かわったなと思う。
何がときかれれば、いろいろなことがと答えるしかない。それくらいあたしにとってたくさんのことがめまぐるしく姿を変えていった。
それはあたし自身が身を置く環境であったりスタンスであったり、そしてあたしを含んだ世界のあり方であったり、本当に多種多様なことだ。

内面的もしくは環境の変化であればいい、だけど世界の仕組みの変化、見えない部分での法則性の変化はあたしの知的好奇心を大いに刺激した。
時間がどれだけあっても足りない。手を伸ばせ出せば限りなく枝分かれしていくように、たくさんの可能性があたしに叫びかけていた。

睡眠、食欲、性欲、人間の根本である三大欲求と肩を並べるようにあたしを突き動かす、知識欲だとか知りたいと思う気持ちだとかが、
自分の中でわあわあと暴れだしそうなくらいに、叫び声をあげていた。
研究者としての性なのか。失ったものと得たものと、そしてかわったこと。
たくさんのことがあったはずなのに、こればっかりは変わらないなと、自分に対して諦念にも似た気持ちが湧いてくる。

そう、あたしは自分の知的好奇心を刺激するものには、惜しむことなく時間と気力を注ぎ込むことができる。
だけど、こればかりは興味がもてないわ。

自分の手の中にある、いかにも女の子然とした布の塊。つまるところ洋服。
布をつぎはぎして作られた洋服。一般的な道徳的概念と倫理規範から逸脱することなく、日常生活に支障をきたさない適度の機能性があるなら、
というより着ることができれば洋服なんてなんだっていいと思うんだけど、この売り場にいる女の子たちは違うらしい。
あたしにとって退屈でしかない時間を、まるで狩人みたいな目をしながら一つ一つ吟味して、
あれでもないこれでもないと終わりのないハンティングを楽しんでいるようだ。

その真剣な目と集中力は、あたしが研究にいそしんでいるときに少しだけ似ている気がする。
興味がないからといって、ぼうっと過ごすわけにも投げ出すわけにもいかず、目の前にあった機能性があるとも思えないドレスを手に取り、
吟味しているような振りをする。一応、目的があってきたのだ。途中で投げ出すわけにはいかない。

「こっちの方がいいんじゃないかしら」
ずいと、目の前に白い手が伸ばされる。真っ赤なサテン生地に、大きく胸の開いたドレス。
胸元に添えられているリボンのおかげで、申し訳程度に胸元は隠れるようになっている。
でも、リボンが目を引くから、余計に胸元を強調しているようで意味がない。それに加えて、他のドレスよりもスリットが深めに入っていることを加味してみても、
あたしの考える道徳的概念と倫理規範、まあわかりやすく言うならあたしの趣味には合わない。

あたしに勧めた張本人であるジュディスが、なかなかいいんじゃないかしらと乗り気で目を細めた。
たぶんジュディスが着たなら、尋常じゃないくらいに注目を集めることになりそうだ。

あのおっさんが見たなら、興奮のあまり鼻血でも出して倒れてしまうんじゃないだろうか。そういった光景がリアルに脳裏に浮かびため息をつきたくなった。
そして、それと同時に少しだけ懐かしくなる。もう長い間顔を見ていないのに、あの二人はあたしの記憶の中で霞むことなく生きている。

旅路をともにしていたジュディスと一緒にいるせいで、なんてことない切っ掛けであの頃の記憶が刺激されるというのもあるのかもしれないけど。
でもまだ、なんてことない些細なことといいながら手繰り寄せられる程度に、あたしの中に焼きついていることを、否定できない。

「それなら、こっちの方がましよ」
適当に手にしただけの真っ白な塊を差し出す。
白を基調としたふんだんにフリルをあしらってあるドレス。露出は少ないけれど、逆に暑苦しそうだ。
実際に着てみたなら、幾重にも薄い布が重なっている、胸元から裾へと広がるAラインがふわふわと空気をはらんで膨らむことだろう。

普段の自分からは考えられないような少女趣味。
だけど、ジュディスが選ぶ情熱的というか、アピールポイントを間違えているとしか思えないチョイスよりはだいぶましだ。

あたしの差し出したドレスと睨めっこして眉間に皺を寄せているジュディスは、こっちの方がいいと思うんだけどと少しだけ残念そうに、
真っ赤なそれを売り場に戻した。そこまで勧めるなら自分できればいいのに。

こうして砕けた態度を見せながらも、いつも一歩ひいているようなポーカーフェイスのクリティア族は、あの二人のことをどう思っているんだろう。
たぶん、蔑ろにしているなんてことはないと思うし、あたしたちと同じように心のどこかに二人を囲っているはずだ。

