自分の価値観が揺らぐきっかけなんて、思いもしないところに潜んでいる。

本当に、落とし穴に落ちるようにあっけない。そして、付け加えるならそれは底なしだ。

 例えば穏やかな日常の中に、例えば命を懸けた戦いの中に、例えば深い絶望の中に、

例えばそう、魔物の頭部に狙いを定めて弓を引いているこの瞬間に。

 いままで絶対だったものが揺らぎ確固たる足場が消えてしまうように、まったく別のものへと姿を変える。

 まるでそこだけ違う世界にでも存在しているかのように目を奪われた。嫌と言うほどに見慣れていたはずの情景が、

百八十度回転して、この世の美しさの集大成のようにさえ思えてくる。絶世の美女とかそんなもんじゃなくて、本当にただ単純にきれいだと思えたんだ。

 ああ、おちた。おちてしまった。底なしの穴の中に、命綱もなしに落ちてしまったんだ。

「レイヴン……!」

 低い聞きなれた、なのに特別な声が、何でものないことのように俺の名を呼ぶ。舞うように剣を振るユーリが振り向きざまに俺をみた。

きれいだ、やっぱりきれい。魔物を相手にしているという時点で、グロテスクな情景とさえ言えるかもしれないのに、本当にきれいなものとしか思えない。

「おい、おっさん!」

 強く名前を呼ばれた驚きに手元が揺れ、その拍子につがえていた矢が勢いよく放たれた。

もちろん狙いは定めていた、ユーリに気を取られるまでは。たしかにそこには魔物がいたはずだった、はずだったのだが、

いまそこにいるのはある意味魔物ともいえなくもない天才魔導士少女だった。危ないと警告をあげるよりも早く、地を這うような叫び声が聞こえた。

「このあたしに向かって矢を射るなんて! そこのおっさん! あんたあたしに恨みでもあるわけ…!?」

 混戦状態にある中で彼女が紡ぎだしたスパイラルフレアをバックにすごまれるのはなんだか怖い。

あきらかに、俺の命の危機が迫っている気がする。主に仲間内の攻撃による。

「い、いやね、ちょっとおっさん、人生三度目くらいの岐路に立っててね、それどころじゃなかったって言うか」

「はぁ? ふざけんじゃないわよ! 岐路なんて必要ないようにゴールに導いてあげてもいいのよ!」

 向けられた刃をよけながら俺を睨みつけている瞳は笑えるくらいに真剣だ。

なのに、その表情は、女神のような穏やかさをともなっていて、空と海の距離くらいあるギャップに背筋が寒くなった。

自分の目の前にいる魔物相手に短刀を振るっているはずなのに、おまえの本当の敵は目の前の魔物なんかじゃないもっと、

身近にいるだろうという警告がどこかから聞こえたきがした。

「宙に放浪せし無数の粉塵、驟雨となりて大地を礼賛す。避けるんじゃないわよ!メテオ・スウォーム!」

 避けるんじゃないわよって、避けられないわよ…!

 一歩下がったところで、あの広範囲の魔術から逃げられるわけもない。

小さな唇から紡がれた口上に引き寄せられるように暗雲が立ち込め、場を支配していた雰囲気が変わる。

魔物たちも攻撃の手を止めて、あたりをうかがうような雰囲気をみせた。

雲間から除いた光は太陽ではない。普段目にすることはない流星の破片。

これだけのものを作り出すなんて、やはりこの魔導少女の魔力とエアル制御術には末恐ろしいものがある。

が、いまそれ以上に恐ろしいのは彼女の放った魔術のターゲットに、この俺が入っているかということだ。

「ちょ、本当にこれおっさん死んじゃうわよ……!」

 叫んではみたものの、俺の絶叫は誰にも伝わることなく、隕石が降り注ぐ轟音と地面の揺れの中に消えていった。

それと同時に、魔物たちもある主の幻想的としかいえない隕石群に押しつぶされて断末魔をあげることなく地面にひざをつく。

 その隙を逃すことなく、ユーリが曲芸のように回した刃を振りかぶって止めを刺した。

遠くに見える残党も、嬢ちゃんの魔術によって一掃される。世界の終わりみたいな一瞬は駆け抜けるように過ぎていき、流星の名残はどこにもない。

 味方であるときは心強い技も、もしも自分に刃を振るうかもしれないと思うと、これほど手強いものはない。

しかも、この魔導少女火力も技も半端がないときているから、始末に終えない。ユーリに言わせると、先が見えているのに彼女を怒らせる俺が悪いらしい。

でも、自分の思うがままに行動した結果がそうなってしまうんだから、仕方がないじゃないか。

 思い思いに散って戦ってた仲間たちが、俺とリタっちを中心として集まってくる。

「おっさん、今度はなにやらかしたんだよ」

戦闘の疲れを感じさせないようなしっかりとした足取りで、近づいてきたユーリは、見慣れたといってもいいほどの俺と魔導少女のやり取りと不穏な空気に、

揶揄するような笑みを浮かべている。魔物の血で汚れた頬を拭いながら、最初から俺が何か悪いことをしたような言い草で肩をすくめた。

嬢ちゃんもリタっちを嗜めるような視線を見せながらもユーリに同意しているとしか思えないような苦笑いを浮かべていた。

これじゃあ完璧に俺が悪者じゃないの。

「べつに、おっさんはおっさんなりにがんばってただけよ」

 俺の言葉を聴いた魔導少女は、分かりやすくイラつきを表すように地面をがんがんと蹴り飛ばしていた。

あの靴先が蹴りつけているのは、地面ではなくて俺の背中なんだろうか。虐げられなれた自分の思考が悲しい。

そして自分が想像するような状況に追いやられたことがあることも、否定できない。

別に蹴られたり殴られたりするのが好きなわけじゃないのに、リタっちに追い詰められている自分を簡単に思い描くことができた。

 ここで謝るのもプライドの高い彼女を怒らせてしまいそうで、怒りを向けられてかわいそうになるくらい抉られている地面を視界に入れないようにして、

乾いた笑いを浮かべた。俺の笑い声に反応するようにため息をついたユーリを盗み見ると、呆れの色を濃くしていた。

だが、その表情にさえいままで感じたことのない、喉下に迫り来るような衝動に、酷く心を揺さぶられるような気がした。