ああ、と小さく呟いただけで、冷たい石の壁に自分の声が反響して、誰にも拾い上げられることなく返ってくる。
ここは一人だ。いや一人じゃなくて、入り口のところに見張りの兵がいるが、そいつらはオレを冷めた目で見つめるだけで、
話し相手になってくれることは希だ。そうだとするなら、やっぱりここにはオレ一人なのか。
することもないので、時間の感覚が曖昧になっていく。薄れていく時間感覚のせめてもの指標となるのは、
鉄格子のはめ込まれた小さな窓から見える切り取られた空と、定時に配膳される美味いとは思えない食事だった。
今日の配膳係は無駄口の多いやつで、昨日から続いていた雨がやんで、雲ひとつない青空が広がっているといっていた。
だが、もう何日もこの快適とはいえない場所に拘束されているオレにとっては、雨が降ろうが槍が降ろうが関係のないことだった。
昔は十日ぐらい我慢しておけば、上っ面の反省だけでこの場所からおさらばすることが出来だが、もうオレはここから出ることはないのだろう。
だとするなら、少しだけ不思議な気分だ。その、雲ひとつない青空とやらを拝むことが出来るのは、自分が死ぬときなのだと思うと、
物語をなぞっているような現実味のなさに、うすぼんやりとした空虚だけが残された。
変な話だが、自分だけが隔絶されているような気になってくる。
まだ、裁かれてはいない。まだ、罰を与えられていない。
飼い殺されるように、この狭い檻の中で、終わりに向かって続いていく代わり映えのない日々を送っているだけだ。
でも、この終わりとやらが中々来ないのが厄介だ。やることがないから人間は暇をもてあます。暇をもてあませば、暇をつぶす方法を考え出す。
天井のシミの数を数えるのも、眠りで時間をつぶすのも、眠れないからといって羊を数えるのも飽きてきた。
そうすれば、新しい暇つぶしを考えるしかなくなる。
余分な隙間が出来れば、余計なものがどんどんと湧き出てしまうのだ。与えられる時間が長くなっていくにつれ、余分なものが増えていく。
間違っても口にはしないけれど、不安にも似たものだとか、迷いなんてないと言い聞かせて押し殺してきた感情だとか、
例えば、そう例えるならば、この冷たい石の壁の向こうからあの軽薄な声が聞こえてこないだとか、埋めようのない時間の中を、
懐かしい色合いをした無駄なものや無意味なものが我が物顔で占拠していくのだ。
フレンは騎士団長の任務で帝都を離れているという。
エステルは、何故オレに面会できないのかと見張りの騎士に詰め寄っていた。
その声を聞いたときには、相変わらずだなと苦笑いをしてしまった。それをなだめるような声は、もしかしたらリタのものだったのかしれない。
レイヴンは、ギルドの仕事で帝都に滞在しているらしい。
声を聞いたことも、姿をみたこともないが、暇をもてあましている兵士の口から聞いたことだから、確かな情報だろう。
「どうせなら、もう一回くらいあんたの作ったクレープ食べたかったかも」
まだ自分が、意味をなす言葉をしゃべれるんだと確かめるかのように、呟いた言葉。
でも、返事はない。いつもと変わらず、沈黙の中に反響してきえていった。
背中をあずけている石の壁は、いつまでたってもなれない冷たさと土臭さをともなっている。
そういえば、いつか触れたあの手は冷たくて、あの冷たさは心の奥に隠し続けてきたあいつの悲鳴じみたものだったのかもしれない。
今となっては確認することも出来ないけれど、はたとそう思った。
そしてまた、こうやって縋るような過去を見つけ出し、一人遊びのように夢想するのだ。
この向こうにあったあいつの名残を紐解いている時点で、オレはもう、ああ、だめだ、余分なものばかりが増えていく。
どこかで期待している自分がいるのかもしれない。何に期待しているのか、それを期待と呼ぶのか希望と呼ぶのか、オレには判断がつかなかった。
だから、せめてこれ以上無駄なものを増やさないために、ゆっくりと目を閉じた。
08・12・21