世の中では、というよりも僕の目が届かないところもしくは目の前で堂々と、乙女だとかお母さんだとか、男として不名誉な称号を与えられているということは知っていた。確かに、中学生の女の子三人に手玉に取られたりもてあそばれたりしているのも事実。だが、だが、だ。僕だって男だし、普通に恋愛感情をもって普通に恋をしているわけだ。ちょっと普通じゃないのは、相手の性別が自分と同じところだが。あと、相手が恋愛に関して百戦錬磨の手練のせいで、僕が一歩踏み出す前に、相手が三歩ぐらい先を行って手を広げて待っていてくれるのだ。それをあいつは、当然だという顔をして行うものだから、いつの間にか僕はその状況になれて、もしかしたら甘えてしまっていたのだろうか。愛されていることが当然と考えてしまっていたのだろうか。こんなことを考えているなんて、我ながら、恥ずかしさの極みなわけなんだけれども。
ちがう。僕が恥ずかしいとか、恥ずかしくないとか、論議の焦点はそこではないのだ。まず何故こんな思考に至ってしまったのか、話はそこからだ。
昼間、バベルの社員食堂。出来るときには弁当を持ってきたりしているのだが、最近は朝あわただしい日が続き、ここにお世話になることが多くなっていた。無駄に予算を割いているせいか、味もメニューも悪くない。ただ一つ欠点といえば、昼食の時間になるとフロアにひしめいている社員が一挙に押し寄せることだろうか。
今日も今日とて人波にもまれながら、食堂の端で和食定食などというものを食べていたりしたのだ。朝から続く戦いに小休止を入れるように、みんな好き勝手なおしゃべりに興じながら楽しいランチタイムを過ごしている。
特に女性のおしゃべりなんてものは、いくつになっても盛り上がって仕方ないらしかった。相席になった僕の周りも、最初の謙虚さをどこかに置き忘れてきたようにもう僕の存在を空気か霞に近いものとして、きゃあきゃあと盛り上がりをみせていた。お題はもちろん恋愛。どうして彼女たちは、二人以上集まると、愛だの恋だのを議題とするのが多いのか。この件に関して統計をとり研究論文をまとめたらそれはそれで面白いことになりそうだ。
僕の考えるよりも何歩も上手を行く女性陣の話を聞き流しながら、焼き魚に箸を入れる。正直、男の僕がいる前で、あまりこう、夢を破壊しつくすような話題は避けていただきたいのだが、これこそが僕が乙女だとか夢見がちといわれてしまう所以なのだろうかと、その哀れな懇願もちょっと塩のききすぎた焼き鮭と一緒に飲みこんだ。
最近、彼がつれないの。えー、結構長く続いてるんでしょ。だからよ、なんかもう隣にいるのが当然みたいに考えられてるのかな、扱いが適当っていうか。もう少し私のこと省みてくれてもいいんじゃないって思うんだけど。まさか、浮気なんてって考えちゃったりもするんだけどね。あやしいところでもあるの? そういうわけじゃないけど、会う時間も減ってきたし。じゃあ、余計なこと考えるのやめなよ。人間悪いほうに転がり出すときりないよ。それは、重々承知してるんだけど、すきとかいってくれなくなったの。そういうとここまめな人だったのになあ。そろそろマンネリとか。かもね。なんかこのまま惰性みたいに続くのか、惰性になる前に空中分解しちゃうこともあるのかなあって考えてたら憂鬱になって来ちゃって。そんなところで、賢木先生に声かけられて揺らいじゃってるの?
