無駄に趣向を凝らした金糸の刺繍を施されたカーテンの隙間から漏れる朝日が、まだ電気のともされていない薄暗い部屋の中に
朝の訪れを知らせてくれる。柔らかすぎて、逆に寝心地が悪いベッドから体を起こして時計を見ると、いつもよりも少しだけ早い目覚
めだ。
人生とは皮肉なものだと思う。スラム街で人に見下され、明日の暮らしも分からぬような生活。なんとか孤児院に入れば、こんなに
小さいのにと手垢の付いた形式ばかりの同情の対象だった。そんなオレが、気が付けば多くの人から羨望の眼差しを受ける気位も
高い貴族さまの養子だ。別に頼んでもいないのに、何がどうなればここまで正反対の大逆転が出来るのか。トントン拍子で進んで
いった養子縁組の提案に、オレなんかよりも孤児院の先生が気を失わんばかりに驚いていた。
自分がいま着ている服や、使っている小物類から家具一式まで、パン一つ買うにも苦労していたときには考えられないような高級品
ばかりだ。どうせなら、食い物にでもしてスラム時代の仲間にでも配ってやりたいくらいだ。
夜の冷え込みを引きずったままの室温に感化され冷えだした体温が、二度寝を求めてはいたけれど、微かな音をたてて空いたドア
が、それを許してくれない。この部屋で生活するようになってから、一度も遅れることなく同じ時間に朝の目覚めを運んでくる男が、
静かに銀色のワゴンを押して入ってきた。毎日磨いてるんじゃないかってくらいに光り輝いているワゴンの上には、ティーセット一式
が鎮座している。ワゴンを押していた男は俺が起きていることを確認すると、部屋の隅にワゴンを止めて、ティーセットをベッドの脇
に備え付けてある小さなテーブルの上へと置いた。
「おはようございます、ユーリ様」
「おはよう、シュヴァーン」
朝からきっちりと燕尾服を着込み、深々とお辞儀をする姿には隙がない。起きたばかりで声がかすれているオレのものとは違う、落
ち着いた低い声が耳を撫ぜた。
シュヴァーンはオレが生まれてはじめてみた執事だ。この世界には本当に執事が存在したらしい。彼は慣れた手つきでティーカップ
に紅茶を注ぎ、モーニング・ティーの準備をする。自分で言うのもなんだが、オレにモーニング・ティーなんて死ぬほど似合わない。
受け取ったティーカップは丁度いい温かさで、いつもながらに感心させられてしまう。
シュヴァーンの手によってカーテンが開けられていくたび、部屋の中に明るい光が差し込み、体が目覚めの段階へと向かっていく。
レースのカーテン越しに、庭で洗濯物を干しているハウスメイドの姿が見えた。オレが眠りの中にいるときにでも、この屋敷の使用
人たちは働いているらしい。このシュヴァーンも例外ではない。
「旦那様は昨日から引き続き、外出しておられます。あと、午後から剣術の先生がいらっしゃる予定でしたが、急用のため明日に変
更になりました」
そういえば、オレを引き取った物好きのお義父様は泊りがけの仕事だといっていた。まあ、いたとしても食事のときくらいにしか顔を
合わせないんだから、あんまり意味ないけどな。父親というには若すぎ、兄というには歳が離れすぎている。それ以上に、いままで
生きてきた世界が違いすぎて、お世辞にも円満な家族関係が結べているとは思えなかった。
「シュヴァーン」
「はい」
使い終わったティーセットを片付けていたシュヴァーンは、一呼吸置いて返事をするとオレを見た。こちらを見ている翡翠の目は、
いつも静かで澄んでいる。いままでこの男が、激しい感情を露にしたところを見たことがなかった。
「剣術の稽古、おまえがつけてくれないか」
他の使用人から噂話のようにして聞いただけで、本人に確認したわけではないが、結構な手練らしい。オレの急な申し出に、ゆっく
りと瞬きをし宙を見て悩むような素振りを見せたが、逡巡はすぐになりを潜め、代わりに微笑を浮かべた。
「私でよければ、お手合わせ願えますでしょうか」
「おまえがいい。頼めるか」
「かしこまりました」
シュヴァーンがどんなふうに剣を振るうのか気になったが、たぶん絵になるのだろう。書類上の父親なんかよりも、四六時中世話を
してくれたり、なんとか窮屈な暮らしになれない俺の退屈を紛らわせようとしてくれたりするシュヴァーンの方が、よっぽど家族みた
いだ。どうせなら、シュヴァーンのいろんな姿を見てみたいと思ったけど、メイドたちから聞ける話にも限界があったし、どこまでが本
当か分からないものばかりだった。本人にもそれとなく昔の話を聞いてみようとしても、うまく交わされるのが関の山だ。
「そろそろ身支度の準備を」
シュヴァーンの言葉に頷き、寝乱れた髪を手櫛でまとめる。またメイドが念入りにブラッシングしてくれることだろうから、だいたい整
えることができれは十分だ。ベッドから出ると、部屋の中はまだひんやりとしていて、薄着の体には堪える。いつの間にか後ろに控
えていたシュヴァーンが薄手の上着を羽織らせてくれた。準備がいいことだ。
「手合わせ、楽しみにしてるからな」
「ユーリ様と手合わせできるなんて、私も楽しみです」
逆光にいるためどんな表情を浮かべていたかは分からないけど、言葉通り楽しそうにしていてくれればいいなと思った。オレがそれ
なりに慕っているのに、相手は仕事であわせてくれてるだけって言うのは空しすぎる。
でも、いつもよりも僅かに明るい声色に、たまに見せてくれる優しい微笑を思い出した。






08・10・23
08・10・25