で思い描く。その酷くあまやかな開放感に、無意識に唾液を嚥下した。そしてはたと、正気にもどったようにデスクに突っ伏して、ぐしゃぐしゃと自分の髪をかき乱した。うるさいくらいの静寂が耳元に飛び込んできて、一瞬自分が考えていた、己らしくない思考を捨て去るようにちがうと言葉にする。いったい何がちがうのかなんてよくわからなかった。それでも、これは皆本光一という人間らしくはない。じゃあと問う。皆本光一とはいかなる人間なのかと。それを熟知しているはずの自らの記憶や感性の引き出しをひっくり返しても、そこには矮小な人間がぽつんと立っているだけだ。こんな自分に何ができる。なにもできやしない。いっそ全部、いやちがう。堂々巡りに陥りそうになる自分をしかりつけるように拳を握って手のひらに爪を立てた。だがそんな些細な痛みは、瞬きの間に消えていってしまう。皆本光一は、皆本光一の周りにいる人間が求めるのはこんな人間ではない。それだけは、よくわかっていた。これでは駄目だ。これでは。目を閉じ耳を塞ぎノイズが走る外界を遮断する。無心になろうと皆本が導き出したのは、己を理解するよりも簡単に解き明かすことができる数字の羅列。そこにはなんら特別なものを必要としない、知識欲という快楽があるだけだった。いっそ自分もそんな世界に同化することが出来たならと考えかけて打ち消す。その繰り返し。疲れているんだ。たぶんそうだろうと、大根役者のような不自然さでもって自分に言い聞かせる。皆本光一は疲れているだけなのだと。すると、不意に、本当におまえはしょうがないなあと、皮肉げな笑みを浮かべるくせにそれでもやさしく受け入れてくれるぬくもりを思い出す。そして後押しされるみたいに、おもむろに立ち上がった。たぶん、皆本のなかにある疲れという言葉が医者へとリンクして彼を思い出したのだろう。それでもいい、いまはただ無性に賢木修二という人間にあいたくて仕方がなかった。