別に聞き耳を立てていたわけではなく、自然と耳に入ってきていた彼女たちの会話に突如として現れた聞き覚えのある名前に、口に含んでいた味噌汁を噴出しかけた。なんとか堪えて嚥下して、咳払いで誤魔化す。まさに寝耳に水。突然の賢木の名で、またおまえはよそ様で迷惑を掛けているのかと今すぐに殴りかかりたい気持ちになってきた。いやそれ以前に、もう女の子とは過剰に遊びませんって誓いをたてたよな。あれを忘れたのか。いやでもと、手にしていた箸を握り締めて深呼吸を繰り返す。その間にも彼女たちの話はヒートアップしていた。賢木に声をかけられたというのは嘘ではないらしく、少し誇らしげに頬を上気させて、でもそれはちがうのと否定する。
別にそういう意味で声をかけられたわけじゃなくて、偶然話しかけられてなんだか盛り上がっちゃって、今度よかったら食事にでもって流れになっただけなの。本当に。でも、最近賢木先生、特定の相手が居るのかあんまりナンパしなくなったって話だから、それで声かけられるってことは相手と上手くいってないのかしら、もしかしたら望みありなんじゃない? 彼氏に黙ってればわからないんだから、ちょっとチャレンジしてみたら? でも、それって悪いじゃん。
まだまだ際限なく続いていくお話に水を差すようで申し訳ないが、その特定の相手という僕の観点から物申させていただけば、残念ながら上手くいっていないなどということはありませんし、それなりに円満な関係を継続させていただいているはずだ。
なんだかすっきりしない。いままで美味しかった食事も一気に味気なくなってしまって、そのままご飯をかきこむと、早々と席を立った。これ以上は彼女たちの話を聞いていたくなかったからだ。
とまあそんなことがあったのだが、珍しく渦中の人物と職場で一度もすれ違わず、賢木に事実関係を確認する時間もなく、もやもやとしたものを抱えたまま帰宅するにいたった。
今日は賢木がうちで食事をするという話だったから、久しぶりにゆっくりできると楽しみにしていたはずなのに、気分は急転直下。疑うわけでも、信じていないわけでもないけれど、あいつはプレイボーイだし、女の子大好きだし、すごくもてるわけだし、ほんの少しのきっかけがあれば、男なんかよりも女のほうがいいじゃんと夢から覚めてしまうこともあるかもしれないのだ。その可能性にいたって、このような一人で悩んだって仕方のないことをぐだぐだと延々考えてしまっている。
はあとため息を吐き出して、食事の終わったテーブルの上を拭く。すでに夜も遅く、チルドレンたちは夜更かしは美容の敵だとのたまう賢木に引率されるように寝室へといってしまった。そろそろだろうかと手にしていたフキンをキッチンで水洗いしていると、欠伸をかみ殺しながら賢木がもどってきた。
「おーい、ガキども寝かしつけてきたぞ」
「ご苦労様。どうする? お酒飲むならなにか作るけど」
「いや明日も仕事だし、遠慮しとく」
「昼からだっけ」
「ああ、診療が入ってるんだ。おまえは非番だろ」
うんと頷くと、また掃除がはかどるなと揶揄するように笑われてしまった。こう気分が晴れないときは掃除をするに限るので、賢木のその言葉を否定することは出来ない。何をするでもなくソファに腰掛けてテレビを見ている賢木を観察してみても、普段と違うところもおかしいところもない。それどころか、いつもよりも機嫌がいいような。
これは新たな恋を見つけたが故のご機嫌なのか、それともちょっと自意識過剰ではあるが僕と一緒にいられて楽しいのかどちらなんだろうか。判断に苦しむ。頭の中では昼間に聞いたあの女の子の声と、話がぐるぐる回っていて、そろそろ暗唱できてしまいそうだ。リピートがかかるたびに、油汚れみたいに薄汚いものが僕の中にこびりついていく気がする。この汚れは、現実世界の掃除で少しはましになるのだろうか。
もしも、もしもではあるけれども、賢木が新たな恋を見つけるという意味で女の子に声をかけたのだとすれば、そこには何か理由があるはずだ。それは彼だけの問題じゃなくて、僕にも関連がある。恋愛は一人じゃ出来なくて、二人ではじめて成り立つものだから。そこでまた、最近彼がつれないの、すきって言ってくれないしという彼女の言葉を思い出す。確かに僕も、忙しいとかチルドレンがとかそういう理由にかこつけて、賢木を蔑ろにしていたんだろうか。
