出会いと別れの街といわれるだけあるカラハ・シャールは、人口も訪れる人間も多い。しかし、まだまだ宵の口とも言える時間にもかかわらず、大通りをいく人間はまばらだ。いつもなら夜を感じさせない騒がしさで客寄せをしている露天も、そそくさと店じまいの準備をしてしまっている。イル・ファンの発光樹とは違うが、等間隔で設置された街灯だけが人気のない通りを照らすための寂しげな光をともしていた。
 酒場を併設しているはずの宿屋からも音は漏れてこないし、酔っ払いが千鳥足で歩いている姿も見られない。住民よりも自警を担う兵士達の姿が目立つくらいだった。特に中央広場からガンダラ要塞へと続くタラス街道に向かう道には、それなりの人数の兵士が配備されている。
 夜だけではない、昼も普段にはない緊張感を伴って街の中がどこか浮き足立っていた。それはもちろん、いい意味ではなく、悪い意味で。近くにはラ・シュガル防衛の要であるガンダラ要塞をかかえ、カラハ・シャール自体が補給地としての重要な役目を担ってもおかしくない場所にある。領主が変わり、戦争が始まり、ラ・シュガル内で微妙な立場にあるカラハ・シャールの住民達は、明日の自分達がどうなるのかが気になって仕方がないのだろう。もちろん、戦争が始まればそれにあわせた商売をしていかなければと根性逞しい商人もいくらかは存在しているようだが、みながみなそう逞しくはいられない。戦争のせいで物流自体もままならず、商品の品揃えがふるわない店もあるくらいだ。
 いままで水面下でこんなにも大きなものが動いていたのが嘘のように、一気にたくさんのものが押し寄せリーゼ・マクシアに波紋を描いていく。その水底覗き込んでも真っ暗なだけで、いったいどのように転ぶのかなんて誰にもわからなかった。多くの人間の欲望と野望だけが複雑に絡み合って底なし沼のようにドロドロとしていた。まあ、俺だって人のことを言えるような立場にあるわけではないけれども。
 たくさんのことが一度に起きたのに、ただ、開けた場所から望むことができる、カラハ・シャールの象徴ともいえる風車だけは、いつもと変わらぬ速度で回り続けていた。
 レンガ造りの街並みの向こう側。風を受けてくるくると回り続ける風車。だが、その風車をバックに中央広場の端にワイバーンが丸まっていることに、非日常を感じる。普通に考えるのなら、街中に魔物が出ただけで大パニックになりそうなのだが、たまに通る人々が遠目に脅えたような視線を向けるだけだった。ワイバーンの傍にはカラハ・シャールの自警兵士が何人か配備されていて、馬専門だという医者がまだなにやら様子を見ているようだった。自分がこれに乗って来たのかと思うと、人生なにがあるかわからないなあとしみじみ思う。いや、そんなことは子供のころから嫌というほどに経験してしまった。神話の中のマクスウェル様だって実際に存在するこの世界だ。なにがあったっておかしくない。そりゃあ、エレンピオスで言うところの異世界というものがあっても不思議ではない。
 精霊によってもたらされる風の音と、風車が回る音、まるで秘め事を囁きあうようにかすかに聞こえてくる人の声。それにまぎれて小さくレンガ造りの道を蹴りつける音がした。気配を殺しているつもりなのかもしれないが、殺しきれていないところが彼らしく、笑いが漏れそうになった。戦闘中にあれだけ共鳴してお互いの背中を守りあっているんだ。こんなに中途半端に気配を殺しているだけでは、逆にここに自分がいますよと声を大にしているようだった。戦闘中にはあんなにも大人顔負けな戦いを見せるのに、それが日常生活ではフィードバックできないのかと思うと、まだまだだなと安心してしまう。そうやって安心する自分に、僅かな痛みを覚えるのはたぶん気のせいではない。彼は、俺を安心させて焦らせて、そして揺らがせる。そんなことなんてまったく知らないであろう少年は、言外に躊躇いを露にするように足音の間隔を長くしていった。昼間にとっさにあいつを庇ったときの傷が疼きだしたような気がした。いっそ後を振り向いてやろうかと思ったけれども、それよりも一瞬早く優等生が動きを見せた。
