ワイ、なにか悪いことしたんやろか。ウルフウッドは自分で自分に問いかけてみたが、まったく何も思い浮かばない。
それどころか、自分が目の前で仁王立ちをしている男のために尽くしている場面しか思い浮かばなくて、自然と胸が熱くなってしまった。
だが、確かにウルフウッドは、男にしては長い金髪を特別整えることなく伸ばしたままの、ひょろひょろと細長く、
焼けるということを知らないんじゃないかと思えるくらい白い肌をした人物を、怒らせるようなことをしてしまったのだろう。
そうでなければ、家に戻ってきたときに笑顔で迎えられたのが、一瞬にしてこんな修羅場の様相となってしまった原因が分からない。
ウルフウッドは今日もこの目の前の男のために、特別欲しいものがあるわけでも、愛着があるわけでもない、
いやむしろまったく持って興味の持てないアニメ専門のショップに走りこんで、彼がご所望の品を手に入れてきたのだ。
取りに行ってくれと頼まれたわけではなかったけれど、この夏も盛りの頃に彼一人を外に出して日射病で倒れてしまったとしたらどうするんだ。
もしも、自分の手の届かないところで倒れてしまったとしたら、ウルフウッドにはどうにもできなくなってしまう。
そうなってしまうくらいなら、自分が彼の代わりに買い物に行くほうが何倍も何十倍もましに思えていたのだ。
その思考に疑問を持たないウルフウッドは、自分で気づいていないだけで相当なところまでいってしまっているのだが、
幸か不幸かその現実を彼に囁いてくれる人物は存在していないようだった。
「きみ、聞いてるのか?」
普段よりも幾分か迫力のある彼の、ヴァッシュの低い声。
それに続くように、大げさに床が揺れる。ヴァッシュが床を蹴り上げたからだ。その揺れで、若干、正座させられているウルフウッドの足も揺れた。
地味に痺れてきている両足に、その振動はつらいのだがそんなことを言い出せる雰囲気ではなかった。
「聞いとりますよ」
聞いてはいるけれど、どうしてこうなったかは分からない。分かってたのなら、こんなに思い悩んだりもしない。
だってそうやろ、とウルフウッドは誰にともなく心の中で呼びかけた。
ワイ、あいつのためを思って朝から行動しとったんとちゃうか。せやのに、なんで正座で説教されなあかんのや。世界はまちがっとる。
「僕はきみにいったよね」
もう一度景気づけのように床を蹴ったヴァッシュは、いままで腕の中に持っていたトールサイズのDVDケースのようなものを、
ウルフウッドの真っ黒な瞳の前に押し出した。
それは、ウルフウッドにとっては見慣れたもので、ヴァッシュにとっては待ちに待った新作ゲームだった。
ジャケットにいるのは総勢十人の女性たち、髪の色はカラフルで胸の大きさまで選び放題だ。
ただし、すべて顔が同じように見えるので、どれがどの子なのかウルフウッドには判別することができなかったのだ。
だが、ヴァッシュにとってはすべてがいとしくてしょうがない愛すべき対象らしい。
そんな、彼にとっては理解し得ない世界のゲームのジャケットを差し出されてすごまれても、
まったくもって迫力もないし伝えたいことも伝わってこない。進展どころか後退してしまっている。
「初回限定版を買ってきてくれって」
「せやったようなきがする」
困ったように声をあげてもその場限りの肯定で、記憶は曖昧だった。
だいたいが、初回限定版というのがよく分からない。発売日当日に店頭に並んでいるものを買ってこればいいというわけじゃないのだろうか。
ヴァッシュには無駄なこだわりが多すぎて、ウルフウッドの理解の範疇を超えていることが多々あった。今この瞬間も。
「じゃあ、なんで君は通常版なんて買ってきたのさ! あれだけ限定版を買ってこいっていっただろ! すごい豪華な限定版だったんだからな!
サントラに設定資料集にマウスパッドにテレカにとりあえずいろいろつくはずだったのに!」
理解しがたい単語を紡ぎだしていくヴァッシュの声色は、若干涙声だ。
ヴァッシュがヒートアップすればするほどに、ウルフウッドは言葉を失っていく。どうフォローすればいいか分からなくて。
いま確かに、二人の間には海よりも深く山よりも高い、埋めることのない溝ができている。
「この、絵師さん好きだったのに!」
本格的に涙目になっているところを見ていると、それだけで罪悪感がわいてくるから不思議だ。
この、弱々しそうな面がいけないのだろうか。本当はゲームのために何日も徹夜できたり、よく分からないイベントのために炎天下、
そして寒空の下、ためらうことなく並べることなど、信じられないくらいにたくましいことも知っているのだが、
それ以外はあまり外に出ないせいでひょろりとしたもやしのような体形をしているのだ。
「すまんかった。ワイが悪かった」
正直よく分からんけどと心の中で付け足して、せめて謝罪の気持ちが伝わるようにとまっすぐに涙に濡れた翡翠色を見つめた。
悪かったと思っているのは本当のことなのだ。いろいろなことが理解しきれていないだけで。
「謝ってすむなら、警察はいらないんだからな」
「ほんま悪かった思ってます。いまから、こうてきたるからもう少しまっとってくれんか?」
差し出していたDVDケースを抱き込んだヴァッシュが、ウルフウッドの表情をうかがうように彼の前に座り込んだ。
やっぱりその瞳は濡れていて、彼が本当にショックを受けていたんだということが分かった。
「本当?」
ぐいっと顔を寄せてきたヴァッシュに自然と逃げ腰になってしまうが、必死な彼はそれに気づかない。
むしろ興奮したように、ウルフウッドの肩を掴んでその距離を縮めていった。ヴァッシュがここまで自分に必死になってくれているのかと、
ウルフウッド説明しがたい高揚感をいだいていたのだが、ゲームに必死になりすぎている彼にとってはそこまで考え及ばないらしい。
「嘘つかへんよ。ほんま」
ウルフウッドは上ずりそうになる声を抑えながら、翡翠のように澄んだ色をしたヴァッシュの目を見た。
このゲームに向ける情熱を、少しくらい自分に向けてくれればいいのにと思わないこともなかったけれど、
もう仕方ないんやろうなあという諦めに似たものがあった。
ウルフウッドのの内心を知らないヴァッシュは、彼の言葉を聞いて一気に二人の距離をゼロした。
ああ、抱きつかれているとウルフウッドが理解したときには、ヴァッシュの体重を受け止めきることができずに二人して床に転がってしまっていた。
「今度は間違えないように、僕も一緒に行くよ!」
勢いよく頭をぶつけた痛みも、ヴァッシュの弾む声色にどうでもよくなってしまう。
どさくさに紛れて背中に手を回してキスでもしてしまおうかと思ったが、
それよりも早くヴァッシュのやっぱりきみのこと大好きだなという言葉が落ちてきて、ウルフウッドはそれだけで満たされていくような気がした。
ほんまもうどうしようもないわと、心の隅で自分にため息をつきながら。
作成 10・9・2
掲載 10・9・22