わざわざ口にだして確認しあったり話し合ったりしたことはない。どちらかといえば、意識的に避けていたのかもしれない。
あいつらなら大丈夫に決まってるでしょなんて嘯きながら、今ごろ何してるのかしらねなんて匂わすみたいに笑いながら、核心に触れることはなかった。
信じてるっていえば据わりはいいのだろうか。
たぶん、どこかで元気にやってるんじゃないかしらっていう希望的観測にも似た想いが、あたしの中にはあったし、あたし以外のみんなにもあったんだと思う。

二人がいなくなったと知ったときに、誰も嘆きはしなかった。
あたしも、エステルもカロルも。慌てはしたけど、嘆いたり絶望したりはしなかった。
そしてジュディスも。小さくそうと言っただけで、それ以上も以下もなく。

「じゃあ、これはどう」
ぼんやりとした思考を遮られるように、差し出された紫。
あまりのも鮮やかなヴィヴィットカラーに目がチカチカするような気がする。自分は一体どこにこれを着ていくのかと、自問自答したくなるような色だ。
さっきのサテン生地の赤の方がまだマシだ。

「ちょっと派手過ぎるんじゃない」
ため息を着きたくなる気持ちを抑えて首をかしげると、じゃあこれはと深緑色のドレスを見せられる。
今度こそ、たまらずため息をついてしまった。本当に、面倒だ。あたしにはあわない。ドレスも、こうやって洋服を選ぶことも。
この時間を研究に費やした方が、よりよい成果を生み出せること請け合いだ。

「あなたの趣味って難しいわ。こんな調子じゃいつまでたっても決まらないわね」
肩をすくめたジュディスに、同じことを言い返してやりたい気分だ。
「あんたには負けるわ。本当はエステルに借りようと思ったんだけど、サイズが合わなかったんだから仕方ないでしょ」
「まさか、主役から借りるつもりだったの……?」
いつもと同じように青い髪を結い上げているジュディスが、あのドレスと同じような真っ赤な目を見開いてあたしをみた。
言外に信じられないと言う含みを持って責められている気がして、さっと視線を逸らす。
この苦行を一秒でも早く終えるために、次こそ自分の耐えられそうなドレスを探す作業に従事することにした。

「あーあ、ドレスコードなんて面倒なだけだわ。本当に馬鹿っぽい。服なんて着れれば何でもいいのよ」
「ここでそれを言っちゃお終いじゃないかしら」
そう言われてぐるりと売り場を見渡す。
相変わらず可愛く着飾った飢えた獣たちが、さらに自分を魅力的に見せるための道具を追い求めて店内を徘徊している。
あたしもその中の一員だと思われてしまうのは、歯噛みしたいような気分になるからやめて欲しい。

「でも、反対しないのね」
誰が切ればその魅力を遺憾なく発揮できるのか分からないドレスを戻しながら、ジュディスが小さく笑った。
その笑いは結果の分かっている解答に向けられた揶揄のようで、小さく眉をしかめて苦虫を噛み潰したような表情になる。

「反対って、エステルのこと?」
いまこのタイミングで切り出されるのだから、聞かなくたって分かっている。
でも最後の意地を張るみたいに、なんでもないふうを装って聞き返すくらいあたしにだって許されるはずだ。

「それと、フレンのこと」
にっこりと穏やかな笑みを見せたジュディスに訂正される。これは、エステルだけじゃなくて、フレンと彼女の問題なのよと、言い聞かせるように。
穏やかだなんて、その内面に乱暴な激情を飼っているジュディスには似合わない。
なのに妙に堂に入っていて、まだ納得し切れていないあたし自身を暴かれているような気分になるから不思議だ。そしてそれを不快に思っていない自分も。

「仕方ないじゃない、エステルが決めたんだから」
言い訳みたいだ。
誰に対してなのか分からない、言い訳。

少し前に、エステルから話を聞いて、ほんの少し前に、自宅に形式的な招待状が来た。
結婚、するのだという。自分にとって永遠に関係のないもののように思えた事柄が、いまになって急に目の前に突きつけられた。
直接的には、あたしに関係のないところで。

必死になってあたしに説明をするエステルを見つめているだけでは、現実味のないふわふわとしたことだったのに、
エステルの持つ家紋がシーリングされた封筒を開けて格式ばった招待状を見たときに、ああ本当のことなんだと、すとんと落ちるように実感してしまった。