おまえラテンの血が入ってるんじゃないのかってくらい恋愛に対して前向きな賢木は、すきだとかあいしているだとか恥ずかしげもなく口にして、僕に気持ちをぶつけてくる。だが僕は、あまりそういったことが得意ではない性分なので(もしかしたら、これも賢木からみたら言い訳でしかないのかもしれないけれども)、わかりやすく言葉にすることは避けてきた。じゃあ態度にして表してきたのかといわれると、それはそれで、いつも賢木が先手を打つように僕に全てを与えてしまう。キスしたいと思うと、いつの間にかキスされてるし、セックスだって、そういう雰囲気に持っていくのはいつだって賢木だ。
あれこれってと考え出すと、僕って実は、賢木に対して全然気持ちを伝えてないんじゃないだろうか。はたと気づいたその事実に、手にしていたフキンをぎゅうぎゅうと硬絞りしてしまう。
「皆本、おまえなにしてんの。さっきからすごい勢いでフキンを絞ってんだけど、それなにかの儀式?」
「えっ、いやこれは違って! というより、急に声をかけるな!」
「名前呼んだのに返事しなかったのはおまえのほうだろ」
突然覗き込んできた賢木に、大げさなくらい肩を揺らして一歩引いてしまう。僕の反応に怪訝な表情をした賢木は、出しっぱなしにしていた水を止めて、ついでにシンクに投げ出したフキンも、広げてもとあった場所に戻してくれる。ありがとうと、呟くと、べつにいいけどと気のない返事が返って来た。
「ずっと心ここにあらずだけど、なにかあったのか? 透視したほうがいい?」
胸のあたりで、ペンダントトップの変わりにつけられたリミッターが揺れる。僕がチューニングしたそれは、たしか賢木の誕生日にプレゼントしたものだ。確実に僕たちの間には積み重ねてきた時間があるはずなのに、付き合っている人と上手くいってないんじゃないかしらというノイズが走る。
「たいしたことじゃないんだ」
「にしては、憂鬱そうだけど」
ただおまえが浮気してるのかなって考えてるんだよなんていえなくて、いつも嬉しそうに僕を映す黒茶の瞳から逃れるように、胸元で揺れているリミッターを視線で追った。すると、それを厭うように賢木の浅黒い指先が僕の頤を掴んで無理矢理視線を上げさせられる。ぶつかったその表情は案外真剣なもので、切羽詰った声で名前をよばれた。ちがう、そんな顔をさせたいわけじゃないのにと、何でもいいから安心させるようなことを言おうとしたはずなのに、その言葉を押さえ込むように賢木の唇が僕の額に触れた。あたたかいそれは額から頬に落ち、かさついた指先が僕の唇をなぞる。皆本と、鼓膜を揺らす声音に、つめていた息を吐き出す。
駄目だ。駄目。また、流されてしまう。これじゃあいつまでだって僕が与えられるばかりで、賢木の気持ちを受け止めるばかりで、浮気されたって文句は言えない。だから、逞しい胸を押し返して、指先の体温を追うように近づいてきた賢木の唇から逃げる。真ん丸く見開かれた賢木の瞳は揺れていて、呆然としているようだった。そこに封じ込められているのはどんな気持ちなのだろうか。知りたくなんてなかった。
「い、嫌とかそういうのじゃなくて!」
畳み込むようにぐっと賢木の肩を掴んで、僕から唇を重ねる。ちょっと勢いをつけすぎて、歯がぶつかって痛いんだけど、それどころじゃない。へっとか、えっとか、なんだか混乱している賢木を覗き込んで、深く息を吸い込む。
「すきだ、あとあいしてる!」
ええいままよと吐き出した愛の言葉のようなものが、キッチンに響いた。意味をなしているはずなのに、組み立てる前のブロックみたいにばらばらな印象を受ける。思ったよりも大きかったそれは、リビングから聞こえてくる芸能人たちの笑い声を打ち消すように、残響する。あとを追うように、羞恥心がせりあがってきて、頬が熱く今すぐどこかへと逃げ出したくなってくる。これを平気で繰り返す賢木は、いったいどんな鉄壁の精神を持ち合わせているのか。その精神修行は並大抵のものではないだろう。
「あれ? 賢木?」
なれないことをしただけでも居た堪れないというのに、僕の告白を受け止めてくれるはずの賢木が油の切れた発条仕掛のようなぎこちなさで動きを止めて、ただただ僕を見つめていた。長い睫が影を落とし、落ち着きなく目が泳いでいる。大丈夫かと軽く頬に触れると、びくりと体が揺れて、そのまま一歩後ろに下がっていく。瞬いた黒茶の瞳は何かを探すようにさ迷っていて、何故だか口元を覆った賢木は、そのまま逃げるようにキッチンを飛び出していった。僕に残されたのは、ごめん、ちょっとコンビニいってくる! という勢いのいい叫びだけ。
