帝都の象徴であるような城内にいたはずなのに、一歩地下に踏み入れただけで雰囲気が一変する。
かび臭く湿った空気、閉塞感のある牢、光の入らない形だけの明り取り窓。
真夜中と呼ばれる時間に近いせいか、陰惨な空気は自分の記憶の中にあるものよりも助長されている。

普段なら入り口のところに見張りがいるのだが、その姿はない。
今ごろどこをほっつき歩いているのか、誰かと楽しんでいるのか知らないが、俺にとってはありがたいだけだった。
まあ、こうなるとわかっていて今夜を選んだわけだが。

いつまでたっても平行線。半ば睨み合いみたいになっていた。
すぐに意見を変えるとは思っていなかったけど、こんなにも頑固だとは想像していなかった。
これが長所なのか短所なのかと聞かれれば、首をかしげずにはいられない。
でも、久しぶりに見れた元気そうな姿に、安心することができた。
その安心引き換えに、怒りにも似た焦りと、伝えたいことが伝わらないじれったさを手に入れてしまった。

「いつ後ろから刺されたっておかしくない、自分が死ぬかもしれない。人を殺すってのはそういうことだろ」
「そうだとしても、おまえさんがいなくなるなんておっさん嫌よ。みんながそう思ってる」
「惜しまれてるうちが花ってな。潔く幕引きさせてもらうわ」
こんなにも引き止めているのに冗談みたいにして笑うこの男に、焦がれるような思いを超えて怒りとも悲しみとも付かない感情がわきあがってくる。
死ぬなといったおまえが、そうやって死を受け入れるのか。もう、この命はおまえのものだというのに。
所有物であってもいい、隣にいたいとそう思ったのに。堪らなくなって俺とユーリを隔てている檻を叩くと、
金属と皮膚がぶつかる無機質な音と骨にまで響くような痛みが走った。この痛みさえ生きている証だとユーリはいった。
腕を伸ばしてすぐ近くにある腕を掴もうとすると、冷えた牢屋にいるせいで透き通るように白く冷えたユーリの手のひらが、
逆にまだ軽く痛みの残る俺の手のひらを掴んだ。こうやって近くに感じるぬくもりが、失われてしまうんだという。笑える話だ。
この男が死ぬことを俺は望みはしないのに、ユーリが貫こうとした正義だとかいうものが、この男の命を奪うんだ。

「そんな顔するな」
十四歳年下の男は、優しく笑った。死を前にしても、漆黒の瞳には変わりない光が宿っている。
自分の目の前に迫っている現実を知らないのかとも勘ぐったが、それほど愚かではないし、もっと聡明なはずだ。

ただ、少しだけやつれた姿と光を失わない瞳、その落差に彼が与えられている現実を余すことなく突きつけられている気がした。
「そんな顔って、どんな顔よ。こんなに格好いい男は中々いないってのに」
ふざけたように笑ってみせても、作ったような笑い声が、むなしく反響しただけだった。
わななく唇が本当に伝えたいことをどれだけ叫んでも、目の前でいつもみたいに笑うユーリには届かない。
なのに、俺がほしいと思ったものばかりを与えようとしてくれる。

「今にも」
握られたままだった手のひらに、ぎゅっと力がこめられた。
「泣きそうな顔だよ」
こらえきれないものは、怒りではなく悲しみなのか。それとも無力な自分への苛立ちなのか。
握られていた手が開放されて、今度は頬に添えられる。見えない涙でも拭うかのような動きに、幼子のときにみた母の姿を思い出した。

「頼むよユーリ、お願いだから。なあ、俺が死ぬまででいい、どうせ長くは生きられない、おまえが命を捨てるというなら、
後先短い俺の道楽に付き合ってくれよ」

「あんたみたいなおっさんは、殺しても死なないだろ。どうせなら、可愛い嫁さんでももらって、楽しい新婚生活でも送ってみたらどうだ」
「悲しいこといわないでくれよ」
「それはこっちの台詞だ。あんたはあんたの好きなように、生きればいい」
「俺は好きなように生きる。可愛い奥さんなんていらないから、長生きできるっていうなら、長い人生最後まで付き合ってくれよ」
ユーリは小さく笑って、首を横に振った。それに従い、長く伸びた髪が揺れる。
艶やかだった黒髪は、艶を失い地下牢の隅にある真っ暗な闇みたいな色をしていた。

「わかってくれよ」
「何を理解しろと。死ぬなんて許さない」
「おっさん」
「ユーリが死ぬなんて」
「レイヴン」
なんだか、一世一代の告白みたいだと、冷静な自分が笑っていた。でも、どんな女性を口説き落とすときよりも、情熱を傾けている気がする。
「レイヴン、あんたといると調子が狂う。でも、そういうのも悪くないかなって、思うときもあるんだ」
「たとえば?」
「たとえば、いまこの瞬間とかな」
俺は最低なんだろうな。強引過ぎる男は嫌われる。でも、自分でわかっていても止められないときって言うものがあるものだ。
ユーリがつぶやいた言葉に、脳内で自己弁護を繰り広げながら、胸元から小さな鍵を取り出した。
古く錆びた鍵穴に鍵を差込回すと、ガシャンという音と金属がこすれるような音がして、あっけなく鍵が開いた。
俺たちを隔てるものはこんなにも、些細なものだったのだ。古臭い鍵一本であくというのに、世界の終わりみたいな強引さで、俺たちを阻む。

「ごめんね、ユーリ。おっさん、ユーリのこと気に入ってるのよ」
「何でそんなの持ってるんだよ、反則だろ」
手元にある古びた鍵を見て、ユーリは嫌々をするように首を振った。
でも、その仕草とは対照的に唇は弧を描き、愉快な喜劇でも見ているかの表情を浮かべている。
俺の強引さに対する諦めなのか、それともユーリの持つ悪戯っこじみた側面がこれから起きることへの期待を募らせているのか、
俺にはわからなかった。だけれども、ユーリらしいといえる、その笑顔に懐かしささえ感じた。

「俺の好きなように生きろといったのは誰だっけ」
「オレだな」
少しだけ視線をさまよわせ、ため息とともに滑り出したのは観念したような自白の言葉。
俺はずるいから、ユーリがあんなこと言わなくたって同じことをしただろうし、もともとそのつもりで今日を迎えたのだ。

石の壁に背中を預けていたユーリは逃げることも、俺を罵ることもなく、まっすぐにこちらを見つめてくる。
「こんないたいけなおっさんをそそのかした責任は重いからな」


ユーリ、もしもお前が望んでこの手をとってくれたのだとしたら、それ以上望むことなんてないんじゃないかって、そう思えるんだよ。







09・1・24