一瞬意識が真っ白になった。

手ごたえはあった、だがいま自分がどんな状況に置かれているのかを、すぐに判断することは出来ない。

荒い呼吸を繰り返して、なにがあってもいいようにもう一度剣を構えなおす。いまオレの手にあるのは魔装備といわれている、

不気味なくらいに赤黒い刃をもったアビシオンだ。

普段の戦闘よりも長く過酷な戦いを潜り抜けたために、まるで剣自体がオレの体の一部になって、鼓動を重ねているような気分だ。
一瞬なのか、十分なのか、曖昧な空白の後に、耳をつんざくような歓声と野次と割れんばかりの拍手、遅れてマイクを通しての絶叫。
「ついに、ついに、この高みへと登りつめる男が現れました!その名はギルド凛々の明星、ユーリ・ローウェル!!」
ぐちゃぐちゃの頭の中にエッグベアの体当たりを受けたかのような衝撃が走った。

自分が何を口走ったのかは分からないが、自然と叫び声がでた。つまりオレは、二百人斬りを達成したらしい。

そう分かった瞬間に体の力がふっと抜け、いままで体の一部だったアビシオンの柄が汗で滑り落ち、

カランという音が場内全てを覆いつくさんばかりの歓声の中に飲み込まれていった。
そして、半ば無意識で客席から探し出そうとした紫色も、アビシオンと一緒に手からさらりと抜け落ちてしまった。
 



ボクはまるで自分のことのようにドキドキしていて、こんなにドキドキしちゃったら死んじゃうんじゃないかと思った。

でも闘技場自体がおかしくなってしまったみたいに、すごい歓声と興奮に包まれている。だってそうだ、二百人斬り達成なんて、ボク聞いたことないよ。


ボク達は興奮冷めやらぬままに選手用出入り口でユーリが出てくるのを待ち構えていた。

隣にいるエステルもずっと、ユーリすごいですなんていいながらリタと試合の話をしているし、リタも呆れ半分で聞いているような振りはしてるけど、

ユーリが最後の一人を倒したときの喜びようったらなかった。いまも表には出さないようにしているだけで、ユーリの帰還をいまかいまかと待ちわびている。

ボク達の後ろにいるジュディスはいつも通りの笑顔。でも、感情が読めないような笑顔じゃなくて、普通にユーリの快挙を喜んでいるように見えた。

それと同じ分だけ自分もチャレンジしてみたいなんてうずうずしてるんじゃないかな。


「レイヴン!さっきからうろうろしてどうしたの。もうすぐユーリが出てくるからここでまってようよ」

ラピードもボクに同意するようにワンと鳴いた。それを受けて、落ち着きなく辺りを行ったりきたりしていたレイヴンが、選手用出入り口の前まで戻ってくる。

行動にも出てるけど、戻ってきたレイヴンの顔にもそわそわと書いてある。
「なんで、レイヴンがそんなにそわそわしてるのさ」
「ちょ、すんごく目を輝かせて興奮冷めやりませんって感じのカロル君には言われたくないわ」
「カロルも大概だけど、おっさんも落ち着きなさすぎよ」
ボクのことを引き合いに出したレイヴンに対して、リタは呆れたみたいに腰に手を当てて冷たい視線を送る。

リタだってそわそわしっぱなしじゃないかとは思ったけど、それを言ったら手加減なしに殴られそうだ。
「だってなんかね、二百人斬りだよ二百人斬り。ギルドの中では夢のまた夢というか、憧れというか。そんなの達成しちゃうなんて青年はすごいわ。そう思うと体が勝手に」
リタは大きなため息を一つついて、しょうがないんだからと肩を竦めた。

いつもなら嫌味の一つでも飛んできそうなのに、それがないのはやっぱりユーリのことがあるからなんだよね、たぶん。
エステルもレイヴンと同じように、すごいですすごいです、と何回も頷いている。エステルさっきからすごいですしか言ってない気がする。
「ふふ、おじさまったら、ユーリのことが大好きなのね」
みんながみんな喜びと興奮に包まれているのを少し離れて見守っていたジュディスがさらりと言ったことに、そわそわしていたレイヴンの動きが一瞬とまる。

でもすぐに、また落ち着きのないレイヴンに戻ってしまった。


「ジュ、ジュディスちゃんったらもー。おっさんはジュディスちゃん一筋よ!」

「あら、そうなのかしら」
なんだかさっきまでとは違う二人の雰囲気に首をかしげたけど、エステルはリタと話していて、ラピードも欠伸をしただけだから、気にしているのはボクだけみたい。