「アルヴィン?」
 控えめな、声色。まだ声変わりも済ませいてないのだろうかと思えるくらいに高く澄んだ声。こんな子どもっぽい声をした少年が医学生ってだけでも十分驚きだったのに、マクスウェル様のお供で、戦争を止めるためにラ・シュガルの本拠地であるイル・ファンに乗り込んでナハティガルを止めるというのだ。通りがかりの人間に話したのなら、一笑されるだけで終わってしまうだろう。それくらいのことをしていると本人は気づいているのだろうか。つややかな琥珀色の瞳は純粋なあまり周りを見失っているのではないかと不安になる。先にすすみたいと頑なに願うのは、いったい誰の意志なんだ。
「ねぇ、アルヴィン」
 今度は少し強く名を呼ばれた。仕方なしにくるりと振り返って、風車を望む欄干に背中を預けると、とどまることなく吹き続けている風が彼の夜空よりも真っ黒な髪を揺らしていた。瞬いた琥珀色の瞳は逸らすことなく俺を映す。それは、俺がカン・バルクであいつらを売るまえとは一線を引くようなものなのに、それでも以前と変わらぬように接しようとする気持ちを感じ取ることができた。口ではまだ信じたわけではないといいながら、俺のことを信じようと努力している。それを、愚か者だと笑うのは簡単だった。だけれども、どこかにそれで縋りたいと願ってしまっている俺がいた。
「どうしたんだ優等生。こんな夜にで出歩くなんて不良の仲間入りか?」
「茶化さないでよ。部屋にアルヴィンがいなかったから探しにきたんだ」
 わかりやすく肩を怒らせて隣に並んだジュードが、俺の様子をうかがうように覗き込んできた。まだ成長途中の青少年は俺よりも背が低い。そのうち伸びると信じているようだが、それが現実になるかどうかは神のみぞ知るというところだ。
「なんか僕に対して失礼なこと考えてない?」
 僅かな星の光を集めつややかな光を宿している琥珀色の瞳を細め、ジロリと俺のことを睨みつけてくる。ちょっとだけ俺の扱いが冷たくなってしまったのが悲しい。出会ったころに無条件で俺のことを信じてくれていたときには、裏切ることを前提としていてもなかなかにかわいらしいものがあったのだが。まあ、それを語って聞かせたところで、ここで飛燕連脚をお見舞いされるだけだろう。
「いやいやまさか。探しに来てくれるなんて、また俺が裏切ると思ったの?」
 欄干に肘をついて体重を預け、ジュードを覗き込むと、少しだけ前の状態を取り戻したようにスムーズだった動きが止まる。それこそ分かりやすいくらいに。ふざけて俺のことを睨みつけていた瞳がさ迷って、足元のレンガのつなぎ目をなぞる。そんなものを数えてなんになるのか。風で乱れた髪に手を伸ばそうとすると、ちがうと小さく呟いたジュードの声が聞こえた。あまりよく聞こえなかったので手を止めて問い返すと、こんどははっきりとした声色で違うと言い切った。どこか硬いものだったのに、違うことなく俺の鼓膜を揺らす。
「違う。怪我、してるでしょ。あんまり出歩くのはよくないって思ったんだ」
 怪我がなにを指しているのかはよくわかった。ワイバーンで飛行中に不時着したこの街でプテラブロンクに襲われ、とっさにジュードを庇ったときのもののことだろう。この優等生は、裏切り者の俺がまた少しでも信頼を取り戻して取り入るためにした薄汚い行為だとは思わなかったのだろうか。まるで自分の身におこったことのように心配している。
「それならもう大丈夫だって診察したジュード先生がよくわかってるだろ」
「でも、完全に治ったわけじゃないし」
「治癒術もかけてもらったし痛み止めももらったから心配ないさ」
