チューブからひねり出したばかりの青い絵の具みたいな快晴の空。眩しすぎる日差しに目眩さえ感じるが、吹く風は心地よく、寒すぎもせず暑過ぎもしない。とても過ごしやすいデート日和だ。
 そんな和やかな天気に後押しされるみたいにざわめく繁華街には、それなりの人出があった。飲食店が並ぶこの界隈もその一つで、おしゃれなカフェの前には順番待ちの列ができている。ドールハウスのようなかわいらしい作りの店舗に、クリーム色の外壁がなんだか眼に優しい。女の子が好きそうな中世の貴族のお屋敷の庭園か何かのように趣向をこらされた店の回りには、外界から店内を遮断するようにバラの蔓がからみついたかのようなデザインの柵が巡らされている。青銅のそれには、花に沿うように蝶のレリーフが彫り込まれていて、全体像を踏まえても男だけでは入りにくい。でも、カフェの入り口に見本として並べられていたケーキの数々がなかなか趣向を凝らしたデザインで、皆本あたりをつれてきたら喜び勇んで自分の料理にフィードバックしそうだ。
 順番待ちなどという俗世間的なことを強要されている柵の外側をあざ笑うみたいに、店内では楽しそうに歓談している男女が、二人だけの世界を満喫していた。そして、俺がたてた完璧なるデートプランによれば、俺と今日のお相手であるベビーフェイスのほわほわとした優しい雰囲気をまとった女の子も、いまからあの中にまじって夢のようなひとときを過ごす、はずだったのだ。だのに、彼女の肩がふるふるとふるえ、涙さえ浮かんだまん丸な栗色の瞳が怒りだとか憎しみだとかそういうマイナスの光を宿しながら俺を映していた。この状況は穏やかではない、確実に暗い未来しか見えない。主に俺にとって。なんとか取り繕おうと口を開いた瞬間に、彼女が利き手を振り上げた。
 耳元で破裂音がして、頬が焼ける。ついでに、衝撃に備えようと歯を食いしばったせいで、頬の内側の柔らかい肉を噛みしめてしまい、口内に錆びたような鉄の味が広がった。鉄なんて食ったことないけど。
風船が破裂したのかと思うようなその威勢のいい音に反応するように、周囲の視線の集中砲火で、俺と彼女は瀕死状態だ。いや、俺の目の前で肩を怒らせて、鬼か般若かのような形相でゴミを見つめるような目線をくれている彼女は、怒り心頭のあまり羞恥だとか外聞なんてものは頭の中から排除されているのだろうか。だが、恥ずかしながらこういったことには慣れっこなせいもあってか衝撃が過ぎ去ったのちに一瞬の無音状態からたちなおった聴覚は、まわりのざわめきを余すことなく拾い上げてくれる。というより、俺がサイコメトラーじゃなくて、テレパスだったら世をはかなんで、大変なことになりそうだ。正直、この場から逃げ出したい。いろんな意味で。
「その、皆本さんっていう人とデートでもしたら? つきあってらんない」
「いや、違うんだって。どうしても急用だっていうから。その、仕事でさ。だいたい、皆本はただの男友達だから」
 デートもなにもないだろと言い募るみたいに、痛む頬をごまかして取り繕うような笑みを浮かべると、彼女の顔色が一変した。いままでも酷かったのに、さらに酷くなる。限界って無いんだなと馬鹿みたいなことを思った。もちろん、言うまでもなく、朗らかな笑みにではなく、目元を紅色に染め、唇を噛みしめた怒りの顔に。
「女ならまだしも、男!? 私より男を選ぶって言うの!」
 ダンっとヒールで地面を蹴りつけた彼女は、ヒステリックな金切り声でいった。趣味はピアノであまり運動は得意じゃないんだけど修二クンとなら海に行ったりしてみたいなと控えめに笑っていた彼女はどこに行ってしまったのだろうか、もう返ってはこない遠い思い出だ。女って怖い。
「選ぶとか選ばないとかじゃなくて、緊急事態なんだよ。本当にマジで。埋め合わせはするから」
「それ、この間も言ってたよね? てか、今日だって、皆本さんがらみの急用が入ったからってドタキャンしたのの埋め合わせだったんだけど覚えてる?」
「ははは、お、おぼえてるよ」
 ふーんと、腕を組んで俺を見上げた彼女の視線から、逃れることはできない。もうすでに疑ってかかっているというか、俺に対する信頼など感じられないというか、ともかく冷め切った声音にこれ以上の言い訳もでてこなかった。彼女の肩越しに、こちらを伺っていたカフェの店員と視線がぶつかる。沈痛な面もちの彼は、負け戦へと赴く兵士に向けるような同情を俺にくれていた。
「ともかく、ほんっとうに申し訳ないんだけど、俺行かなきゃいけないから、」
 ごめんと続けようとしたときに、手に持ったままだった携帯電話がなった。この緊張状態に空気を読まない着信音。いっそ緊急のコールだったらよかったのに。さすがにこの状態ではと、電話を切ろうとしたら発信者名は皆本光一。現状から鑑みて、切れるわけがなかった。
「ごめん、ちょっといいかな」
 ふるえそうになる声帯を勇気づけて、勝手にすればとつっけんどんで刺々しい口調の彼女に軽く頭を下げて通話ボタンを押した。ついでにこれ以上客寄せパンダにもなりはしない見せ物状態から逃れるように道の端による。だが、俺の動きを追うみたいに不躾なくせに控えめな第三者の視線を感じる。それを抹殺するように、携帯電話から聞こえてくる声に集中した。
「もしもし、皆本?」
「ああ、賢木。何度もごめん。いつぐらいにこれそうかな? やっぱり薫の熱が上がってきてて」
 休みの日なのにごめんと申し訳なさそうに続く言葉。こちらに気を遣うようなその声音に、なにが悪いのかもわからないのにとっさに謝りそうになる。