まだ寝付くにははやく、かといって時間をつぶすような娯楽施設があるわけもない。

宿屋の中にはユーリやカロルの姿は見えなかった。みな自分の時間を好きなように過ごしているみたいだ。

一人で読書ってのも悪くはないが、せっかく星がよく見えるいい天気だし、就寝前の運動として散歩するってのも捨てがたい選択肢だ。
「リタっち、俺様すこし外歩いてくるわ」
部屋にベッドの上に座り込んで、なにやら思索にふけっている魔導少女に声を掛けると、

返事の代わりに右手を左右に振って早く出て行けというジェスチャーが返ってきた。なんだか、家に居場所がないお父さんみたいじゃない。
 
今日の宿泊地でもある新しく出来た街オルニオンは、これからの目指すべき未来を体現している。

どの街にも当然のように設置されている魔導器は見る影もなく、全てが人間やクリティア族、もちろん騎士団とギルドも協力し合いあいつくりあげられた、

ある種夢物語のような場所なのかもしれない。ザーフィアスやダングレストがもつ喧騒とは違う、静けさの中にも生きていく人々の活気に満ち溢れた街だ。
街中に人が溢れている昼間とは打って変わり、夜は見張りの兵士やいまだ街の整備を続けているギルドの人間が目立つようになる。

結界がないせいで魔物の動きが活発になる夜半は人の出入りが少なくなってしまうことは仕方のないことだし、不用意に出歩かないほうが安全だろう。
街自体が特別広いわけでもないのですぐに一周できてしまうけれど、まだ戻る気にもなれずに街外れの川岸まで行くと、

見張り用のやぐらの傍に見知った後姿を見つけた。
「団長自ら見回りとは、感心だねぇ」
「これは、レイヴン殿ではありませんか」
たぶん声をかける前から気配や足音で気づかれていたのだろう、振り返ったその顔は眩しいばかりの笑顔だった。

金髪碧眼白い肌、それでは飽き足らずにもの腰も柔らかく若くして出世頭。嫌味なくらい出来た人間なのに、嫌味なところなど感じさせない、

若き騎士団団長もといユーリの親友はそういう男なのだ。同じ組織に所属していたのだから知らない仲ではないし、噂は常々耳にしていた。

実際何度かは顔を合わせたこともある。
「おーこんばんは。さっきうちの大将が、挨拶もとい仕事の邪魔しにいっただろ」
「はい、ユーリならさっきまで騎士団の詰め所の方にいましたよ。もう宿屋の方に戻ったと思います」
「いや、べつにユーリのこと探しに来たわけじゃないかんね」
「そうですか。私も見回りなんてたいそうなものじゃありません。少し時間が空いたので、気晴らしの散歩ですよ」
そういって笑う顔には、隠しきれない疲れの色が見え隠れしていた。

騎士団長アレクセイは謀反の末に死に、隊長主席であったシュヴァーンもすでに姿を消したわけだから、

実質のところ騎士団を引っ張っているのはこの青年なわけだ。激変の中、頭を失い統率の取れていない騎士団という組織を引っ張っていくのは、

並大抵のことではないだろう。
「お疲れだな。騎士団団長ってやつは重いのかい」
冷たい夜風が川べりに咲く花や緑を揺らし、風に乗って街の中心部の兵士たちが見張り交代を告げる声が聞こえた。

いままでのリズミカルな会話が途切れ、静寂が俺たちを飲み込んでいく。それは、隣の青年の躊躇い見たいなものを、色濃く反映しているように思えた。
「変なこと聞いて悪かったね」
地雷を踏んだのかもしれないとふざけたように声を上げると、少しだけ困ったような声がそれを遮った。
「そうなのかもしれません」
まさか返ってくるとは思わなかった答えに驚いて隣を見ると、フレン自身もこんなことを話してしまったことに吃驚しているらしく、

白銀色のガントレットが次の言葉を選びかねている唇の上に添えられていた。
「僕がこの位置に立てたのは、半分かそれ以上がユーリやあなたたちのおかげなのです。なのに、まるで全てが僕の功績のように称えられている。

