センセイ、本当のところはどうなのよと、砂糖をこれでもかとばかりにまぶしたようなおさない声が鼓膜にべっとりとはりつく。作ったような優しさが、彼女のそれが上辺だけのものでしかないことを声高にしていた。あと、いままでの経験則として、紫穂ちゃんが満面の笑みを浮かべるのは、その毒牙を隠そうとするときなのだ。
 さっきまで質問を受けていたはずの数学の問題は、すでに些末なこととされてしまっているのか、この問題の解法をノートのうえにつづり出すはずのシャープペンシルはまだ柔らかく幼い指先でもてあそばれているだけだ。
 そこに追い打ちをかけるように薫ちゃんが、異国の地に二人きりでなんもないわけないよね若さ故の過ちみないなと、すでにあきてきたと思わしき漢字の練習ノートをほっぽりだして、俺の肩に腕をかけてのぞき込んでくる。この思考回路は女子中学生にはあるまじき、中年男性のようなものを感じさせるというのは、俺の見方がおかしいのだろうか。
 目の前で英語の問題に決闘を挑んでいたはずの葵ちゃんは、落としにかかった飴役の取り調べ担当のごとき慈悲深く訴えかけるような穏やかな笑みをたたえて、俺の目の前にコーヒーを差し出す。
「そんな急になんてあかんて。まず、これでも飲んで落ち着いて」
 落ち着くもなにも四面楚歌もびっくりのこの状況で、どうしたらリラックスしてティータイムなどとしゃれ込めるのか。慈愛の眼差しの奥に、狩猟者のごとき鋭敏さを隠した三対の瞳が、俺を撃ち抜いていく。
 黙秘権を掲げるように黙り込んでいると、重々しいため息をついた紫穂ちゃんが、整えられた丸い桜色の爪に視線を落としてあまり人のプライベートに土足で踏み込むようなまねはしたくないんだけどと、悲痛な面もちで緩く頭をふった。なにも知らなければ、苦痛の伴う作業を強要されているのだろうかと、哀れさされ感じて庇護欲をそそられるのかもしれないが、いかんせんいつも土足どころかノックついでにドアをぶち抜く勢いで透視してくる幼きサイコメトラーを前にすれば、そんな感慨など微塵もわいてこない。己らの武器を熟知している女に老いも若きも関係ないのだ。
「あのな、おまえらはいったい俺と皆本になにを求めてんだよ」
 完全に有罪であることを前提とした尋問に反旗を翻るように舌打ちをすると、視線を交わらせてうなずきあった三人はテレパシーなど使えないはずなのに何らかの意思確認を完了させたらしい。なんだ、俺をどうやって八つ裂きにするかでも考えているのか。どうせ逃げられぬことなど分かっているから、頬杖をついて人権の何たるかを念頭になど置いていないであろう取調官を見回すと、白々しいと顔に書いてある三人娘が詰め寄ってきた。
「べつに求めてるわけじゃないけどさ、むしろそういう事実があったら相応の制裁を考えてるけど、センセイだったら皆本になんかこう、してそうじゃん?」
 眉根を寄せて腕組みをして首を傾げた薫ちゃんが、なぁと確認をとるように他の二人に視線をやった。なんかこう、してそうじゃんという言葉ですべてを察したらしい葵ちゃんと紫穂ちゃんは、無言のままに俺を見据えてくる。三人の頭の中ではいったいどんなドラマティックな出来事が思い描かれているというのか、思春期の多感な想像力におののくほかない。
「さっさと言っちゃいなさいよ。やったの? やってないの? もったいぶるほどのことでもないでしょ」
「し、紫穂! さ、さすがにそんなはっきりきくのはあかんて!」
 しびれを切らしたように指先でテーブルを打ち付ける紫穂ちゃんに、わずかに頬を赤くした葵ちゃんがあわてて止めに入る。だが、すでに尋問のスイッチのはいった紫穂ちゃんは、いまさらかわいこぶったって仕方ないでしょと、味方にまで口撃をふるった。やはり女は怖い。
「参考までに、そんなこと聞いてどうするんだ」
 俺を置いてヒートアップしていく三人に、呆れ半分恐れ半分。これから身に降りかかる事態を懸念して意見を求めると、三人を代表した薫ちゃんが口を開いた。
「敵を減らすにはまず味方からっていうじゃん?」
「そんな格言聞いたことねぇよ! 味方減らしてどうすんだ! 謀反だろ!」
「違うわ。反逆者をあぶり出し、事を平和に治めるためには、痛みを飲み込んで味方を疑うことも必要ってこと」
 もっともらしく嘘を吐き出す紫穂ちゃんに、さすがの葵ちゃんも苦笑いをしているが、止めに入るような気配もない。おい、ここには正気の奴はいないのか。てか、なんでこういうときに限って皆本は洗濯物を取り込みに行ってんだよ。
「あんま隠し立てする方があやしいんやないの?」
 目を細めて手にしていたシャーペンを握りしめた葵ちゃん。黒曜石の瞳には完全に疑惑の色が浮かんでいる。薫ちゃんもやっぱりと呟いて口元を覆った。この反応は確実になんかすごいストーリーが作り上げられている。
 コメリカでの俺たちの生活なんて、青春小説もびっくりの清らかなものだったとういのに、こいつらどんだけ薄汚れたフィルターを心の中に飼ってんだよ。恋は盲目にもほどがあるだろ。皆本に近づくやつは全員飢えた獣か何かなのか?
「ねーよ! なんにもねーよ! 一緒のベッドで寝ようが、風呂はいろうが、二人で旅行しようがなんもねーよ! ありませんでした!」
 思わず前のめりになって無罪を主張すると、俺の訴えを無に帰すように三人が固まった。
「旅行にいって一緒に入浴して添い寝したと。そういう解釈でいいのかしら」
 厳かに口を開いた紫穂ちゃんが、薫ちゃんと葵ちゃんの顔を見た。二人は深々と頷いて冷え切った瞳で俺をみた。
「そこまできたらやることなんて一つだよね」
「せや、皆本はんがセンセにけがされはったなんて信じたくあらへんけど、ここでセンセがいなくなったら全部なかったことになるんとちゃうやろか」
 え、この雰囲気おかしくね?
 一つ一つ個別の出来事が知らぬうちに集約されてるうえに、ありもしない解が導き出されてるんだけどそれどんな公式だよ。
 この世の真理に行き着いたように凪いだ表情をした三人が、すっと静かに立ち上がり、まるで宿敵かなにかのように俺を見下ろしてくる。あ、これはやばい。出席してるのに欠席裁判だわ。
 おい! 皆本! 洗濯物とかいいから、はやく戻ってこい! 





13・05・22
13・05・26