エステルとフレンは、結婚するのだ。
帝都全域に広がっている、覆しようのない事実。
上手く折り合いをつけられないでいたあたしをあざ笑うかのように、世間は煩いくらいのお祝いムードだ。
一度訪れた世界の危機と、強制的に世界の仕組みを作り変えられ、不便な生活を強いられていた人々にとっては、
その鬱憤を晴らすことができるような目出度い出来事だったんだろうと思う。

そんな出来事に対して、仕方ないじゃないというあたしは、意地を張って負け惜しみを言っている子どもみたいだ。
でも、あたしに理解して貰おうと必死で説明するエステルの必死さと、おめでとうと言ったときのあの笑顔に比べたら、
ただ納得できないだけの自分を盾にして反対したり嫌味を言うなんて馬鹿みたいなことだ。
それに、あたしじゃなくたって、もしもあの二人がいたなら笑顔で祝福していたはずだ。おっさんあたりは感極まって泣いてそうだ。

そういうことを想像すると、あたしも祝福してあげたいと思ってしまう。
だから、もう少しだけ待って欲しい。
まだ上手くエステルが少しだけ遠くに行ってしまうことに折り合いを付けられずに、心の中で子どもじみた言い訳をしている自分を。

「あんなに真剣に悩んで、エステルが決めたことなんだもの、祝福しないわけがないじゃない。そういうあんたはどうなのよ」
何かをはね除けるように腕を組んで、あたしの趣味には合わないドレス選びをしていたジュディスに問いかけると、
小さく首をかしげて視線をさ迷わせた。

「そうね、私が言うことじゃないのかもしれないけど、しあわせならいいんじゃないかしら。とても単純で分かりやすくて、でも大切なことよ」
なんでもないことのように言い放ったジュディスは、いままでの色合いとは正反対のクリーム色の柔らかい印象を受けるドレスを差し出した。
普段の淡白さからはかけ離れた、燃えるような赤い瞳は静かに凪いでいる。

「これなんてどうかしら」
何度目とも分からない提案。いままでのヴィヴィットカラーが嘘のような、目に優しい淡いパステルカラー。
露出は控えられ、長めの裾からは落ち着いた雰囲気を感じる。でも、控えめに施された装飾の助けで地味すぎるといった印象はない。

「いいんじゃないの?」
ジュディスはあたしの他人事みたいな返事を聞き流して、勝手にドレスを合わせて真剣な目で見定めだした。
「ねえ、あいつら来ると思う」
傍にあった鏡に映るドレスを合わせている自分、そしてその隣でそれを真面目くさった顔で眺めているジュディスを見つめてポツリともらす。
さよならは聞いていない、あたしもジュディスもエステルも、カロルもラピードも。
でも、いつまた逢えるかは、あたしの知る公式や術式に当てはめてみても、到底知ることはできそうになかった。

「さあ、どうかしら。最近ザーフィアスに美味しいクレープ屋さんができたのしってる?
案外、あそこで張ってたら、二人とものんきな顔して食べに来るかもしれないわよ」

あたしのドレスを見定めていたときみたいにいたって真剣な顔に、冗談なのか本気なのか分からなくなる。
まあ、ジュディスの発言はいつもそんなものだけど。でも、この場合は、なんだか冗談じゃないと否定できないから怖いところだ。

「ありそうで否定できないわ」
単純なその提案に賛同すると、ジュディスは笑みをもらして鏡に映るあたしを見た。
「これ、似合うんじゃない」
「うん、悪くないわ」
そう、悪くない。
エステルがしあわせであればいい。分かりやすくて、そして、あたし自身が願って止まないことだ。

もしも、エステルが泣いてしまうようなことがあれば、フレンにはいまはまだ実験段階にある新しい精霊魔法の実験台になってもらえばいい。
だけど、その前に、何も言わずに姿を消した二人にもお見舞いしてやりたい気分だから、順番待ちになりそうだ。
まだ構築途中だった術式を手繰り寄せて肉付けしていくと、なんだか鼻歌でも歌いだしたいような陽気な胸がすく思いがした。
やっぱり、お腹の足しにもならないドレスコードのために同じようなデザインの布と睨めっこをしているよりも、
頭の中で繰り広げられる数字と公式と理論のワルツの方があたしの性に合っている。

「あいつらなら、パーティーで探すより、クレープ屋の前で待ち構えてる方が楽かもね。ドレスコードなんて存在しないから」
「それもそうね。私も、堅苦しいのはあまり好きじゃないの。どうせなら今度本当にやってみる?」
考えとくわと小さく返して、この退屈な空間とおさらばするために、ジュディスの腕の中からドレスを奪いとった。








09・5・17