「アルヴィンの大丈夫はあんまり信じられない。最初は怪我のこと隠そうとしてたじゃないか」
「信じられないなんて酷いね。裏切り者の言葉は信じるに値しない? 別に隠そうとしたわけじゃないさあんなに格好良く庇っておいて倒れてちゃ全然決まらないだろ」
 わかってないなあジュードくんはと、肩をすくめてため息を漏らすと、思ったよりも真剣な顔をした優等生が俺のことを覗き込んできた。
「全然わかってないのはアルヴィンの方だ。格好いいとか悪いなんかよりも大切なことがあるだろ。
裏切るとか裏切らないとかじゃなくて心配なんだよ、だからあんまり出歩かないでお屋敷に戻ろう」
 あと、そういう冗談はあんまりすきじゃないよと呟いたジュードは、唇を噛むようにしてなにかを耐える。知識じたいも多く、物分りのいい考え方をするので年齢よりも大人びた感はあったが、こういった子どもらしくない振る舞いを強要しているのは俺なのだろうか。こいつは本当にどうしようもないくらいに優等生なのだなあと思った。どうせなら他の仲間達と同じように俺を弾劾することをすればよかったのに、そうすれば少しは楽になったはずだ。だけれども、そんなことおくびにもださないで、信じきったわけじゃないけれどと言葉を濁すだけで、裏切りという言葉を出すことなくいいほうへいいほうへと軌道修正をかけていく。そういうところが漬け込まれるんだと、どうして気づかないのだろうか。
「なあ、言ってて恥ずかしくないの? そこまで熱烈に思われている身としてはまあ、嬉しいような気もするけど」
「恥ずかしいとか恥ずかしくないとかどうしてそういう話になるの? 僕を庇って怪我をした人を心配するのは当たり前のことでしょう」
「あー、まあ、うん。そうなのかもしれないけど、本当にジュードくんは優等生だねえ」
 そういうところが、いとしくもあり憎くもあるよと、声を出さずに心の中で呟いた。
 ただ無言で視線を受け止めていたジュードは不思議そうに首をかしげて俺の名前を呼んだ。瞬く琥珀色の瞳は案外庇護欲を誘う。これでお人よしで面倒見がよく巻き込まれ型だとするのなら、ミラやレイア、そしてエリーゼがジュードに入れ込むのも分かるような気がした。こいつは、にくらいしくらいに純粋で歪みなくまっすぐだ。どうして迷わず人のことを考えられるのか、こいつにとって譲れない一線というものは存在しないのだろうか。俺のことだって、そのお綺麗な顔の下でいったいなにを考えているんだ。まだ信じたわけではないといいながら、どうせそのうちに俺を許してしまうのだろう。現に戦いの時には以前と同じように俺と共鳴して背中を預けてくれた。後から刺されるなんてこと想像もしていないのだろう。
 本当に、どうしようもない子どもだよ。小さくもれそうになったため息を飲み込むように、ジュードを見返すと、ミラやレイアよりも大きいのに、まだ俺よりも小さな手のひらが躊躇いがちに伸びてきた。平手打ちでもされるのかと思ったが、彼が触れたのは、昼間俺が怪我をした場所だった。厳重に手当てされたそこには、包帯が巻かれている。大丈夫大丈夫といいながら、もろ手を挙げて大丈夫といえるほどの軽傷ではなかったことも事実だ。
「痛い?」
 触れる指先はもどかしいくらいに優しい。
 この傷を抉るくらいの権利を持ち合わせているというのに、触れた部分を癒そうとするかのように撫でていく。
「もう痛くないさ。ジュード先生が治してくれただろう」
「それでも、僕はアルヴィンじゃないから、痛いかどうかは聞かないと分からないでしょ」
「心配性なんだって。おたくはいい医者になるよ」
 触れたままのジュードの手のひらに触れると少し驚いたようにびくりと小さな肩が揺れた。それが嫌悪からくるものでなければいいと、ずるい自分が思う。まだこの場所にいたいと願うのが、自らの願いなのか、それとも俺にとって都合がいいからなのかはもうよくわからなかった。