えっ、ちょっとこれってどういうことなんだ。そのごめんは、僕のすきだとかあいしているという言葉にかかっているのか、というよりもなんでいまここでコンビニなのか。何がどうしてこうなっているのかわからずに、とりあえず、水滴の漏れていた蛇口をもう一度閉めなおして、シンクの縁に手をつく。歪んだ白銀色にぼんやりとした僕の顔が映りこんでいるが、いったいどんな表情をしているのかはよくわからなかった。
一人残されたキッチン。もしかしてと思ってリビングのほうをのぞいてみたが、賢木の姿はなくただ何が面白いのかもわからないような番組が映し出されていた。取り残された僕の神経を逆なでするようなそれを消して、少し前まで賢木が座っていたソファに勢いよく腰掛ける。テーブルの上には賢木の財布が残されているんだけど、あいつ本当に何しにいったんだ。
がたがたとすごい音がして、勢いよくリビングのドアが開け放たれた。もちろんこんな時間に駆け込んでくる人間は一人しかいないはずなので、殊更凪いだ気持ちで出迎えることが出来た。
「おかえり、コンビニどうだったんだ?」
飛び出していったときと同じ唐突さでもどってきた賢木は、ああと心ここにあらずな返事をくれただけだった。それでもさっきよりは幾分か落ち着いた様子で僕の隣に腰掛け、何も映していないテレビの画面をじっと睨みつける。財布忘れてどこいってきたんだよと尋ねてみても、その返事は芳しくない。静寂が疎ましくて、僕も彼に倣うように真っ黒なテレビ画面を見遣る。そこに映るのは、真っ直ぐに前を向いている僕たちで、画面越しにはじめて視線が交差したような気がした。精悍な顔立ちをした賢木は、所在なさげに投げ出したままにしていた腕を組むと、瞼を閉じて深呼吸をした。
名前をよぶ、それだけでこいつが僕のことを見てくれるはずなのに、意識してくれるはずなのに、たったそれだけのことが上手くいかない。ごめんという言葉が頭の中でリフレインして、それが何を意味しているのかわからないままに僕だけが置き去りになっていた。
僕も瞼を閉じてゆっくりと十数える。残りのカウントが三あたりになったところで、ぐっと肩を掴まれて抱き寄せられた。
「すきだ皆本、結婚しよう」
怖いくらいに真剣な表情に、一瞬何を言われているのかわからなくなる。けっこん、血痕、結婚。どれもなんだかおかしくて、それでも、僕と賢木の二人が揃わなければ出来ないことだというのなら、三つ目の結婚が一番正答に近いのだろうかと吟味する。自らが選び出した答えに、世界の終わりみたいな気持ちになって悩んでいた自分が、世界で一番の愚か者へと塗り替えられていった。
「おまえ、コンビニいってきた結果がそれなのか」
「ちげーよばか! コンビニなんてどうでもいいんだよ! いましかない結婚しよう」
「ばかはおまえだろ、何がどうしてそうなった」
ちょっとコンビニへいってくるはずが理解しがたい結論をはじき出してもどってきた賢木の腕から逃れるように身じろぎをして、胸元を押し返す。だが、無駄に力が強いせいでびくともしない。あと、抵抗する僕を抑え込むようにさらに力が加えられたせいで、眼鏡がずれて痛い。僕のすきだあいしてるから、コンビニへと駆け出して、結婚しようへと繋がる理論があるというのなら、それは世界的な新発見を導き出してもおかしくない。もちろん、この場合一番おかしいのは賢木の頭に間違いないが。
「だって、あのおまえが俺にあんなことを言うってことはつまり、そういうことだろ?」
「ごめん、あれとかこれとか指示語が多すぎてよくわからん。つまりどういうことだ」
指示語というのは前にそれを受ける言葉があって初めて成り立つものであって、賢木の会話には肝心の部分が掛けてしまっている。頭痛の酷くなってきた頭を抱えて、僕を遠慮なしで抱きしめている賢木を見上げる。少し前までの神妙な顔つきの名残などなく、この世の幸福だとか希望だとかそういったもので満たされたときにみせるような、とてもやさしいものだった。僕と視線が合ったときにそれが更に深くなる。なんとかずれた眼鏡のブリッチを押し上げて歪んでいた視界を矯正すると、何が愉快なのか知らないが白い歯をみせて破顔した賢木が、僕の髪を手櫛で梳いて首元に顔を埋めてきた。
