風が髪を揺らした。真っ赤な夕焼け色の空に、見慣れた黒髪が広がっていく。
別に願掛けだ何だとかわいらしいことをしているわけではないのに、髪を切るのを先延ばしにしていたら、
後姿だけみれば女のようだといわれるくらいの長髪になってしまった。
このパーティーの女性陣でも、ジュディとはれるくらいの長さではあると思う。まあ、だからといって何があるわけでもないのだが。
風が強いせいで中々まとまらない髪を、無理やりにかき上げまとめると、少しはなれたところでカロルが手を振っているのが見えた。
空いている方の手を振り返してやると、隣にいたエステルとジュディもこちらを振り向いた。
近くの木の陰に座り込んで、なにやら分厚い本を読んでいるリタの姿も見える。
今日はいつもよりも早めに野宿の準備を始めたせいか、各々が好きなように時間を使っているらしい。
カロルは今日の料理当番だったが、エステルとジュディもそれを手伝っているのだろう、三人で楽しそうに笑い声を上げているのが聞こえてきた。
エステルがさらわれて、空には星喰みとかいう世界の危機が現れて、水道の魔導器を取り返すなんていってた頃が遠い昔のように思えるのに、
全てが嘘のような穏やかな風景だ。ふわりと風が頬を撫でて、それを追うように髪が宙を舞った。
リタの読んできた本も、風に煽られて勢いよくページが捲られていく、カロルが手にしていたリンゴも風の助力を得てリタの足元まで転がっていってしまった。
「黄昏てるわねぇ」
 聞きなれた声に振り向くと、ラピードをつれたレイヴンが、オレと同じように目の前に広がる穏やかな風景を見つめながら、
何度かうんうんと頷いていた。なにを納得しているのかは分からないが、満足げにオレの方を見ている。
「おっさんどこいってたんだよ」
「んー、わんこの散歩に付き合ってたのよ」
 解散してからすぐにいなくなり、いままで姿が見えなかったので聞いてみると、ラピードと一緒にいたらしい。
レイヴンが同意を求めるようにラピードに視線を向けると、ワンと言う返事が返ってきた。
その返事を聞いたレイヴンはラピードの隣に座り込み、エステルがみたら羨ましがりそうな程にリラックスしているその背を、毛並みにそって撫でだした。
どういうところで気が合うのかはしれないが、この一人と一匹はそれなりに仲良くやっているらしい。
ふとカロルたちのほうを振り返ると、まだまだ料理に奮闘中らしく、オレたちに気づくことなく三人で鍋を囲んでいる。リタは相変わらず本に夢中だ。
オレなんか、あんな分厚い本を読み終わるまでに何年かかるんだか。
というより、自分があんなに分厚い専門書と向かい合って、眠気と格闘しているところなんて考えたくもない。
「ユーリ」 
いつもよりも低めな声に呼ばれてレイヴンを見る。が、逆光のせいで一人と一匹の表情はよく見えなかった。
普段とは違う落ち着いた声色に、何かを思い出しそうになる。
「夕飯の準備はまだみたいだな」
「ああ」
誤魔化すように言うと、座り込んでいたレイヴンがオレを見上げて小さく笑った。その瞳は普段の透き通るような翡翠色ではなくて、暗く淀んだ色をしている。
逆光のせいだとは分かっているのに、その声に、その目の色に、連鎖するようにあの重い剣戟の感覚が蘇った気がして、手が震えた。
何かなんてものじゃなくて、脳内で再生されるのはあの舞うように戦う男だった。普段の変幻自在な弓兵としての戦闘スタイルではなくて、
騎士団隊長格としての鎧をまとい暗い眼をしながら、だけどその色とは対照的に美しく舞うように戦うその姿が、脳裏を占めていく。
「おい、ユーリどうしたの」
「どうもしねぇよ」
「どうもしないって、おまえさん熱に浮かされたような顔してるぜ」
立ち上がり覗き込んでくる瞳は、あんな暗い色はしていなかった。
渇いた喉を潤すために唾液を嚥下すると、ごくりと喉が鳴るのが分かった。
なぜこんなにも追い立てられるような気分になっているのか、自分でもよく分からないのに、喉の渇きがいえることはない。
「なんでも、ない」
目の前のレイヴンに言うというよりも、自分に言い聞かせるように口にすると、後ろからカロルの声が聞こえてきた。どうやら飯の準備が出来たらしい。
エステルが俺たちを呼ぶ声も聞こえる。
「用意できたってさ」
「ああ」
小さく頷いて応えると、ラピードも立ち上がり、口にくわえたキセルを揺らしながらカロルたちの元に歩いていく。それを追うようにレイヴンも歩き出した。
「ユーリ、そんな熱に浮かされたうえに恋焦がれるような顔していったら、みんな驚いちまうぜ」
振り向きざまにふざけた調子で掛けられた言葉に、声が出なくなった。
一瞬だけオレを映したあの目はどんな色をしていたのかわからなかったのに、見据えられた瞬間にあの対峙したときのような倒錯感がオレを支配し、背筋がゾクリとした。
いったい自分は何を求めているというのか。なぜだか脳内で、あの低い声が、もう一度だけオレの名前を呼んだ。
ああ、喉が渇いて仕方がない。










08・9・19