優しすぎる少年は、ずるい大人の本性を見たときにいったいどんな顔をするんだろうか。
 試してみたくなった。ここまでしても受け入れようとするジュードの優しさというものを。いじめっ子の本能なんだろうか。彼がなんと言うかなんて簡単に想像が出来るのに、聞いてみたくなる。乾いた唇を湿らせるように舌で舐めて、言葉を吟味するように瞼を閉じた。
「なあ、ジュード」
 瞼を開いた先にあった琥珀色の瞳が瞬いて、黒髪が風に揺れる。凪いだ瞳に映る俺はいったいどんな表情を浮かべているのだろうか。そこに憎しみだとか疑いというものがないのが俺にとってはせめてもの救いなのだろうか。
「俺のこと、信じてくれるよな?」
 空白、瞬き、沈黙。言葉よりも分かりやすくうろたえる琥珀色に、笑いがこみ上げそうになった。揺れているのは心のどこかでは信じたくないと思っているからだ。それなのに、その動揺を感じ取られまいとするように、まっすぐに俺を見据えて繋いだ手のひらをぎゅっと握り締めてきた。それが彼の精一杯の信頼の証だとでも言うように。
「僕は、アルヴィンのことを信じたいんだ」
 だから、もう裏切らないでよとジュードの揺れる声がしんと静まり返った街の中に響いて消えた。信じたいのなら信じてくれればいい。俺だって悪い気はしないし、最低限の礼儀だけは返すつもりだ。だが、ジュードがミラを思うように、俺にだって成し遂げなければいけないものがある。それが、どんなに穢い道選ばなければ成らないものだとしても。
「ジュードは優しいな」
 ありがとうなと小さく囁くと、俺を見つめていたジュードが小さく笑った。
 この笑顔をいつまで見ることができるのだろうか。だってこの少年はまだ知らない。そのうち俺を許してしまったことを嫌というほど後悔することになる。何重底の裏切り者なんだと俺自身が笑い出したくなるくらいだ。そのときになったらたぶん、今日このときに俺の傷を癒したことを悔やむ日がくるのだろう。どうせならばもっと苦しみを与えるように傷を抉って肉を引きずり出せばよかったと思う日がくるのだろう。
 それを俺が責めることは出来ない。だが、そうなった後でも優等生でお優しいジュードくんは、自分がしたことをひどく責めてすぐに治癒術をかけ、泣きながら謝るに違いない。それでも、そうだとしても、繋いだ手のひらが俺のことを弾劾してくれる日がくるのなら、そのとき俺はたぶん痛みを感じながらも安心してしまうのだろうなと、嗜虐的思考を持ち合わせているようなことを思ってしまった。
「まあ、主治医のジュード先生がおっしゃるように、そろそろ戻るか」
 繋いだままの手のひらを引いて、ドロッセルの館があるほうに向かって歩き出すと、ジュードが慌てたように声を上げた。
「ちょ、アルヴィン、手を放してよ!」
「なんだよ、ジュードくんから握ってきたんだろ」
 見せ付けるように繋がった手のひらをジュードの視線の高さまで持ち上げると、俺の手のひらから逃れるように手を解こうとする。それが面白くて、反抗するようにジュードの手のひらを強く握り締めた。自然と頬が緩むのを止められなかったせいで茶化されていることはわかっているのだろうけれど、思春期特有の色恋沙汰への過剰反応のせいなのか、ジュードは顔を赤くして取り繕っていた。そのほうが怪しいといことにそろそろ気づくべきだ。
「ご、誤解を与えるようなことを言わないでよ! 別に変な気持ちから握ったわけじゃないんだから!」
 彼の大声のせいで、道行く人の何人かがこちらを振り向いた。それが余計にジュードの羞恥心と、俺の遊び心に火をつけていく。
「うわー、慌てるところが怪しいね。いま俺は、貞操の危機を感じている」
「なにいってるの、アルヴィン!」
