どうしてこんなことになったのか、考えるだけ無駄なのに、考えてしまう自分が悲しい。
好きだとか嫌いだとか言葉にするなんて、愚か者のすることだ。

本当に手に入れたいと思った瞬間に、俺にとっては不変がすべてになる。だってそうだろ。

こわいんだ、かわってしまうのだ。こわいんだ、自分を受け入れてもらえないのが。

こわいんだ、すべてが。なんの意思もなく生きてきた自分が、何かをたとえば目の前にある眩しい存在を欲しいと願ってしまうことが。

そして、手に入れてもいないのに失ってしまうことが。
もうこれで最後だ。
いや、本当に最後なわけではないけれど、こうやって時間を共有して相手の奥深くにまでつけいるチャンスを与えられるのは、これで最後なのだ。

この時が終わってしまえば、俺たちは当たり前のように続く自分たちの時間を取り戻して、好きなように世界に自分を刻んでいく、

歴史に名を刻んでいく。たぶん、あの魔導少女なら確実に。
世界はたぶん救われて、世界の秩序は違えようもなく変わっていった。

だから俺たちもこの変化の中で思うように生きていくために、さようならと手を振って、

最後まで俺たちらしくバカな話をしながら一人一人と背を向けて歩き出した。
最後なわけじゃないしねなんて言いながら、たしかに何かを失ってしまうような言いようのない寂しさを抱えながら。

だから俺は、この先をまだ見据えているだけの俺は、どうしようもなく寂しくて、最後の一人、ただ一人になって、

進むしかなくなってから始まりと終わりの一歩を踏み出そうとしていたのに、目の前には何かを待つように遠くを見据えている男がいた。

それはもう、いつまでたっても。
遠くを見ているはずなのに、俺の気持ちを知ってか知らずか、真昼の光さえも飲み込むようなまっくろな瞳が、臆病な俺を映していた。

これが最後なのに、最後さえあきらめさせてくれないのは酷薄だ。
そこまで考えて、あまりの自分勝手な言い訳に笑ってしまった。本当は、この男と離れがたいと思っているだけなのに。
「なに笑ってるんだ。思い出し笑いなんてエロイ証拠だぞ」
思わず嘲笑が顔に出た俺に、冷たい言葉が投げかけられる。最後なんだから、もう少し優しくしてくれてもいいのに。

まあ、ここで笑顔を素敵ですねなんて言われたら、今すぐに医者を探しにいっただろうけど。
「いやね、いろいろあったなと思うと笑えてきただけさ」
三十五年間生きてきたはずなのに、三十五分の一にも満たない期間が俺を大きく変えた。そう思えば笑えてくるのは嘘ではない。

もう少し早くこの子達にあえていれば、俺はもっと違う道を歩けたんだろうかと夢想している自分は、やっぱり滑稽だ。

誰かの手を掴み影響を受けたとしても選んだのは自分でしかないんだから、もうあきらめ納得するしかないことなのだ。

でも、もしかしたらと、ありえもしないことにさえこの男の姿を想い描いてしまう俺は、もう相当なところまで来ているに違いない。
「それは、笑えてきても仕方ないな」
木にもたれかかっていた上体を起こしながら、俺が脳裏に描いていた男が苦笑いをもらした。

そこには短くはない時間を共有してきたからこそ浮かべられる表情があった。
まっくろな目が掠めるように俺を見て、そのまま自分の足元にいた相棒に向けられる。

言葉ではなく目で会話する一人と一匹には、それで十分なのだろう。
「もう?」
行くのかという言葉を飲み込んで問いかけた。微かな胸の痛みが、確認するような問いかけさえも拒絶する。
「ああ。ここにいても日が暮れるだけだからな」
「そう、だな」
もう過ぎていくのは意味のない時間だけだ。だって俺は何も変えようとはしなしなかったから。できなかったから。

なにの欲しがってばかりだ。
こわくて仕方なかった。拒絶されるのが、失ってしまうのが、自分の望まぬ方向へとかわっていってしまうことが。

なのに、どんな恐怖よりも饒舌に、この男が俺の前からいなくなってしまうことのほうが何倍も恐ろしいことなんじゃないかと、

思い当たってしまった。とっさに伸ばそうとした手のひらを押さえ込む。

なのに、駄目だと思うよりも一瞬早く、少しかすれた俺の声が空気を揺らした。
「ユーリ」
ああと思うより先に口に出た。

酷く乾いた喉で声を絞り出して、ゆっくりと振り向く男の名を呼んだ。足を踏み出す前に呼び止めた。

まるで行かないでくれと懇願するように。名を呼んで、呼び止めて、それでどうする。
「なんだよ」
「なんだろうね」
自分でもどうしてだか、何でだか分からない。だから正直に告げると、俺をみたユーリが小さく笑った。
「あんた、用もないのに男の名前を呼ぶ癖があるのか」
そんなふうにと、冷やかしの色を帯びた声が投げかけられる。
「俺の知るかぎりでは、そんな癖はないはずだ」
でもどうしてだか、おまえの名前は呼んでしまうんだ。声に出さずに、胸のうちだけで呟いてみせる。

