日が沈む。鬱蒼とした森の出口から見える地平線に、真っ赤な夕日がきえていく。
茜色の夕焼けは藍色の夜空へと飲み込まれ、その色を変えていった。
「予定通りといえばいいのかね」
すぐ後ろにいたレイヴンが首をかしげたところで、答えるのはオレしかいない。なんたって、いつの間にやら二人旅だからな。
「むしろ、予定なんてあったのか?」
「なきにしもあらず。クオイの森で一泊するよりは、どこか安全に野営できる場所を見つけた方がいいでしょ」
それに関しては頷くしかなかった。
本当ならば、クオイの森なんか通り過ぎて、デイドン砦経由でハルルに入った方が安全だし手っ取り早いのだが、
砦というだけあって騎士団の検問なしには中に入ることが出来ない。
まあ、デイドン砦の場合はたいていは検問なんていう重苦しいものではなくて、顔パス状態だけど、
昨日の今日でオレの手配書が回っていないなんていう間抜けた希望的観測をいだくほど、お気楽にかまえていられる状況ではない。
どうせ危険を冒して逃げ出したなら、できるだけ遠くまで逃げた方がやりがいがあるってもんだ。
「やっぱり野営か。ハルルで装備品を整えるくらいはいいとしても、あそこに長居はできねぇよな」
「そりゃ、青年たちが頑張ってくれちゃったおかげで、あの街ではちょっとした有名人だからね。街長にでも顔見られたら一発でしょ。
まあ、そこまで手配書が回っていないとも考えられるけどね。とりあえず、今日の朝くらいには城内に情報がいきわたっているとして、
それから先は騎士団の頑張り次第なわけよ」
「どうせザル警備なんだ、情報伝達も上手くいかないんじゃねぇの?」
「ユーリくん、あんまり酷いこと言わないであげて、なんだかおっさんまで胸が痛くなっちゃうから」
「べつにあんたの指導力不足だなんて、誰も言ってないだろ」
「俺様、そこまで考えていった訳じゃないのに……」
レイヴンはがくりと肩を落とすと、ふざけたみたいに胸を押さえながらオレの名前を呼んでいる。
どうやらオレの発言でとても心を傷つけられたということを伝えたいらしいが、そんなことオレの知ったことではない。
だいたい、オレたちは脱獄犯と脱獄幇助犯なのに、まったくもって緊張感がない。
リタあたりがみたら脱力して、もっと緊張感を持ちなさいよとかいいながら、怒り狂いそうだ。
視界を藍色に似た闇が覆っていく。
薄暗い中では視野を確認することは難しくなるが、あたりにモンスターの気配がないことを確認しながら進んでいく。
それらしき影も、オレたち以外の人影も見当たらない。
街から結界魔導器がきえたことで、街自体にも警備を置かなければいけなくなったこともあって、
自分の力で身を守ることが出来ない人々の旅をサポートするところまで護衛のギルドや騎士団の手がまわらなくなり、
モンスターが凶暴になる夜間の旅人の数が減ったのかもしれない。まあ、オレの想像なので、本当かどうかは分からないが。
 
顔を見合わせたオレたちの間で、オレンジ色の炎が舐めるようにその姿を変えていく。
本日の野営地はクオイの森から少し離れた場所に決まった。本当ならばもっと進むことも出来たけれど、
結構な強行軍でここまで進んできたから、疲れた体を休めることが出来るようにと早めの休息を決めたのだ。
「これからどうする?」
「どうするかねぇ」
質問をしたのに、質問で返された。オレたちは一番に話し合うべき今後のことについて、まったくといっていいほど触れてこなかったのだ。
それが、意識的であったか、無意識であったかは別として。
とりあえずハルルで装備を整えるのはいい。着の身着のままで出てきたせいで、呆れて物もいえないほどの貧相な旅支度だ。
このままでは些細なことで躓きそうだから、必要なものは買い揃えないといけないだろう。
「ハルルには長くいられないしな。あんたはダングレストに寄らなくていいのか?」