本当は、僕がこのような場所に立っていていいのか不安になることがあるんです」
「謙遜するなよ。ヘラクレスの砲撃から帝都を守ったのは見紛うことなくおたくの功績さ。それ以外にもいろいろ助けられてるしね。

それにいまの混乱した騎士団をまとめていけるほどの人間はフレンしかいないだろうからねぇ。一人で思い悩むことはない。

優秀な副官や部下に、仕事の邪魔ばっかしにくるユーリだっている。気楽に行けばいいのさ」
「ありがとうございます。ユーリにも同じことを言われましたよ。一人で気張る必要ねぇんじゃないのって」
「はは、そりゃ大将だけには言われたくないな」
「本当ですよ」
フレンも笑いながら頷いた。俺たちがユーリに向かって思ってることそのままじゃないか。

一人で何でも抱え込みすぎるから、せめてほんの少しだけでもいいから、辛くなる前に頼って欲しい。

一人で頑張りすぎるんじゃないよって、俺を含めたみんながユーリに懇願したことだ。

信頼しているからこそ助けてやりたいし、頼られたいし、辛いときに傍にいてやりたい。ユーリが俺たちにしてくれたことを、そのまま返してやりたい。

自分で言っていて都合のいいことだと自嘲してしまうこともあったが、この気持ちに嘘はない。
「不思議だ、こんなことユーリ以外に話したことなかったのに」
俺にというよりは、自然に流れ出た独り言みたいなものだろう。小さな声はすぐに風に紛れて消えてしまった。

まだ若い身に、いくらの重責を担っているのだろうか。フレンの側近は大変だろうなと同情したい気分になった。

結局のところ、ユーリを柔らかくした性格なだけで、頑固でなんでも抱え込むところはそっくりなようだ。
「あなたは否定をしますが、やはりシュヴァーン隊長と根幹はおなじなのですね」
「だから俺様はシュヴァーンじゃないっての。そんなやつ知りませんから。ただ単に、おっさんが少し聞き上手なだけさ」
俺が条件反射のように否定するのを見て、フレンは残念そうな視線を送ってくる。

そんな目で見られても、シュヴァーンという存在はいなくなってしまったんだから、しょうがないじゃないか。
「聞き上手ですか。それもあるのかもしれませんが、ユーリからいろんな話を聞くうちに、身近に感じてしまったのかもしれない」
「いろんなって、変なこと聞いてないでしょうね。ユーリのことだから、不安だわ」
「大丈夫ですよ。たぶんレイヴン殿が想像しているような、変なことは聞いてませんから。

みなさんの話や、特にあなたのことを話しているときのユーリはすごく楽しそうで、僕まで嬉しくなるんです」
そういうと、フレンは少し座ってもいいですかと断りを入れてきた。俺がもちろんと答えると、地面に腰を下ろした。俺もそれに倣って座り込む。

目の前に川があるせいで、川のせせらぎが聞こえてくる。この街の中では、普段気にもしない音や自然がこんなにも身近に感じられる。

同じように川を眺めていたフレンが、小さく俺の名前を呼んだ。
「ユーリがあんなに誰かのことを楽しそうに話すのを見ていると、彼があなたたちに出会えて本当によかったなって思うんです。もちろん、僕自身も」
「そんな、たいそうなもんじゃないさ」
ユーリに出会えてよかったって思っているのは、俺の方だ。

年甲斐もなく夢を持つのが夢なんてことを思えるようにしてくれたのは、ユーリに他ならないんだから。それをフレンなんかに言われると変な感じがする。

だが、悪い気分ではなかった。何でこんなことを話しているのかよく分からなかったが、たぶんフレンも同じことを考えているだろう。
「僕たちは昔からずっと一緒で閉鎖された関係の中にいたから、ユーリにはもっと外を見て欲しかった。

僕には騎士団という外へと続く繋がりがあったけど、ユーリはそれを断ち切って下町という場所のみを追っていました。

確かに僕もユーリも下町を変えたかったし、帝国がもっとよりよい国になるようにしたかった。

でも、そのためには一つのところばかりにこもっていては駄目で、その先にも無限に続く世界をみていかなければならない。

だから、下町のみんなもユーリには外にでて、彼の力を最大限発揮できるようにして欲しかったんです。

僕がどれだけ背中を押しても、出来なかったことが、あなたたちとであったことで、こんなにも簡単にユーリがかわっていくことができた、

だから本当によかったと思っているんです」
「ユーリはいい友達を持ったんだな」
ユーリのことを話すときのフレンの目は優しい色をしていて、似たものをどこかで見たことあるなと思った。