 顔から火が出るんじゃないかと思えるようなジュードに、そろそろ引き際だろうかと首をすくめて繋いでいた手のひらを解放した。突然のことだったせいか、逃げようと手のひらに力をこめていたジュードのバランスが崩れて倒れそうになる。とっさに手を伸ばしてその肩を支えると、ごめんという小さな声が聞こえた。
「おい、気をつけろよ」
「急に手を放すから」
「なんだ? 優等生は手を繋いだままのほうがよかったのか」
「そうじゃなくて!」
 はあとため息をついたジュードは、俺の腕の中から逃れるように歩き出すと領主の館へ続くアーチへと向かって歩き出した。すこしからかいすぎただろうかと、焦ってその背中を追うように足を進めた。
「おーい、ジュードくーん。怒っちゃったの?」
 声に反応するように足を止めたジュードはくるりと俺を振り返って、まだ赤みを残した顔を僅かに膨らませながら怒ってないと言い切った。だが、その表情は不満を露にしているようで、それだけで笑いが漏れそうになってしまう。ここで笑ったら、火に油を注ぐことになりそうだから何とか我慢しなければならない。
「体を冷やしてもいいことないから、早く戻ろう」
「はいはい、怒ってないジュード先生了解です」
 ジュードの隣に並んでぐっと肩を抱き寄せると、抵抗するように身をよじった。抵抗されるほどに燃えるということをジュードは知らないのだろうか。
「ちょっと、放してよ」
「手じゃないならいいだろ。人肌が恋しいお年頃なんだよ」
「なにそれ、聞いたことない」
「俺も言ったことない」
「茶化さないでって言ったでしょ」
「茶化してないっ言ってるだろ」
 はあと重々しいため息をついたジュードは諦めたように、歩きにくいんだけどと愚痴をこぼしながらもこの状態を受け入れたらしい。彼の歩幅に合わせるようにゆっくりと歩みを進めながら、星がちりばめられた夜空を見上げる。
 エレンピオスなんかよりも曇りない綺麗な空だ。だが、もしかしたらもう、エレンピオスの空なんて覚えていないのかもしれない。あれは、俺が作り出した妄想なのかもしれない。それを確かめるすべなんてここにはない。俺が、あの世界にたしかに存在していて、ここが異世界であるということを証明してくれるものが欲しいと真に願ったころもあった。だがもうそんなものはとっくの昔に諦めてしまった。自分しか信じられない、なにがあっても前にすすむしかない。俺が望んだのはこのお綺麗な夜空ではなくて、緑も少なく荒廃し、街の放つ人工的な明るさによって星のきらめきが飲み込まれてしまった、あの滅びることを待つ世界の藍色だった。
「急に黙り込んでどうしたの。もしかして傷が痛む?」
「古傷がな」
「部屋に戻ったら、診ようか」
 本当に、どうしようもない子どもだ。
 俺の言葉を疑うことなく信じきってしまっている。心配してくれているのも本当みたいだった。優しいだけじゃ、生きていけない。いつか食い殺されてしまう。それでも、だけれどもでも、いままでのどんな人間よりも俺を揺さぶるのはどうしてなんだろうか。
「ジュードくんは本当に優しいねえ」
「なんだよ、心配してあげてるのに」
「だから言ってるんだろう。でも、診てもらわなくても大丈夫だ。すぐに治まるさ。それよりも冷えてきたから早く戻るぞ」
 頬を膨らませたままのジュードを急かすように歩みを進めて、人気の少ない道をドロッセルの屋敷へと向かっていく。
「痛みが治まらなかったら、ちゃんと診せてよ」
「わかったわかった。心配性の彼女を持つとつらいね」
「ふざけないでよ!」
 声を荒げたジュードに肩を揺らして笑ってしまう。なんて生ぬるいお仲間ごっこ。
 どうしようもないのはどちらなんだろうか。そんなことはわからなかった。でも、俺にだって譲れないものがあるのは違えようもない事実で、俺を信じるといったジュードに背を向ける日がくるのはどうしようもない現実だった。だから、せめてそれまでは信頼ごっこに身を浸していたいと思うのは、俺の自分勝手な我侭なのだろうか。


11・9・21