ジュディスはレイヴンの対応に笑みを深くしただけで、それ以上は何も言わなかった。

でも、それもすぐにざわめきに飲み込まれてしまう。ボク達以外にもユーリのことを聞きつけて、人が集まってきたのだ。


「そろそろじゃないかしら」

ジュディスがそういうと、呼応するように扉の向こうから聞こえる歓声が大きくなって、少し置いてから扉の前にいた門番が体をどけた。

こぐりと唾液を嚥下して、手を握る。ゆっくりと開いていく扉からは、いつも通りの真っ黒な髪がかすかにのぞいた。
 



バウルは闘技場上空を旋回して、カプワ・ノールへの針路を取った。

街中にいたときには熱気と興奮に包まれていた巨大な闘技場も、バウルに乗って空高く飛び立てば、あっという間に玩具みたいなサイズになってしまう。

普段とは違う服装に合わせて髪を下ろしているせいで、風に揺られて、蒼穹にも似た青色の髪が宙を舞う。

同じように、船の甲板で手持ち無沙汰にしていたユーリの髪も宙を舞い、黒曜石のように真っ黒なそれは、空色に飲み込まれることなく鮮烈な存在感を主張していた。


「大変だったわね」

合成で作った髪飾りを使って髪を結い上げながら言うと、ユーリも同じことを思っていたのか、疲れたようにため息をついて頷いた。

人にもみくちゃにされたせいで、心なしか服装が乱れているみたい。


「まさか、あそこまで熱烈な歓迎を受けるとは思わなかったぜ」

ユーリが選手用出入り口から姿を現した途端、お祭り騒ぎみたいだった。拍手喝采となにを叫んでいるのか分からない声。すぐに囲まれてもみくちゃにされてしまった。

本当は闘技場の中にある宿屋で一泊するつもりだったのだけど、それどことではなくなってしまった。毎日がお祭り騒ぎとはよく言ったものね。


「でも、あなたすごく生き生きした顔してたわよ」

止まることを知らない騒ぎの中心で、当のユーリは周りなんてお構いなしに、疲れなんて感じさせない満面の笑みを浮かべていた。

勝者の余裕ともいえるそれが、騒ぎに拍車をかけたりしたのだ。


「そりゃあ、ついにきたかって感じだしな。まだあの臨場感とか緊張感とかいろんな感覚が残ってる気がする」

「興奮冷めやらぬってやつかしら」

「かもな」

何かを確かめるように剣を握っていた左手を開いたり閉じたりしているさまは、普段のユーリよりも幾分か幼い印象を受ける。

でも、それとは逆に、黒曜の瞳は日の光を受けてか艶やかな光を帯びていた。普段みせるどこか人をからかうような悪戯っ子みたいな表情は姿を隠して、

自然と緩む頬と恍惚とした表情に、幼さと成熟した魅力がない交ぜになっているようで、どこかアンバランスだ。

でも、街を歩けば彼に魅入られる人はたくさんいそうだわ。


「いまのあなた、すごく魅力的ね」

「それはまた、高評価だな」

「私、嘘は苦手だっていったでしょ。すごく色っぽいわ」

私の言葉を聞いたユーリは吃驚したように肩を揺らし、何かを確かめるように自分の頬に手を添えた。

緩んでいた頬は引き締まり、無理やりにつくった無表情になってしまう。そのさまが、背伸びしている子供のようで自然と笑いがこぼれた。

ユーリはばつが悪そうに腕を組んでゆっくりと瞬きすると、奥で休んでくるわと言って、私に背を向け船室の方へと向かっていった。


「あら、残念」

小さく呟くと、答えるように肩越しに手が振られる。

船室でもカロルやエステルたちが今日のユーリの活躍で盛り上っているところだから、質問責めにされるのかもしれない。

その様子を想像すると微笑ましくて、そのなかに自分の姿もあるのかと思うと、嬉しくなってしまった。
 



カプワ・ノールの街に入ってすぐにある大通りに面した宿屋は何度も使っていることもあって、妙に落ち着いてしまう。

今日は二部屋空いていたので、男女で一部屋ずつだ。開け放たれた窓からは大通りで開かれている露店のざわめきと、遠くから微かに波の音が聞こえてくる。

部屋の中は閑散としていて、俺とユーリとわんこが好きなようにくつろいでいるくらいだ。

元気いっぱいのちびっ子は、女性陣たちと一緒に、街で話題のケーキ屋さんへといってしまった。

こういう場合あまいもの大好きなユーリも何食わぬ顔でついていくのかと思いきや、予想を裏切って備え付けのソファーの上で寝転がっている。

寝転がっているはずなのに、何故だか視線を感じるのはおっさんの気のせいなのか。

盗み見るように様子をうかがうと、ちょうど目を開けたユーリと視線がかち合ってしまう。

魅入られるんじゃないかと思うくらい真っ黒な瞳は、そらされることなく真っ直ぐに俺を見ている。

物言わぬからこそ何かを強く訴えかけているようにも思えて、すぐに間が持たなくなって、誤魔化すようにソファーへと近づいていく。


「青年、甘いもの好きでしょ。嬢ちゃんたちといかなくてよかったの?」

「嫌いじゃねぇけど、今日はいい」
ユーリの足元の方にいたわんこの隣、ソファーを背もたれにして陣取ると、すぐにひねくれた答えが返ってきた。

自分が料理当番の時には高確率で主菜とは別にデザートを作り、俺様が間食としてなにか作ろうとするときにはクレープがいいと無言の圧力もとい視線を向けてくるやつが、

甘いものが嫌いじゃないというのは、なんだか白々しい。意訳すると、大好きっていうことなんでしょうに。
甘いもの大好き青年が甘いものより優先したいことが何なのか気になって視線を向けると、スプリングを軋ませてソファーから起き上がったユーリが時計を確認して、

