そうだ、こんな感じだったじゃないか。
年甲斐もなく胸を占める想いに、苦笑いしたくなるような、浮き足立つような、正反対の口舌しがたい気持ちをいだく。
何年も前に捨てて久しいものだ。こういった痛みも喜びもじれったさも苦しいさも、
いつの間にか美化されていく昔語りの中にしか存在していなかった。
ああ、こんな感じだったよと誰にでもなく語りかけて、少しだけ泣きたくなった。懐かしさとは違う、漠然とした思い。
美しくもきれいでもない。人間らしいとしか言いようのないもの。
ほんの少しのことで気を落とし、些細なことで嫉妬して、くだらないことで気をそぞろにする。
そして、垣間見みたいにしてのぞき込んだ相手の気持ちを、自分の希望的観測で歪みきったフィルターを通して、胸躍らせるのだ。
こればかりは、心を通わすことを知ろうと、年相応に体を通わすことを知ろうと変わらないのだなと、訳知り顔で頷いてみた。
多大なる苦しみと癖になるような高揚感をもたらす。大概にして、恋とはそういうものだ。
いったん意識してみると、思いだしたくもない痛ましい過去やら、くすぐったい思い出がありありと脳裏に浮かんでは消えていく。
そのときは必死だったんだろうが、いまになってみれば滑稽としか言えないのが我ながら涙をそそる。
忘れようと思えば思うほどに鮮明になっていく記憶に、消えろ消えろと自己暗示をかけてみてもまったく効果はないようだ。
ギルドや騎士団時代、さらに遡って入団前の出来事まで思い出してきた。
そこまできて、はたと、自分は誰かを好きになっても、好きであればあるほどに心を通わせたことがないなと気づいてしまった。
三十を超えて悲しく残酷なことだが、変えようもない事実だ。大体が、誰かに想いを寄せるなんて、もう何年も経験していない。
好きになって熱を上げた分だけ、臆病になって距離感をつかめなくなる。そしてタイミングを逃して、いつの間にか背中さえも見えなくなっていく。
結局最後に俺に残される選択肢は、自分が満足するまですがるみたいに思い続けることだけだ。
基本的に恋愛運がないのかもしれない。
そう考えてみると、ユーリたちにもてないもてないと囃し立てられていたのも、あながち外れてはいないような。
いやでも、好きになった人には振られ続けてきたが、それ以外の女性にはそれなりに想いを寄せられていたはずだ。
自分で言うのもなんだが、騎士団では上から数えた方が早い役職で高給取りだったし、ギルドでも幹部クラスだったから名前だけは売れていた。
そういう華々しいものに惹かれる女性からは引っ張りだこだった。まあ、それはそれで空しい訳だが。
お互いにここまでと割り切ったお付き合いだって擬似的な恋愛体験ができたわけだから、捨てたものでもなかった。
でもやっぱり寂しいのかもしれないなと小さくため息をつくと、隣から不機嫌さを隠そうともしない声が聞こえてきた。
「ため息つきたいのはこっちだよ」
足を組み替えたユーリは退屈そうに欠伸をして、ぼんやりとしていた俺に視線をやった。
「え、いや、べつにそういうあれでため息をついたわけじゃないんだけど」
ユーリはあれとかそれとか意味わかんねえよと悪態をつくと、ベンチの背もたれに体を預けて大きく伸びをした。
まさか、いままでの恋愛遍歴に想いを馳せていましたなんて言える訳もなく、適当に誤魔化すための話題を探ってみるが、
こういうときに限って何も浮かばないから嫌になる。
「なにが悲しくて、カップルばっかりの公園のベンチで、三十路真っ盛りのおっさんと肩を並べなきゃいけないんだ。
何かおかしいだろ、いや疑問を持つオレの方がおかしいのか?」
真っ白なザーフィアス城が茜色に染まる夕暮れ時、市民街中心部にある公園には、周りの見えていない恋人同士であふれていた。
特に、噴水の前においてあるベンチは、俺たち以外カップルが占拠している。場違いなのは、俺とユーリの方だろう。
「しょうがないでしょ、リタっちとジュディスちゃんが、一番分かりやすい待ち合わせ場所だとかいって、ここを指定したんだから」
「確かにな、確かに分かりやすいだろうな」
「これだけ浮いてれば、すぐに見つかるだろうね」
最初に到着したのは俺で、早く着きすぎた時間をつぶすために一人でベンチに座っていたら、次にユーリが姿をみせた。
立ったままもなんなので、空いていた隣の席を譲ると、それからどんどんとカップルばかりが増えてきて、
一番乗りだったはずの俺たちのほうが、居た堪れなさを押し殺さねばならなくなったのだ。
「もうすぐ時間だろ」
「あーっと、あと五分くらいかな」
薄暗いせいで読みにくい文字盤を凝視して告げると、わかったという気のない返事が返ってきた。
確かに隣に座るように声をかけたのは俺の方だったが、あまりの散々な言われように、隣にいるユーリを盗み見てみると、
