「頼むから…」
目の前に男はまったく意味が分からないと言わんばかりに首をかしげ、真っ直ぐな瞳で見つめてくる。

普段は斜に構えてみたり、皮肉げに世の中を見ているのに、ふとしたときに見せるこの瞳はそれとはつりあわないような物だった。

たぶん、斜に構えたり皮肉げだったりも彼の一部であり、可愛く言えばチャームポイントなんていえなくもないのかもしれないけど、

彼の本質はあの黒曜石の瞳に宿った、曇りない光そのものなのだろう。
(たのむから、そんなめでみないでくれよ)
自分が口にしようとしたものが、世間一般に溢れている安易な恋愛小説の中の台詞のようだと気づいて、飲み込んでしまう。

なかなか続きを言い出さない俺を、ユーリは怪訝な瞳で見つめている。
普段は俺に対して突き放したような言動やぞんざいな扱いをしているのに、ふとしたときに見せる雰囲気や瞳が、

俺が無意味に消費していく言葉よりも雄弁に仲間だと口にしていてくれた。それをどこかで心地いいと感じている自分がいると知ったときから、

その度に胸が締め付けられるような、切なくなるような、当の昔に捨て去ってしまった可愛らしい感情が俺を苛むようになった。

でも、この体を生かす心臓は無機質な生を生み出すだけだから、これも一種のまやかしのようなものだろう。
ただふと思い出したかのように脳裏に香るキルタンサスの香りに、ああもしかしたらそういうことなのかも知れないと、妙に感慨深くなってしまった。

あの瞳で見つめられたときに、胸がざわめくのも、切なくなるのも、たぶんそういうことなのだ。

戦場に舞う栗色の髪、狙いを定めるときの精悍な瞳、似ても似つかないものなのに、

それよりも奥深いところにある性格や雰囲気のようなものに類似点を見つけ出そうとしていた自分がいる。

全てを捨てた気でいて、過去さえ捨てられない自分は愚かだ。

これじゃあ、同じ死を迎えたはずなのに、彼女と会うことが出来ないのも納得が出来る。
「レイヴン」
呼ばれた名に肩を揺らすと、目の前にいたのは彼女じゃなくて彼だった。

誤魔化すかのように口にした台詞は、最高におかしなもので自分で自分を笑いたくなった。
「頼むから、もう甘いものは勘弁して欲しいんだけど。おっさんどちらかというとサバみそとかがいいです」
「深刻な顔して声かけてくるから何かと思えば、そんなことかよ。オレの料理が気に入らないなら自分で作れ」
少しだけ泣きたくなるような冷たいお言葉を残して去っていく背中に、微かな甘い香りを感じて軽い眩暈を覚えた。






 

silly lily

(おろかなのはどちらなのか)






 
いつもではないけれど、ときどき目の前の道化のような男をどこ見をてるんだと殴りたくなるときがある。

それは、ジュディの胸を凝視しているときや、街にいる女性を視線で追っているときではなくて(まあ、そういうときも殴りたくはなる)、

はたと正気に戻ったような熱に浮かされたような目をするときだ。
だいたい用事があって声をかけてきたわけじゃないのかよ。少しだけ目を逸らしてなにやら言いよどんでいる姿は、普段の軽薄な物言いからは想像しにくい物だ。

みんなからうさんくさいと言われるだけはあって、それが代名詞みたいになっているところがあるが、

その合間に見せる判断力と博学なんかがそれだけではないと匂わせているように思えた。
逸らされた視線は、宙をさ迷ってもう一度オレに戻ってくる。でも向けられた視線はいつもとは違うもので、どこか呆然としたような、

オレに向けられているのにオレを見ていないようなものだった。
「レイヴン」
(あんたはだれをみてるんだ)
あんたの目の前にいるのはオレだっていうのに。

悔しくなって名前を呼ぶと、はたと夢から覚めたとばかりに肩を揺らして、やっと翡翠色の瞳に俺を写した。
「頼むから、もう甘いものは勘弁して欲しいんだけど。おっさんどちらかというとサバみそとかがいいです」
「深刻な顔して声かけてくるから何かと思えば、そんなことかよ。オレの料理が気に入らないなら自分で作れ」
何が甘いものは苦手だよ。確かにそうなのかもしれないけど、本当に言いたかったのはそんなことじゃねぇだろ。

ぞんざいな言葉だけを投げつけて背を向け歩き出すが、レイヴンが追ってくる気配はない。
途切れ途切れに見せる過去の話とか巧妙に隠している暗い部分、それを垣間見るたびにオレはあいつのことを何も知らないのだと痛感した。

その隠された先にいるオレが知らない誰かを、オレの後ろに見ている。知りもしないやつに重ねあわされるなんてごめんだ。

それが、腹立たしくもあり、悔しくもある。だからといって、それが誰でどんなやつかなんてことが分かっても、嬉しくもなんともない。

たぶん更に虚しい気持ちになるだけなんだろう。なんで、おっさんごときのためにオレがこんな気持ちになんなきゃいけねぇんだよ。
でも、オレに出来るせめてもの意趣返しは嫌がらせのように甘いものを作ることくらいだから、あと二日間くらいはデザートで責めてみようと思う。

そしたらサバみそでもなんでも作ってやろうじゃないか。










08・10・12