この反応を見るに、ごめんというのはマイナスの意味ではないんだろうけれども、一気に賢木のテンションが上がりすぎてつまりいったいどういうことだというのか、理解が追いつかない。僕も黒く艶やかな賢木の髪の毛をぎゅうと引っ張って乞うようにその視線を上げさせる。ぶつかる黒茶色は、それだけのことに融解しそうなくらいの熱を孕む。熱い指先が僕の唇をなぞり、それを追いかけて賢木の唇が落ちた。触れたのは一瞬。でも、はなれてまた啄ばむように口付けられる。歯がぶつかるような激しさはないのに、唇から伝わる熱はぐずぐずと僕のなかをとろけさせていく。吐き出した吐息は濡れていて、それを飲み込むように、また唇を重ね合わせる。賢木の頬を両手で包み込んで、こつりと額を触れ合わせると、二人して笑ってしまった。
「すっげぇ嬉しかった。おまえ、あんまりああいうこと言わないから」
「うん」
「ちょっと、しんでもいいかなって思った」
「ばか、しぬな」
おまえがすきだって言ってくれたのに、しねねぇけどと肩を揺らして笑う。結婚しよう、できないけど、それでも、それくらいおまえのことすきなんだ。愛してるんだよと、恥ずかしげもなく言い切る賢木。その一言一言を噛み締めるように頷くと、深みのある声色は違うことなく僕の耳朶に触れていく。頬が熱くなる、いっそこのまま逃げ出してしまいたいと思うのに、はなれることを厭う賢木が僕を解放してくれない。だから僕も賢木に甘えるようにその背中に腕を回して、耳元で出来るだけ優しく囁いた。
「結婚の前の女性関係を清算しろよ」
「えっ?」
「おまえ、また僕に内緒でナンパしただろ」
「いや、まさかそんな」
「ことがあるんだよな、賢木?」
いままでとろけるようにあまやかなだった声音が、分かりやすくひっくり返る。最後の最後で詰めが甘いのは昔から変わらない上に、隠し事をする気があるのかと問い詰めている僕の方がかわいそうになるくらいのうろたえっぷりだ。落ち着きなく泳ぐ黒茶色の瞳を覗き込んで、とっときの笑みを見せて首を傾げると、訳もなく咳払いした賢木が引きつった笑みのままに口を開いた。
「ほら、あれだよ」
「どれだ」
「まあ、あの? ちょっとこう、話が盛り上がっちゃって、みたいな?」
「それで?」
「それで、結論的に言うと、皆本クンあいしてるってことなんですけど」
さっきまでのあいしているとは毛色のちがうそれに、思わずははっと声をあげて笑ってしまった。すごく爽やかなその笑い声に、賢木はひっと悲鳴をあげて上半身を引く。まるで僕が彼を苛めているみたいじゃないか。
「いいか、浮気かどうかは僕が決める。パイプカットされたくなきゃ、おまえが立てた浮気しませんという誓いを忘れるなよ」
「かしこまりました!」
宣誓するように右手を挙げた賢木は、ごくりと唾液を嚥下して真剣な面持ちで頷いた。分かればいいんだよと頷いた僕に安堵したように、重々しいため息を吐き出してようやく体から力を抜いてだらりともたれかかってきた。
「本当に、浮気じゃねぇから」
「わかったって」
僕の胸元にもたれかかっている賢木の体を受け止めて、乱れた黒髪を手櫛ですく。応えるように身を寄せてきた賢木に自然と口角が緩む。呆れ半分、優越感半分。チャンスだってとかしましくも騒いでいた彼女たちに勝ち誇ったような気持ちになったことも否定できない。
そんなに必死になるなら最初からやらなきゃいいのにと思うけれども、彼の中では本当に浮気というラインを超えていないんだろうから、これはまあ感性の違いなのだろう。僕だってそう目くじらをたてて口うるさくするつもりもないし、まあ賢木はそういった生き物なんだという広い心をもってして受け止めるつもりだ。誰だって呼吸をするなといわれたら死んでしまうだろうから、そこまで残酷な真似はしない。しかし、今回ばかりはちょっとした意趣返しをしたって許されるはずだ。
だから、悪戯が見つかった子供みたいに僕の様子を伺っている賢木の頬を両手で包み込んで引き寄せ、僕だってちゃんと君のことがすきなんだよという気持ちをこめてもう一度だけ唇を重ねた。まんまるく見開かれた黒茶色の瞳に映る僕。たぶん、この上なく幸福そうに笑っていることだろう。
この国にいてこの場所で生きる限り分かりやすい繋がりなんて求められないけれども、確かに僕だって君のことがすきなんだよ。