栄えあるザーフィアス城内部とはいえ、地下にしつらえられた牢屋は城内の華やかさとは隔絶された、薄暗く寒々しいものだった。
ユーリはもたれかかっていた石の壁から上体を起こし、城内に部屋が用意されているにもかかわらず、
どうしてか質素なベッドに寝転がっているレイヴンの顔を覗きこんだ。
必要最低限としか思えない光の中に浮かんだレイヴンの顔は、いつも飄々としている道化じみたものとは違い、隠し切れない疲れを感じさせる。
なんとかエステルを助け出すまでに、移動要塞ヘラクレスからゾフェル氷刃海をへて、このザーフィアスまでほとんど強行軍ともいえる状態で進んできたのだ、
疲れを感じないほうがおかしいだろう。
「おっさんもう寝てるのか」
 しんと静まり返ったなかに、ユーリの声が響く。それに反応するように、レイヴンは何度かまばたきをして、ユーリを視界にとらえた。
「いんや、このとおり起きてますよっと」
レイヴンは勢いよく体を起こすと、胡坐をかいてベッドの真ん中に座り込んだ。
「さすがのおっさんも、決戦前にはゆっくりと休んでると思ったんだがな」
「いやね、体は休息を求めてる気がするんだけど、なんだかいろいろありすぎて目が冴えちまってね。この十年変わらなかったことが、
おまえさんたちと出会ってどんだけもしないうちに、こんなにも目まぐるしく変わっていくなんてな」
「若者との旅は刺激的で、おっさんも少しは若返ったんじゃねえの?」
茶化すようにユーリが言うと、レイヴンはまさにそのとおりとばかりに大きく頷いた。それにあわせて、後ろで一つにまとめられている髪が上下にはねる。
「若返るどころの話じゃないわよ。死んでたのが生き返ったんだからね」
ふざけた様な口調ではあったが、レイヴンの表情は真剣そのものだ。
「二回人生送れるやつなんて中々いないぜ、運がいいんだか悪いんだか」
死んでいたものが急に生き返るということも、一度死んでしまったものが無理やりに生を与えられることも、ユーリには想像できないことであったし、
それ以前に生きながらにして死んでいるということが理解が出来なかった。
でももしかしたら、騎士団をやめその日を気ままに生きていたときのユーリも、フレンからみれば死んでいたユーリだったのかもしれない。
そうだったとしても、レイヴンのそれとユーリのそれには大きな隔たりがあった。
世界の心理のようにして誰にも覆すことの出来なかった死を迎えたはずなのに、いまユーリの目の前にいるレイヴンはその法則性さえも捻じ曲げられて、
二度目の生を与えられたのだ。視界がブラックアウトし、自分という存在が緩やかに消えていったその先にみた青空に、この男は何を思ったのだろうか。
飄々として語られる全てはユーリの想像を超えることばかりで、今更ながらに、生きていればいろいろあるというレイヴンの言葉の意味が、重さを増した気がした。
「昔から悪運だけは強いのよ。だからあの戦場の中でも生き残れたし、いまだってここにいる。たとえ道具という触れ込みで延命されたんだとしても、悪くなかったと思うよ」
皮肉ったように笑うレイヴンに、ユーリは苛立ちを隠さぬ声で彼の名前を呼んだ。うす暗い中にユーリの声が反響する。
「普段はクールだってのに、たまに嘘みたいに熱血だから困るよ、我らがリーダーは」
「勝手に言ってろ。あんたが困ったって俺には関係ないんだ」
「酷い言い草」
レイヴンはがくりと肩を落とすが、ユーリはそんなこと気にも止めずに腰を折って、ベッドに座っているレイヴンに顔を近づけた。
暗い中に更にユーリの影が落ちる。それを避けるように後ろに下がるが、すぐに石の壁に阻まれて、
レイヴンは諦めたように真っ黒なユーリの瞳を見た。そこには闇を受けた黒しかなく、感情を読むことは出来ない。
「あんただって道具なんかじゃない。エステルが人間であるように、レイヴンだってそうだ」
レイヴンは小さく息を呑んだ。いつだって自分はふざけたようにして核心から逃げるのに、ユーリはそれを許さないのだ。
その目は感情を映さない代わりに、逸らされることなくレイヴンへと向けられている。
男にしては白いユーリの手が静かに伸ばされ、レイヴンの髪をまとめていた紐を解いた。
いままで結われていた髪は癖ひとつ残すことなく肩へと流れ、長く伸びた前髪は彼の左目を隠してしまい、がらりとレイヴンの雰囲気を変える。
そんなさまをユーリは目を逸らすことなく見つめ、迷いなく口を開いた。
「そしてシュヴァーンも」
普段は結い上げられていた髪を解いたせいで、レイヴンの表情をうかがう事はできない。だが、石の壁と同じくらいに冷えた手が、ユーリの頬を撫ぜた。
ユーリもまるでその存在を確かめるかのように、冷たい手を取りレイヴンの名を呼ぶ。
「ユーリ、おまえは」
言葉を切ったレイヴンは、何かを打ち消すように首を左右に振った。
打ち捨てられた言葉をユーリはもう知ることは出来ないけれど、言いよどんだ先にあるものが自分が望んで物であればいいと思いながら、レイヴンの首に腕を回した。
「あんたが望むようにすればいいんだ」
「難しいこと言ってくれるじゃない」
子供に言い聞かせるような声色に、レイヴンは力なく笑った。その笑いは涙にも似ていて、ユーリは答える代わりに、あやすようにレイヴンの背をポンポンと叩いた。
レイヴンは投げ出したままだった腕をユーリの背中に回して彼の体を引き寄せた。中途半端な姿勢で抱きしめられたユーリはバランスを崩し、
レイヴンもユーリの体を支えきれずに、二人してスプリングがきいているとはいえない安っぽいベッドの上に倒れこんでしまう。
「ユーリ」
ベッドの上に転がったまま、動こうとしないレイヴンは小さく、でもよく通る声で自分の腕の中にいる男の名前を呼ぶ。
ユーリは自分のものよりも明るい色をした黒髪を手櫛で梳いて、翡翠色の目を覗き込んだ。
静かな湖畔のように澄んだ翡翠色は、この男が隠している激情を感じさせない穏やかさを装って、ユーリの姿だけを映していた。
でも、見えないだけで、縋るような色合いさえ感じさせる気がする。
そしてたぶん、ユーリ自身も同じだ。
「すまない、ユーリ」
「こういうときは、もう少し前向きな言葉が欲しいんだよ」
「そりゃあ悪かった、この歳になるとそうそう無邪気ではいられなくなるんでな」
距離が近いせいで、レイヴンが笑っただけでその振動が伝わってくる。
傍から見れば、いい年した男同士が抱き合っているなんて気が狂ってるとでも思われそうだったが、
ユーリはいまだけそう思う自分を押し殺して、レイヴンのしたようにさせていた。
それに、ユーリだって自分を抱きしめている男の体温を感じるのは不快ではなかったのだ。
疲れているせいなのか、人肌ってやつが心地よく感じられる。
体温だけは素直に伝わってくるのに、口を開けばああいえばこういう素直とはいいがたい性格は、互いの性分なのだろう。
耳身元で囁かれたありがとうという言葉にくすぐったさを感じたユーリは、そっと瞼を閉じた。




09・3・29