いつもは広々としているリビングの中央に、まるでこの場の支配者であるとでもいいたげな存在感でなにかのパーツと思わしきものが転がっていた。そしてその隣では、学術書を紐解くような真剣さで、薄い紙っぺら一枚と向き合っている男が一人。眼鏡の奥の鳶色の瞳で一字一句読みおとすことのないように熟読している。だが、その紙に描かれているのは文字というよりもイラストが大半で、更にくわしく言うのなら、彼の目の前に鎮座している木の板だとかネジだとかを組み立てるための説明書だということが見て取れた。
「そういう組み立て式のってしっかり組み立てとかないと、のちのち歪んだりしそうじゃねぇ?」
 怖いくらい真面目な表情で説明書と向き合っていた皆本を見守るようにソファにだらしなく腰掛けて背もたれの部分に肘をついていた賢木が、面倒そうだなと欠伸をかみ殺して言った。だが、それを歯牙にもかけないで手にしていた説明書を床へと置いた皆本は、綺麗にそろえられたいくつかのパーツの中から、イラストと見合わせながら間違いのないように合致するものを選び取っていく。
「プログラム組んでみたり、リミッター作ってみたり、ECM開発したりしてる皆本にかかったらこんなの楽勝だよな」
 一向に返事を返そうとしない皆本に痺れを切らしたように、賢木が気を引こうとする犬か何かのようにぼすぼすとソファの背中を叩きながら話しかける。だが、その努力も空しく、手にしていた板を本棚の外枠の形になるように並べていた皆本は、賢木の存在を完全に黙殺してしまっている。
「なー、皆本ってばー」
「うるさい、黙ってろ。集中がそがれる」
「えー、そんなつれないこと言うなよ。もしかして怒ってるの?」
 怒ってないよねと言外にする軽さを伴った賢木の言葉に、天板になると思わしきものを手にしていた皆本の動きがとまる。板に添えられていた白い指先はふるふると震えているのに、発条仕掛の人形のような不自然さで賢木のほうを振り向いた皆本の表情は莞爾とした笑みを浮かべていて、完璧な比率のそれは無表情に近いものを感じさせた。それを見た賢木は、だらしない笑みを浮かべていた口元を震わせて、み、皆本クンと引っくり返った声で彼の名前を呼んだ。
「僕は工学部出身だから、家具の組み立てくらい出来ないとおかしいんだよな?」
「え、いや、そんなことはおもわねぇよ?」
「男だから、これくらいできて当然なんだよな?」
「ジェンダーフリーのこのご時世、男だからとか女だからとかにこだわるのは無粋なやつのすることだろ?」
「じゃあ、きみはずいぶんと無粋な人間のようだけど、僕の勘違いかな」
 にこりと口元を綺麗な三日月型にして首を傾げた皆本に、賢木の肩がびくりと揺れる。次の言葉を探すように視線をさ迷わせ言い訳を必死に探している子供みたいなその表情には、やっちまったと分かりやすくかいてあった。これは長期戦になりそうだとでも言うかのようにため息を漏らしてやっぱり怒ってるだろと問いかけた賢木に、すまし顔の皆本は僕が怒るようなことを君はしたのかいと返すだけ。この態度で怒っていないとしたら、むしろどういう感情の動きがあるんだよと声を大にして問いかけそうになったが、これ以上火に油を注げば己がつらくなるだけだろうと何とか飲み込んで、ご機嫌斜めの友人のご機嫌を取るためにソファから立ち上がった。
 皆本が説明書と睨めっこをするのは本日四回目。既に、三回パーツを組み立てることにチャレンジし、三回中三回ともうっとりするほど見事に本棚らしきものを倒壊させてしまっているのだ。一度目は組み立て途中で。二度目は組み立て終わってから。三度目は以下同文。朝から皆本に付き合っていた賢木は、本棚が崩壊するたびに腹を抱えて笑い、ついには皆本の堪忍袋の緒をブチ切れさせてしまった。一度目は笑う賢木に苦笑していた皆本であったが二回目あたりから少々雲行きがおかしくなり、三回目にいたっては射殺さんばかり一瞥をくれたまま黙り込んでしまった。そして現在四度目。もはや賢木の存在を完全無視してしまっている。途中まではそんな皆本をからかって遊んでいた賢木ではあったが、そばに置いてあった金槌片手に笑顔を引っ込めて無表情で見上げてくる友人の姿をみれば、己が踏み抜いた地雷がどれほどに危険なものであったかを自覚せざるをえなかった。