野営準備のときに集めた枯れ枝を、炎の中に投げ込みながら問いかける。
枯れ枝は爆ぜるような乾いた音をたて黒い影だけを残して、炎の中へと姿を消した。
「そりゃあ、寄ってくれると嬉しいかな。あそこなら顔が利くし、伝手もある」
「じゃあ、決定な。ついでにカロル先生にも挨拶してくか。帝都には当分は近寄れないだろうし、
ジュディも少し前まではダングレストにいたらしいけど、いまはどこにいるやら」
「安住の地を求めてってのもいいけど、手っ取り早くユウマンジュとかミョルゾあたりで気楽な隠居生活とかしちゃう?」
「隠居ねぇ、それも悪くないかもな。でも、現実問題として当面の見当はつけとかないとって、こんな面倒なこと考えるなんて、
俺の役目じゃないよな」
実物の世界地図は取り上げられてしまったので、脳内で記憶にある限りを思い出して形にしていた世界地図を打ち消し、
お世辞にも寝心地がいいなんていえない地面の上に寝転がった。地下牢から見えていた空は、鉄格子によって区切られた小さなものだったのに、
いま視界全体に広がる夜空はどこまでも続く終わりが見えないものだ。ゆるく頬を撫ぜる夜風も、遠い昔の懐かしい記憶のようにも思える。
「おー、おー、開き直っちゃって」
視界に広がっていた空は、にやにやとしたレイヴンの顔に移り変わった。茶化すような表情に苛立ちを覚えて、左手で一矢報いてやろうかと思ったが、
寝転んでいる不安定な状態からの攻撃は、軽々とよけられてしまう。
「うるさい。計画立てるのは苦手なんだよ」
「気づいたらここまできちゃったわけだし、だいたい突発的な犯行で、逃走準備もしてなかったしなあ」
「まあ、何かあったら次を考えればいいさ。安住の地とやらが見つかるまでは、二人旅で十分だろ。地下牢にいたことを思えば、
あんたと一緒に旅してるほうが十分楽しめそうだしな」
オレを覗き込んでいたレイヴンは驚いたように翡翠の目を見開いて、手持ち無沙汰にしていた両手でその顔を覆った。
「あの、ユーリ、それってつまり、俺といることが、いややっぱりいい」
「なんだよ、言いかけてやめるなよな」
「いい、おっさんの勘違いだから」
起き上がったオレから、逃げるように後退していくレイヴンの顔は、焚火の炎に照らされてなのかどうかは知らないが、ほのかに赤く染まっていた。
おっさんが顔を染めているところを見ても、まったくもって嬉しくない。
当の本人も自覚があるのか、深呼吸の合間にあーだとかうーだとかいう謎の言語を発している。
「とりあえず、安住以前にベッドという楽園にたどり着きたいな」
一人で精神統一しているレイヴンを尻目にもう一度寝転んで呟く。
暗い中に響いた声は、精神統一を終えたらしいレイヴンにも聞こえたらしく、いつも通りのふざけた言葉が返ってきた。
話せる相手が、看守以外にもいるっていうのは、悪くない。
「楽園とはそう簡単にはたどり着けない場所にあるからいいんじゃないの。宿屋だったら、明日あたりにはたどり着けると思うけど」
「あんたが楽園とか言うと、そこらへんの飲み屋の名前みたいに聞こえるから不思議だよな」
「あー、もうなんとでもいってちょーだい」
疲れたように樹の幹にもたれかかったレイヴンも、オレと同じように地面に寝転がった。
しなければいけないことなんて、たぶんたくさんある。足りないものだってたくさんある。
それ以前にこれからどうなるか、この旅に終わりがあるかなんてまったく分からない。
そうだとしても、とりあえずは、明日からのことは明日考えればなんとかなるだろう。
本当は暗雲立ち込めるような気持ちになるのか、明日からのことを考えて不安に思ってしまうかどうかはしらないが、
オレの隣でふて寝しているレイヴンを見ていると、自然と笑えてきて不安なんてどうでもよくなってしまった。






08・12・17