その表情は言うほどに険悪なものではない。そのことにわかりやすく安堵をいだいて、胸をなで下ろした。
口を開けばぞんざいな言葉がでてくるというなおざりな部分もあるから、こんなことでいちいち気を落としていたら、そのうち倒れてしまいそうだ。
「でも、ユーリとこうやって待ち合わせとかするのって、変な感じだわ」
「そりゃあ、少し前までは嫌でも毎日顔を合わせてたからな」
だけど、あの旅はもう終わってしまって、日常がかえってきた。
だから、こうやってわざわざ時間を合わせて待ち合わせなければ、逢うこともままならなくなってしまったのだ。
みながみな、帝都に住んでいるわけではないし、忙しく旅を続けていたり新たな環境に身をおいたりしている子もいる。
だから、自分たちからアプローチをかけていかなければ、あっという間に時なんて過ぎていってしまう。
「そう思うと、おっさんと二人ってのも久しぶりだ」
「青年ったら、薄情だから遊びにきてくれないんだもん」
「あんただって似たようなもんだ。一回も顔見せに来たことないだろ」
「なに、ユーリったら俺がくるのを待ってたのか?」
本当はユーリが留守のときに下宿を覗きにいったことがあるんだが、誰にも言付けてこなかったから伝わっていないらしい。
俺が来ないことを不義理のように言ってみせるユーリをちゃかして真っ黒な瞳を覗き込んでみると、勝手に言ってろという返事が返ってきた。
いつもみたいな呆れたような顔をしているのかと思ったのに、ユーリは少しだけ視線をさ迷わせて俺に視線を向ける。
「こないだ用事のついでにダングレストに寄ったら留守だったじゃねえか」
「へっ」
「だ、か、ら、このあいだギルドの仕事のついでに、わざわざ顔見せにいってやったのに、あんたが留守だったって言ってんだよ。
おおかたナンパでもして振られてたんだろ」
「このあいだって、いつ」
「えーっと本当に最近だぜ。帝都に帰ってくる少し前くらいか」
それって、ちょうど俺が仕事で帝都に来て、空いた時間でユーリと飲みにでも行こうかと下宿に行ったときくらいの話じゃないか。
いないと思ったらダングレストにいたのか、いやそうじゃなくて、ユーリが俺を訪ねてきてくれたとか本当に。
俺誰からも聞いてないんだけど。あ、いや、聞いてないのはいままで帝都での仕事にかかりっきりでダングレストに帰ってないから仕方ないのか。
「まじで?」
「まじだよ。こんなことで嘘付くわけないだろ」
それはそうだ。そんな嘘、誰も得しない。
「うまくタイミングがずれてたわけね」
「なにが?」
「なんでもない。ユーリ、今度からは連絡してから遊びにきてよ。俺も、仕事で留守にしてるときがあるんだから」
「あー、気がむいたらない」
面倒くさそうに欠伸をしたユーリは、噴水の傍に設えてある時計を睨みつけて時間を確認している。
この調子だと、連絡なんてしてこなさそうだ。もともとが筆まめとも思えないので、連絡が着たら奇跡くらいに思っておいたほうがいいだろう。
「遅い。事故にでもあってるんじゃねえの」
さらっと不吉なことを言うユーリをたしなめて、時間を確認すると、確かに約束の時間はとうに過ぎ去っている。
リタっちにジュディスちゃんにカロルくん。カロルくん以外はマイペースな面子だから、今ごろになって、あらそろそろ行かなきゃ、
とか準備を始めていてもおかしくない。というか、リタっちとか研究に必死になりすぎて、気づいてなさそうで笑えない。
「女の子はおめかしに時間がかかるんだよ。おっさんのためにがんばって用意してくれているに決まってる!」
間違っても、襲った方が後悔しそうな彼女たちに、心配は要らないだろう。適当に理由を考えて笑ってみせると、
ユーリがわかりやすくため息をついて、肩をすくめてみせた。茜色に染まった顔には、呆れていますとわかりやすく書いてある。
「あんたって本当に……」
「な、なに」
「なんでもない。とりあえず、オレは一回顔見せにいったんだ、次はあんたがこいよ」
本当は、俺も行ったんだけどね。わざわざ主張する必要もないことを胸のうちで呟いて、はいはいと返事をした。
まあでも、これで次の約束を取り付ける切っ掛けができたわけだから、よしとしておくべきなのだろう。
ちょっとしたことに気を落として、ほんの少しみせられた手の内に過剰の期待を寄せていく。まったくもって、やりにくいったらない。
だけど、好きになってしまったものは仕方ないんだろうなと、諦めにも似た思いで、少しだけ髪の伸びたユーリを盗み見た。
「青年が逢ってくれるっていうなら、遊びにいくさ」
「顔見せに来るのはいいけど、土産もちゃんともってこいよ」
久しぶりに聞くユーリの声に耳を傾けながら、もう少しだけ遅れてきても大丈夫だよと、まだ姿をみせないジュディスちゃんたちに念じて、
小さく笑った。
09・4・10