 皆本の隣にしゃがみこんだ賢木は、逃れるようにそっぽを向いた皆本の肩を掴んでその顔を覗きこんだ。しかし、賢木と和解するつもりはないという意思表示の代わりに、それを腕で押しやった皆本は黙々と目の前の本棚のなりそこないを完成させる作業に向かう。しかし、パーツの配置は完璧なのだがそれを組み合わせる作業になると途端にどうしても噛み合わせが悪いというか、上手く形にならないのだ。本人も三度の失敗でそれを学んでいるのだろう、もどかしそうに何度も何度も上手い具合にいく角度を探すように試行錯誤を繰り返している。それを見た賢木は、ため息混じりに皆本の補佐をするように手を伸ばした。
「なんだよ」
 いつもよりも低い声音は、賢木を敵視していますと声高にしている。少しだけ据わりが悪そうに視線を逸らした賢木は、悪かったよと小さく呟いて、いいから手伝わせろとぐいっと皆本に軽く肩をぶつけて距離を縮める。
「こういうのは、一人でやるから途中で歪んだりするんだよ。二人でやればなんとかなるだろ」
「じゃあ、最初っから手伝えよ」
 やり返すように皆本が賢木の二の腕あたりに肩をぶつける。それを受け止めた賢木は、手にしていた板を握り締め、黒茶色の瞳に真剣な色を宿してじっと皆本を見つめて口を開いた。
「俺はがんばってるやつの邪魔をするようなまねはしたくないんだよ」
 物は言いようを体現するような、自己弁護。それを堂々と口にするものだから、なんだか正しいことを言っているような印象を受けるが、付き合いの長い皆本は舌先三寸の賢木に騙されることはない。即座に否定する。
「笑って楽しんでたくせに」
「もういいだろいつまでも過去に囚われてないで。機嫌直せよ」
「べつに怒ってないから直しようがない。賢木の気のせいだ」
「気のせいってな。まあ、おまえがそういうならいいけど」
 強情な皆本に諦念を感じさせるようにぼやいた賢木は、皆本が丁寧に床に置いた説明書を空いているほうの手で引き寄せて次の工程を確認する。特別高度な技術を要求されているわけではないそれを、何度も失敗してしまう理由が理解できなかったが、いまここでご機嫌を損ねてしまえば、さらなる延長戦にもつれ込むのは自明の理だ。賢木が最後まで読了して説明書を戻して顔を上げると、皆本が真っ直ぐに賢木のことを見つめていた。何事かと首を傾げると、言い辛そうに視線を泳がせて咳払いをする。
「どうかしたか? 心配しなくてもちゃんと完成すると思うけど」
「いや、そうじゃなくて、その」
「なんだよ」
「まあ、僕もちょっと大人げなかったかなって、思っただけだ」
 僅かな冷却期間と思うよりも真剣な賢木の横顔に心を動かされたのだろう。皆本は、眼鏡の位置を直すようにつるを持ち上げ、ごめんと小さく呟いた。謝っているのに、最後のプライドを死守するように少しだけ唇をとがらせた皆本。だがその素直じゃない子供っぽい反応に賢木は思わず笑ってしまう。すると、なんだよと不服そうに鳶色の目を細めて皆本が賢木の頬を引っ張った。支えるものが無くなった木の板がバタンと大げさな音を立てて倒れる。そこに賢木の笑い声が重なった。クスクスと楽しげな笑い声を上げる賢木に、皆本はぎゅっと頬を抓りあげる指先に力をこめる。ギブアップを告げるように賢木が痛い痛いと自分の頬を抓っている皆本の手を引っ張った。
「笑うな!」
「わかった。わかったから、手ぇはなせって」
 両手を挙げて無抵抗を示した賢木をあやしむ視線を向けながらも、皆本はしぶしぶ頬を解放する。賢木はようやく自由になった自分の頬を労わるように手を当てて、死ぬかと思ったと適当なことを口にした。まるで子供の喧嘩のようだと賢木は思った。だが、子供たちの前で見せるよりもおさなっぽい皆本の表情に、二人のときにだけ許された甘えのようなものを感じる。乱暴すぎるきらいのある甘えではあるが、こういうのも悪くないなとまだ痛みの引かない頬を撫でて、少々刺激的なそれを誤魔化した。








13・06・05