ああ、たぶんユーリがフレンのことを話すときの笑顔にそっくりなんだ。

あいつは正直じゃないから、皮肉ったように笑ったり、ふざけて話したりするけれど、その目や笑顔はいつだって優しいものだった。
だから俺は、お門違いなんて思いながらも、ユーリと互いに思いあえる関係を築けているフレンに、どこかで嫉妬していたのだ。
「そんなことないですよ。ユーリに言わせれば、小言が多いで流されてしまいますからね」
「あいつの口の悪さにも困ったもんだね。でも、少しだけ羨ましいかもしれないな」
「そうですか。僕はあなたたちの方こそ羨ましく感じてしまう」
俺がユーリに求めている関係とは違うからと、どこかで嫉妬していた自分をあざけっていたのは俺の方だというのに、

思ってもみなかったフレンの言葉に首を傾げてしまう。俺の疑問を感じ取ったらしいフレンがいじけた子供みたいな表情をして、

足元にあった小石を川の中へと投げ込んだ。それにあわせて川は波紋を描き、緩やかな波は一瞬のうちに川の流れの中へと消えていった。
そこに年相応の幼さを見たような気がして、なんだかおかしくなってしまう。
「ユーリが本当に困ったときや苦しいときに、彼を支えてあげることができたのはレイヴン殿でしょう。

僕は全てが終わった後に、ユーリが言うところの小言を言うことしかできませんからね、それが悔しくもあり不甲斐ないなとも感じてしまうんです」
「お互いないものねだりだねぇ」
「そう、ですね」
そういって笑い声を上げたフレンの表情からは子供っぽさは姿を隠し、騎士団長としての顔がそこにあった。
「おっさん、フレンなにやってんだ!」
聞きなれた声に二人して振り返ると、満点の星空をバックに黒髪を風になびかせながらユーリが歩いてくるのが見えた。

それがなんだかおかしくて顔を見合わせると、すぐ傍まで来たユーリが変なものをみたかのような顔をして、俺たちを見比べた。
「珍しい組み合わせだな」
そういわれて、フレンと二人きりで話したのは初めてだったかもしれないと思い当たった。
「偶然あってね。興味深い話をたくさん聞かせてもらったよ」
「おっさの興味深い話なんて言ったら、女の話かくだらないことしかねぇだろ」
「ちょ、酷い言い草だねユーリ君」
がくりと肩を落とすと、フレンがなんていうことを言うんだい君はなんていいながら、ユーリをたしなめている姿が視界に入った。

たぶん、彼の持つような俺に対する優しさが、いまのパーティーには足りないと思う。心底思う。
「あー、はいはい。それより、見張りの兵士がおまえのこと探してたぜ」
「本当かい。それをはやくいってくれよ」
「だから、こうやって伝えにきたんだろ」
「ではレイヴン殿、私はこれで失礼します。ユーリも、また」
「いや、俺も楽しかったから、ありがとな」
「おう、仕事頑張れよ」

フレンは急いで立ち上がると俺に軽く頭を下げ、ユーリには手を振って足早に詰め所の方へと戻っていった。

俺も就寝前の軽い運動にしては長くなりすぎた散歩を切り上げるために、地面の上から立ち上がり宿屋の方へと歩き出す。ユーリも俺に倣って歩き出した。
「あんたとフレンが一緒にいるなんて思わなかったぜ」
「んー、ちょうど会ったから、少し話してただけよ」
「珍しいこともあるもんだな」
確かに中々ない組み合わせではあるわな。まさか、フレン青年から心情を吐露されるとは思わなかった。

でも、無責任にも地位を放棄した身としては、せめてもの捌け口になれたというならばよかった。
座っていたせいでこった体を伸びをしてほぐすと、空にこれでもかというくらい星が輝いているのが見えた。

