こんなところであえるなんて運命みたい。次のデートまで修二にあえないと思ってたから私うれしい。俺もだよ。なかなか予定あわなくてごめんな。またちゃんと時間作るから。うん、全然いいの。お仕事忙しいんでしょ。気ばっかり遣わせてごめん。その優しさに本当に救われてる。ありがとうな。修二、私……。
 磨き抜かれた窓から見える空は今日も空は抜けるように青く、雲はマシュマロみたいに柔らかそうだ。梅雨入り宣言がなされたばかりだというのに、一向に雨が降る気配はみられない。まとわりつくような湿気だけが梅雨を感じさせた。そこに乗っかるようにさらにどろりとした鬱陶しい会話が右から左へ流れていく。一つフォローをするとしたら、盗み聞きをしているわけではなく、書店の雑誌コーナーを冷やかしているところで、賢木が女性に捕まり真横でこの会話を聞かされているのだ。大人しそうな女子大生じみたその外見は、あまり賢木の好みのタイプじゃないように見えたのだが、女性の方は賢木にずいぶんとご執心らしく、自然と賢木との距離を詰め上目遣いのその目元を朱に染めていた。
 しかし、一ついいたい。
 お嬢さん、残念ながらその運命は本日二回目ですよ。ここにくる前のCDショップでも同じような運命がおこったんです。もちろん、あなたあいてにではなく。
 料理雑誌を棚に戻して次の雑誌に手を伸ばすついでにちらりと視線をやると、賢木が余計なことは言うなよとばかりに僕のわき腹をつついた。そんな気を回さなければならないなんて嘆かわしいにもほどがある。もう少し清廉潔白なお付き合いはできないのか。どうせなら、ここで一人の哀れな子羊を救うために真実を教えてあげようかと思ったときに、賢木が申し訳なさそうに僕を顎で指した。
「悪い。今日はこいつとの仕事の途中なんだ。もう、職場の方に戻んなきゃいけなくて」
「そうなの……?」
 初めて僕に気づいたとばかりに視線をくれた彼女に、軽く黙礼する。だがそれ以上の発展性はなく、彼女は寂しそうに賢木の手を握って、甘えるように修二と彼の名を呼んだ。
「また、連絡待ってるね」
「ああ。じゃあな」
「バイバイ」
 行くぞと、何故か僕まで引っ張られて店を出るとこになったのだが、その間も彼女は名残惜しそうに手を振っていた。僕まだ欲しい本を見てないんだけどと責めるように言うと、もっと品揃えのいい本屋に連れてってやるからと小声で返されて、そのまま駐車場に止めていた車まで連行されてしまった。
「で、僕たちは非番のはずだけど、バベルに行くのか修二さん?」
 乗り込んだ車の中。意趣返しのように彼女が連呼していた名前を呼んでやると、運転席でシートベルトをした賢木が真ん丸に見開かれた黒茶の瞳で僕をみた。ぽかんと口を開けたその表情に、なんだか居たたまれなくなってくる。
「な、なんだよ」
「おまえやめろよ。いまぞわってした」
「はぁ?」
 賢木の言っている意味が分からずに首を傾げると、自分の体を抱いた賢木が半袖から露出している腕を暖めるようにこする。
「おまえに修二って呼ばれると鳥肌たつ」
「どういうことだよ!」
 余りに余りすぎる暴言に声をあらげると、本当のことなんだから仕方ねぇだろ開き直られてしまう。何故友達の名前を呼んだだけでこんな不当なことを言われなければならないのか。納得がいかない。いやならもっと呼んでやるよと、意地にもなってくる。
「修二、修二、修二、修二」
「うわぁ、やめろこそばゆい」
 僕を止めようとするみたいに伸ばされた手から逃れるように身を引いて、酷いじゃないか修二と駄目押しみたいにいってやった。すると、それならばと意固地になった賢木が、助手席の座席に手を突いて僕をのぞき込んで口を開いた。
「光一」
「ひっ!」
 耳朶に触れたぬるんだ呼気。低く掠れた声音が鼓膜を揺らした。聞き慣れた賢木の声のはずなのに、それを正常な感覚が拒否するみたいに反射的に体がふるえた。
「気持ち悪い」
 しみじみとただ感じたままを吐き出す。賢木が気持ち悪いとかではなくて、とりあえず気持ち悪い。
「俺の気持ちがわかったか」
「ああ。悪かった」
 攻撃を仕掛けてきた賢木の方が苦痛をこらえるように口元を覆い、僕の謝罪を受け取るように重々しく頷いた。たぶんこれは、お互いに深い傷しか負わない。
「だいたいおまえ、光一って感じじゃねーし」
 座席に背中を預けて伸びをした賢木の言葉に思わず同意してしまう。
「たしかに。おまえも修二って感じじゃないな」
 第三者が聞けば悪意ある言葉に聞こえそうなものだが、名前の否定などではなく、僕にとっては賢木は賢木でしかないということだった。たぶん賢木がいいたいのもそういうことなのだろう。
「とういわけで皆本クン。次の本屋へ行きますか」
「運転頼むよ、賢木」
「りょーかい」
 訳もなく顔を見合わせて笑う。車のエンジンを入れてアクセルを踏んだ賢木は、やっぱ皆本って感じだわと、感慨深げに言う。車の振動に身を任せながら、きみだって賢木だよとその名を口の中で転がした。





13・06・14
13・07・17