俺の手を引っつかんで立ち上がった。


「ちょ、どうしたの」

「でかけるぞ」

驚いて声を上げると、当然のように切りかえされて少し困ってしまう。ご主人様が部屋から出て行こうというのに、わんこは気だるそうに欠伸をしただけだった。

その様子を見たユーリが留守番頼んだぞというと、ワンと返事をして丸くくるまってしまった。


「別に暇なんだから、付き合えよ」

「いいけど、嬢ちゃんたちには言付けなくていいの?」

「じゃあ、フロントにカギ預けるついでに頼んどくか」

断る理由もなかったので肯定の意を表すと、ユーリはそのままフロントへと向かっていった。どうやら午後の時間は、二人して散策へと出かけることになったらしい。

ついでに足りなくなった道具でも買い足していけば、買出しに行く手間も省けて楽だろう。
 
目的地を聞きそびれたせいで、なんとなくユーリの後をついていくしかなくなってしまう。

言葉少なげにどんどんと街中を突っ切っていく背中には、声がかけづらいと言うかなんというか、適当に身を任せているうちに人通りの多い繁華街は遠のき、

どちらかと言えば夜になると水を得た魚のようになりそうな花街付近へと近づきつつあるきがする。

まだ早い時間だと言うのに、着飾った女が道いく男に悩ましげな視線を向けて交渉に持ち込もうとしているのをみて、俺の予想は勘違いでないということを確信した。


「ユーリくん、ちょっとこの辺は、買い物というには場違いな気がするんですけど」

「誰が買い物って言った」

当然のように突っ返された言葉に、宿屋を出る前からいままでの会話を脳内でリピートしてみたが、確かに買い物に行くとは言われていない。

俺の戸惑いをよそに、もう目的地が決まっているらしいユーリは、ずんずんと先に進んで行く。ユーリが足を止めたのは、見るからにな雰囲気が漂っている建物の前だった。

俺たちが泊まっている宿屋よりも年代もので、掃除が行き届いていないわけではないけれど、自らすすんで泊まりたいという代物ではなかった。

というより、どちらかと言うと立地条件から考えるに用途が限定されてくるような場所ではないだろうか。


「ユーリ、ここって」

「見ての通りの連れ込み宿」

こんな入り口前でしゃべっているわけにもいかず、迷いなく扉を開けたユーリに従って中へと足を踏み入れた。

外見から想像できるような簡素なつくりで、フロントも顔が見えないように衝立がつくってあるせいで人の気配はあまり感じられない。

というより、いまは客が入る時間帯でもないだろう。


俺もこういったところにきたことがないわけではないけれど、ユーリに引きずってこられたという事実に言葉にしがたいものを感じてしまう。

普段のユーリは保護者というスタンスを崩さず、性的なものを感じさせる事柄とは一線を引き、そういったことに対して潔癖というふうにもみえるからだろうか。


「おっさん、二階だって」

俺が頭を悩ませている間に手続きを済ませてしまったらしい。

外が明るいっていうのに、なんでこんなとこにいるのか。だいたい、今日の寝床なら確保してあるというのに。

頭の中でぐるぐると巡っている疑問を押し込めて、二人して階段を上り突き当りの部屋へと入っていく。

室内はこぢんまりとしていて、カーテンで締め切られた薄暗い部屋の中で、ベッドシーツの白さだけが浮き立っていた。


「何でこんなとこにきたわけ?」

部屋の中を物色していたユーリに声をかけると、小さな笑い声が返ってきた。

「面白いこと聞くな。ここまできたらやることなんてひとつだろ。それともあのまま宿屋でしたかったのか?」

まあ確かに、寝床は確保しているわけだし、目的がひとつと言えばそういうわけなんだけど。てか、普段はていよくかわされるのに、こういうときに限って何故積極的なのか。