夜も光を絶やさない帝都やダングレストよりも、闇が色濃くそれだけ星の瞬きも強さを増していた。

この中のどれかが、ひときわ強い光を放つ明星なのだろう。

こんな魔導器のない街までもを明るく照らす星の名前をギルドにつけるとは、何とも先が楽しみなことだ。
「寒くなってきたわね。おっさん寒さには弱いから、はやいとこ宿屋に戻るとしようか」
「ああ。あと、あんたが陣取ってたベッド、いつの間にかカロルが寝てたから、強制的に俺と二人部屋な」
「え、せっかくジュディスちゃんの隣にしたのにー」
「それは残念だったな。大体、二部屋とったときは男女に分かれるのが普通だろ」
普段は男女で別れたり大部屋一部屋だったりするけど、今日は四人部屋と二人部屋しか取れなかったのだ。

なんとかジュディスちゃんの隣に陣取ってみたのだけど、俺様の努力は儚くも砕け散ったらしい。
まあ、ユーリと同室ってのも、嬉しいんだけどね。
「おいおい若人、常識なんてものに囚われてたら、なにも成し遂げることはできないぜ」
ユーリは呆れたように肩を竦めてため息をつくと、宿屋の前で待っていたラピードを引き連れて、さっさと一人で行ってしまう。

オルニオンの宿屋は気を利かせてワンコ同伴オッケーにしてくれたので、俺たちの部屋でご就寝の予定だ。
「ちょ、戦闘に疲れたおっさんを労わって、もう少しゆっくり歩いてくれてもいいじゃない」
「疲れたおっさんのために、一刻もはやく部屋に案内してやろうというオレの優しさも汲み取ってくれよ」
何とも捻じ曲がった優しさだ。この憎まれ口はいつになったら治ってくれるんだか。
最初寝るつもりだった四人部屋の前を通り過ぎて、廊下の突き当りまで行く。今日の部屋は角部屋らしい。
中に入ると、窓側のベッドの上に、俺の荷物が投げ捨ててあった。いちおう荷物だけは移動させておいてくれたようだ。

隣のベッドの上には、同じようにユーリの荷物が置いてある。

ラピードは部屋に入ってすぐにご主人様のベッドの足元でうずくまり、既に寝る準備はばっちりみたいだ。
「じゃあ、おっさんの相手して疲れたから、オレもう寝るわ」
「えー、ユーリもう寝ちゃうの?おっさんつまんない」
「駄々こねても可愛くないから。あんたこそ夜更かしすると明日辛いんじゃねぇの。しっかり前線戦闘メンバーに入れといてやるからな」
確かに俺もユーリも宿をとってすぐに風呂に入ったから、あとは寝るだけなんだけど、寝るにしたっていつもよりも少しはやい時間だ。

それに、フレンと話したせいで、眠気らしきものはまだやってきてくれない。

そんな俺とは逆に、ユーリは欠伸をかみ殺しながら、着々と就寝準備を済ませていく。ワンコと同じくご主人様もお疲れらしい。
「最近、俺様ばっかがんばりすぎじゃない。たまには後ろの方でまったりしたいんだけど」
「そんなこと言っても、なんかおっさんがいると戦いやすいから仕方ないだろ」
「え、ユーリそれってどういう意味」
「言葉以上に深い意味なんてねーよ。じゃあオレ寝るから、おやすみ」
ユーリは寝転がったまま軽く手を振って、布団を被って寝てしまった。

もしかして起きてるかなと思って声を掛けてみても、まったく返事はなくて、自分の声が空しく部屋の中に響いただけだった。
言葉以上に深い意味なんてないっていわれても、俺がいると戦いやすいなんて言われたら深読みするしかないじゃないの。

本当はどうであろうと考えるだけは自由だから、背中をあずけてもいいってくらい信頼されてるんじゃないかとか、

俺がいると安心して戦えるんじゃないかとか、いろんなことが頭の中で浮かんでは消えていく。まあ、全て妄想でしかないんだけどね。
このまま一人で妄想していても仕方ないから、今日ははやめに寝ることにしよう。

ユーリの言葉が正しければ、明日も前線でこき使われる予定らしいから、睡眠時間は多いにこしたことはないはずだ。
でもまあ、思ったよりも脈アリってことなのかねこれは。















08・09・26