「ゼロス・ワイルダー、ここは教室ではなくてよ。まだ授業時間中のはずです、戻りなさい」
後ろから聞こえたのは聞きなれた落ち着いた女の声だった。

それは、どこか昔の記憶を揺さぶるもので、振り返れば銀色の髪を持つ美しいハーフエルフの教師が立っているんじゃないかと思えた。

だが、そんなことがあるはずもなく、振りかえって非常階段の踊り場の手すりに背中をあずけてみても、目の前に現れた女性は俺の記憶と合致することはなかった。
「先生、歴史は得意だから見逃してよ」
歴史自体が特別得意なわけではないが、いまの単元である世界再生、テセアラとシルヴァラントが一つの世界となったことなんて、

勉強するまでもなく当時の貴族の間での噂話だって空で思い出すことが出来る。まあ、そんなことを目の前にいる先生が知っているわけでもないが…。
「そういって、いつもサボってるでしょう」
彼女は疲れたようにため息をついて、少しだけずれていた眼鏡を押し上げた。
どうして、当時の子細を知っているのか、むしろ記憶しているのかといえば、俺がゼロス・ワイルダーだからだろう。

幼い頃に曖昧だった記憶は、年を重ねるごとに鮮明になり、そして俺の名前を泣きながら呼ぶやつの名前も顔も、そしてたった一つ交わした約束も、

消えることなく俺の中に刻み付けられた。俺は二重の意味で、ゼロス・ワイルダーという名を背負っているのだ。そして、このことを知る人物はいない。
だからこそ、教科書に教材として載っている、人の手によって少しずつ歪められた世界再生など学ぶ必要はないし、学ぶ気さえ起きない。

重要だからと太字で記載してあるロイド・アーヴィングなんていうものを、教室の中で必死になって暗記するなんて、心底意味のないことだ。

俺はそんな形式上のあいつになんて興味はない。
ロイド・アーヴィングの名は忽然と歴史から消え、彼がどこへと消えていったのかは憶測の中でしか語られない。

でも、俺だけは、俺だけが、あいつがどうなったか、いま何をしているのかを知っているのだ。
そう思うだけで堪らなくなって、生まれたときから俺に刻み込まれている約束の証のような胸の傷に触れると、痛みや息苦しさとともに、言い知れない感情の波が押し寄せてきた。

あいつは、ロイド・アーヴィングは、俺だけを待ち続けて生きているんだ。誰でもない、この俺、ゼロス・ワイルダーを。
どんな、恋愛小説よりも甘美で、そして残酷だ。自分でも吃驚するくらいに、傲慢だと思う。子供のような無邪気ささえともなった、幼き傲慢。


「先生、英雄の行方を知るのは、俺だけで十分なんです」


自然と笑いがこみ上げてきた。いまの俺は満面の笑みを浮かべていることなのだろう。

そんな俺を見て彼女は諦めたように肩を竦めると、昼からは授業に出なさいよ、と言い残して、錆が浮かんでいる重苦しい非常階段の扉の向こうへと消えていった。
「まっててね、ろいどくん」
あいつだけじゃなくて、俺も百年という約束の時を指折り数えているのだ。

俺とともにこの世に再び現れたクルシスの輝石に触れると、あいつがメロン色だといって笑っていた緑の石が微かに熱を発しているような気がした。
 

(ねえ、おねがいだから百年まっててよ、もういちどおまえにあいたいから)







幼き傲慢



08・07・11