どこで人生間違えたんだろうかと考えて、それらしき点が見つからなくなって、更に頭を悩ませた。

新卒採用されてから、高校の物理学教師としてがんばってきたと思う。

可愛い女子高生からのお誘いとか、教師の苦労など知らないであろう憎たらしい生徒とかにも負けず、自分なりに真面目な教師生活を送ってきた。

それがいまになって、いろいろ危機的状況に追い込まれている。特にここ二年半年くらい。
それも、たった一人の生徒の手によって。
その宿敵なのか天敵なのか、とりあえずかわいい生徒(仮)は俺の仕事用デスクに腰掛けて、おいしそうに昼ごはんのクリームパンを食べている。

百八十センチの長身なのに、甘いものを食べているときだけは本当にかわいく見えるから不思議だ。

あんなにしあわせそうに食べていると、甘いものが苦手な俺でもいけるんじゃないかと思えてくる。

冬はチョコレートが美味しい時期だとのたまって、見ているだけで胸焼けがしてきそうなチョコレートケーキを食べていた彼にそう言ったら、

無理矢理ケーキを口に突っ込まれ吐き出しそうになったのは、忘れられない思い出だ。主に嫌な意味での。
 この化学準備室(物理学の名を冠した特別教室がないため、化学準備室に回されてしまっている)には、ほかの教員はほとんど来ない。
たしかにデスクが用意され、在室教員として外のドアに名前が貼り出されている先生がいるが、

俺以外はほとんど向かいの校舎の一階にある職員室で過ごしている。だから、この化学準備室はほぼ俺の部屋といっても過言じゃない。

それに気をよくして、自分のいいようにこの部屋で寛いでいるのが、俺の頭痛の元凶だ。
 だいたい、自分のデスクがあるはずなのに、どうしてこの部屋の主兼責任者たる俺が、部屋の隅にある固いパイプ椅子へと追いやられなきゃいけないんだ。

おかしいだろ。俺様だって、まだ昼ごはん食べてないのに。
「あのー、そろそろデスクを譲っていただけませんでしょうか」
 俺の控えめな主張に、クリームパンを咀嚼していた少年が顔を上げた。

男にしては長い髪を後ろでお団子にして、濃紺のブレザーの袖を捲り上げている。

白いワイシャツの首元には、ネクタイと呼ぶには申し訳ないくらいに緩められたものが、振り子のようにゆらゆらと揺れていた。
「まだ、食い終わってない」
「いやね、先生もご飯まだなわけよ。わかるよね」
「なんだ、おっさんもクリームパン食べたかったのか」
 言いたいことがまるで伝わってない。しかも捻じれすぎてて原型が残っていない。

間違ってもクリームパンはいらないからと首を横に振ると、美味いのにという呟きが聞こえてきた。
 いくら自分の好物だといっても、遠慮無しに嫌がる人の口に突っ込むのは勘弁して欲しい。しかも、まだ三十代前半なのにおっさんはないでしょ。

いちおう先生なんだし、どこかに忘れてきてしまった敬意っぽいものを、必死になって思い出して欲しい。
いろいろとフランクすぎる彼に対して要求したいことは、本当にもう両手で抱えきれないくらいたくさんある。

そろそろリストアップするのも阿呆らしくなってきそうなそれを、口にだして言わないのは、俺の言葉なんてまったく効果がないことが実証済みだからだ。

自然とでたため息に、さらにため息をついて、生徒たちに老眼鏡なのと囃し立てられる度入りの近眼用眼鏡を外して、背もたれに背中を預ける。
 まだ昼食も食べていないのに、昼休みは終わるチャイムがスピーカーから聞こえてきた。

昼休みが始まってから、バックミュージックのように耳に馴染んでいた、バタバタと廊下を走る音や生徒たちの喋り声がなりを潜め、しんと静まり返っていく。

この一瞬の変わり身が、学校という空間にいることを強く感じさせた。

区切られた時間の中で、すぐさまに雰囲気を変えるのが、面白くもあり、たった一人静かな空間に残されてしまったようで寂しくもあった。
 善良な生徒ならば、急いで教室に戻るはずなのに、俺の目の前にいる少年は二個目のクリームパンをお腹に収め終え、デザートのプリンの蓋を開けていた。
教師の使命として、それを遮って名前を呼ぶと、なんだよという不機嫌そうな声が返ってきた。その顔には、至福の時間を邪魔するなと分かりやすく書いてある。
「五限目のチャイムがなったわよ」
「知ってる」
「いや、知ってるじゃなくて。早く授業に戻りなさい」
 目の前にいる不良生徒は俺の制止などなかったように、生クリームがたっぷり乗っているプリンにプラスチックのスプーンを差し込んだ。

やばい、みているだけで吐き気が。
「今日自主休校なんだ」
「そんな制度、高校にはありません!」
「うっさい。次の授業の先生うざいんだよ。あんただって授業なくて暇なんだろ。若くてかわいいオレが相手してやるんだ、泣いて喜べ」
「やめて、違う意味で泣きたくなるから。だいたい、先生にだって仕事ってものがあってだね。あと、人に向かってうざいなんて言わないの」
「はいはいはい。生徒の相手するのも仕事のうちだろ」
 まさに正論なんだけど、俺が相手するのは真面目に学生の本分をこなしている生徒だけだ。それ以外は給料分には含まれていない。