基本的には、楽しいことと気持ちいいこと、あとやわらかい女の子とか、美しいお姉さまだとか、まあ快楽主義者といわれても仕方のないようなことや物が好きだった。でも誰だってそうだろう。一度しかない人生で、一度しか味わえない自分という括りの中で、苦しみぬいて苦労して死へと向かっていきたいというマゾヒストは少数派じゃないだろうか。いや、その存在を否定するわけではなく単純に、個人的な感想として。なので、俺は性癖だとか考え方としてはマイノリティの集団には属していない。まあ、楽しければいいじゃんなんて、そんなことをずっとずっと考えて生きてきた、だいたい二十年くらい。
 それがどうしてだか、なんというか、どうしてこうなったのかよくわからないけれども、快楽主義者な自分を差し置いて、もっと違った場所で死というものをよく考えるようになった。仕事柄、人の生き死ににかかわることが多いから哲学的なことでも考えちゃうんだろうといわれるとそういうわけでもない。ただ単純に、あいつに、皆本に出会ってからずっと考えていることがある。
 なんとなくで生きていたこの人生だけれども、もしかしたら、あいつに出会うことが出来ただけで意味があることで、これ以上も以下もなく素晴らしいことなのかもしれないなんて。
 ついに宗教に目覚めたかとか、なんか俺やばくね、あいつにのめりこみすぎじゃねなんていう自問自答はもう飛び越えた。そんな苦悩などもう振り返ったって見えやしない。それくらいにあいつとの出会いは、俺にとって衝撃だったんだ。だから、いつか俺の人生が終わるときが来るとして、それが皆本の隣であればいいなとそんなことを考えてしまうのだ。そして、最近きな臭いことばかりおこるなかで、まああいつのためなら死んでもいいかななんて、そんなばかみたいなことを思うのだ。
 俺がこんなことを考えていると知ったら、皆本はいったいどんな顔をするのだろうか。怒るのか泣くのか気持ち悪いものを見るような目で俺を見るのか。何パターンか想像してみて、一番俺にとって優しいものを選んでいく。俺が死ぬその瞬間に、どうしようもないお人よしのあいつの中をサイコメトリーしてみたりして、それで俺のことだけを考えて俺のために悲しんでくれている皆本を感じるのだ。それって、案外幸せなんじゃないだろうかと、その想像だけで一人笑ってしまった。本当になんていうか、自分で言うのもなんだけど、どうしてこんなにもあいつのことをあいしているのだろうか。自分のことなのに、ちょっと理解に苦しむ。春の陽気は人の頭をおかしくしてしまうというから、それにあてられてしまったのかもしれない。

お題:三月の死




13・04・04
13・04・09