伝わることなどないと分かっているから、どんなことだって思うことができる。

これを形にしたときいったいどうやってかわっていくんだろうか。
「いいたいことがあるなら、いっちまえ」
ふうわりと風に揺れる黒髪を乱暴にかきあげながら、子供っぽい笑顔を見せる。

なんて簡単に言ってくれるんだろうか、俺だって何を伝えたいか分からないっていうのに。
「なんだろう。さようならまたあいましょうとか?」
冗談めかして言ってみると、肩をすくめたユーリがその冗談は面白くないなと眉をしかめた。
「目は口ほどにものを言うっていうけど、あんたもそうなのか?」
「さあ、どうなんだろうねえ」
真っ直ぐに射抜くような視線は、いつも通りの笑顔を見せるユーリとは釣り合わない。まるですべてを覗かれているようだ。

俺の目なんていう曇りきったものは、俺の感情を反映させて何かを語りかけているんだろうか。だとしたら、今すぐにでもやめて欲しい。
こんな混沌とした感情を、俺以外の誰かにみせないでくれ。
ユーリの視線から逃げるようにゆっくりと瞬きをすると、彼が笑いをかみ殺すのが聞こえてきた。
「じゃあ、」
「え」
俺が反応するより早く、ユーリが一歩前に踏み出した。最後に見えたのは思ったよりも真剣なユーリの顔。

次に触れたのは温かい人の体温。そして、目の前は何かに覆われて真っ暗になってしまった。
「こうしたらあんたは」
思ったよりも近くで聞こえるユーリの声にからかいの色はなかった。

俺の目元を覆っているユーリの手のひらは温かく、嫌というほどに触れたことのある分かりにくい彼の優しさを思い出す。
「あんたがここに隠していることを教えてくれるのか」
俺に触れていない方の手が、俺の胸の辺りを叩いた。心臓魔導器の上ではなく、ちょうど胸の真ん中あたり。

ここに何があるのかと考えて、心があるのかと気がついた。本当にあるわけではないけれど、見えなくてもここに存在していると言われているそれ。

冗談なのか本気なのか、目隠しされた俺にはよく分からない。でも、俺に触れているユーリはゆっくりと語りかけてくるだけだ。
「そんなところには、なにもないさ」
俺の目元を覆っていた手のひらに少しだけ力が込められた。

本当にそこには何もないんだろうか、ただ俺の生命を維持させるだけの魔導器だけしかないんだろうか。

だとしたら、この俺に触れている体温をもっと近くで感じることが出来たらいいのにとか、

俺だけのものにしてしまうことができればいいのになんていう愚かな感傷はどこから生まれてくるんだろう。
誰も知ることのないであろう答えを探るように、俺の目の前にいるはずのユーリへと手を伸ばした。
「あんたって損な性分だな」
呆れたようなため息とともに、俺の目元に添えられていないほうの手が行き場もなく伸ばしたままだった俺の手のひらを掴んだ。

ぎゅっと捕まれた手のひらが少しだけ痛い。
「まじめだからね。しょうがないのよ」
「いいたいことがあるなら、言えばいいのに」
「この歳になると、攻めよりも守りにはいっちゃうのさ」
そして、言い訳ばかりが上手くなっていく。こうやって。
なんでこんなことになったのか。たったの一欠けさえも、俺の中にある惨めな想いを伝えたいなんて思いもしなかったのに。
「あほらし」
「本当にね」
こうして笑いあえるだけでも幸福で、少し悲しい。伝えたい言葉さえでてこない自分に。そして優しいユーリに。

この温かい目隠しが外れたときに、せめてユーリが笑っていてくれればいいと考えて、俺が言葉にできる範囲の伝えたいことを言葉にしてみせた。

器の中から溢れてしまったのなら、どれだけ悪あがきしたって、目の前になる事実は変わらないのだから。
「ねえユーリ。俺たちはまたあえるかな」
真っ暗な中に、少しだけ光がさした。ユーリの優しい手のひらがゆっくりと離れていく。

それを寂しいと思ってしまう自分がいることに、なにが真面目な性分なんだろうと笑いたくなった。

やっぱりただ臆病なだけだ。

でも、臆病だってなんだっていい、ユーリの手は優しくて、俺はそれが離れていかなければいいのにと思っているんだ。

ならばせめてこれを最後にしないでくれ。




リクエストありがとうございました!
せつないゼロロイもしくはレイユリというリクエストでした。思い浮かんだネタ的に、レイユリで。
せつないというよりも、捻じ曲がって気持ち悪い三十代(乙女思考)みたいな感じになってしまいました。



09・10・22