どうせなら、もう少し分かりやすく慎ましやかに誘って欲しい。


なんだかどっと疲れてしまってベッドに腰掛けると、室内を物色していたユーリも俺の隣に座った。ユーリは俺の名前を呼ぶと、甘えるように身を寄せてきた。

まるで大きな猫科の動物みたいだ。答えるように抱き寄せると、熱い吐息が首もとをかすめた。

カーテンの向こうはまだ明るくて、今ごろ嬢ちゃんやカロルたちは大通りに面したカフェかどっかでケーキを食べているんだろうなと思うと、

二人して酷く背徳的なことをしているような気分になる。


俺の顔を覗き込んできたユーリの瞳は妙に熱っぽく潤んでいて、直接的に求められるよりも突き動かされるような衝動を感じずにはいられない。
「自分でも馬鹿みたいだけど、すごい興奮してる。いまもまだ闘技場の真ん中に立ってるみたいな高揚感があるんだ」
いままでは躊躇いなんて見せなかったのに、そう言う声はかすれていて、絡められた手のひらはたしかな熱をはらんでいる。

アビシオンを掴んでいた左手は俺の頬に添えられ、人やモンスターを斬っていく代わりに渇いた唇を撫ぜた。
「あのときのユーリ、本当にすごかったわ。綺麗に舞うみたいに戦ってた」
もともと独特の構えで戦うユーリの剣技は、流れるような形をしているように思う。

それが、限られた時間の中で戦うため無駄な動きはどんどんと削られていき、技を繰り出した赤い刃だけが、迷うことなく敵を薙ぎ払っていた。

それは人をひきつけるような魅力があったと思う。だから、あんなにもみんなが熱狂したのだ。
まだ添えられたままだった左手を取りついばむように口付けると、腕の中にいたユーリに押し倒され、勢いを殺しきれず二人してベッドにダイブすることになる。

二人分の体重がかかったことで、上等とは思えないベッドが軋みをあげた。
剣を握っているせいでタコがある手は間違いなく男のもので、ユーリ以外の男にはこんなことしないだろうなと、熱に浮かさつつある頭の隅で考えた。

小さく名前を呼ぶと、俺を見下ろしているユーリは、逆に手を握りこみ開いている胸元へといざなっていく。

ユーリの肌は吐息と同じくらいに熱く、その熱に感化され冷え切った自分の手のひらが温もりを宿していくのが分かった。

答えるように名前を呼ぶ前に、ユーリの唇が近づいてきて言葉は飲み込まれてしまう。仕返しみたいに唇の隙間から舌を入れて深く口付けると、くぐもった声が聞こえてきた。

結われていない黒髪は重力に従いベッドへと流れ、俺の頬をくすぐる。

二人して追いかけっこみたいに舌を絡ませあい、水音とともにどちらのものとも知れぬ唾液が口角を伝っていく。

溢れた唾液を拭いながら、お互いに肩で息をしていると、若い頃みたいにがっついているようで笑えてきてしまう。


ユーリは一人で笑っている俺を見て訝しげに眉をしかめたが、もう一度抱き寄せてキスをするとそんな表情はすぐに消えてしまい、もどかしげに名前を呼ばれる。

ベッドに押し倒されたままだった上半身を起こし、ユーリの体を抱き寄せそのまま上下を逆転させた。

いままで見上げていたユーリの顔は逆に俺の下にあり、そんな些細なことでさえ、体を熱くさせていく。


「ユーリ、してもいい?」

「最初っから、そういってるだろ」

耳元で囁くと、返ってきたのはそっけない返事だった。
ユーリが大好きな甘いものを我慢してまで選んだことはこれだったのか。

見上げてくる黒曜の瞳は間違いなく俺を見ていて、この瞬間にも揺らぐことなくレイヴンとしての俺を映していた。

求められるということはこんなにも荒々しいものなのかと思うと、嬉しいだとか愛おしいだとかいう可愛らしい感情は、分かち合う熱の中に解けて消えてしまった。











08・11・21