「苦しくなるくらいに誰かを求めたことあるか」
二人しかいない部屋の中で暇をもてあましたゼロスは、明日の天気を聞くみたいに呟いた。

部屋の中にいるもう一人、細工物に熱中していたロイドはゼロスの声に反応して顔を上げ、小さく首をかしげる。
ロイドが一時間ぶりに話した言葉は、よく聞こえなかったもう一回というものだった。
ソファーにだらしなく腰掛けていた体を起こしたゼロスは、もう一度同じ台詞をそらんじる。

ロイドがじっと見つめてくる中で言葉にしてみると、なんとも恥ずかしいというか女々しいというか、

自分とロイドの間には縁のない言葉だったなと、後悔していた。
「なんだそれ。小説とか演劇の台詞か」
小説も演劇も、ロイドにとっては興味の対象にはなりそうにもない。が、この場合どちらからの引用でもないので関係なかった。

まあ、使い古された台詞ではあるから、大衆向けの小説だとか演劇の中には掃いて捨てるほど存在しているだろう。

もしもそういったもので使われた言葉だったなら、ゼロスの印象に残ることはなかった。
「あー、そんなんじゃない。かなりまえ、ダンスパーティーで一緒になった女の子に聞かれたんだよ」
そのとき、自分はなんと答えただろうかとゼロスは記憶を手繰り寄せる。自分の肩までしかない身長と、亜麻色の長い髪。

すべてを照らし出したいのかというくらい不失敬なシャンデリアの光を受けていたのは、透き通るような青い瞳だった。年のころは十代後半。

夢見る少女のような顔をして、問いかけてきているのかと思えば、その表情は静かに凪いだ湖のように穏やかなのもで、

ゼロスは微笑を浮かべた仮面の奥で意外な印象を受けたことを覚えている。

穏やかというよりは諦めに近かったのかもしれないと、ぼんやりと思った。
これだけいろいろなことを思い出せるのに、自分がなんと答えたのかをゼロスはうまく思い出すことができない。

ただ、後日その娘が歳の離れた資産家と結婚したことと、盛大な結婚式の裏では苦しい家を助けるために無理やり政略結婚させられたのだと、

まことしやかな噂が流れていたことが、ゼロスの中にしこりのように残っていた。
「急に思い出したから、ハニーに聞いてみた」
いままで腰の下に敷いていたクッションを腕に抱きこんで、いままでの集中力が嘘のように椅子に腰掛けたままバタバタと足を動かしているロイドに言った。

問いかけられたロイドは、手にしていた小刀をテーブルの上に戻すと大きく伸びをして、無言のままに答えを待っているゼロスに視線を向ける。
「俺は、まだない」
まだということは、いつかそんな日が来るのかともらしそうになたのを堪えて、しかつめらしい顔で頷いた。

どんな境地に立たされても前を見続けるロイドには、諦めなければならなくても振り向かずにはいられないくらいに心を捉えるような人はまだ存在していない。

ゼロスはよくわからない安堵の中で、柔らかなソファに身を預けた。
「ゼロスはなんて答えたんだよ」
ロイドは大して興味もなさそうに、ゼロスに水を向けた。知りたいというよりは、自分だけ答えるのはずるいと思っているのだろう。
「俺は」
なんと答えた、そして、あのとき自分には与えられることはないと思っていたものを、当然のように与えてくれる人が現れたいま、

あの問いに自分はどんな答えを用意するのか。ゼロスは自分の中にもっともらしい答えを探してみるが、何も探り出すことはできなかった。
「覚えていない」
「なんだよそれ」
呆れたようにため息をついているロイドは、やっぱり大して興味を持っていなかったらしく、

あっけないくらいのさり際のよさで次の話題へと話を転換させていった。
 


よくある話だと、ゼロスはぼんやりした頭で考えた。
家のために政略結婚させられるのも、自分が好意を寄せた人間と結ばれないことも、心を通わせたもの同士がしあわせになれないことも、

華やかな表舞台の裏にまるで想像できないような闇と見栄と欲を飼っている上流階級社会の中ではよくある話だ。

だが、そのよくある話しがゼロスの心をつかんで話さない。
あの少女はどんな気持ちで、神子であるゼロスに問いかけたのか。
穏やかさにも似た諦めなのか、静かな内面に秘めた情熱なのか。

いまとなってはもう知ることもできないことがゼロスの頭の中をぐるぐると駆け巡っていく。
神子は自由な恋愛を許されず、敷かれたレールのままに人生を共にする伴侶を決めなければいけない。

もしも苦しくなるくらいに誰かを求めたとしても、それがレール外にいる人間であるならば決して結ばれることがない。

ある意味では政略結婚させられてしまった少女とゼロスは同じ立場なのかもしれない。
だが、色恋沙汰に自由の利かない自分を嘆くよりも、もっと素朴で当たり前のものを求めても手に入れられなかったゼロスは、

それを悲しむよりもさきに期待していなかったし希望も持っていなかった。
自分にとってあまりにも当然のように与えられないであろう選択肢に対して、疑問を投げかけようとするような問いと、

華やかなダンスパーティーとは釣り合わないような少女の表情が、ゼロスの記憶の中にあの会話を刻み込んだ要因なのかもしれない。
切のない螺旋状のように続いていく思考を断ち切るかのように目蓋を閉じた。

だが、疲労を訴える体に反して意識だけは冴え渡り、ジンと痺れるような疲れを抱え込んでいる体を休息させることを許してはくれない。

なかなか訪れない眠りと、それを意識するたびに遠のいていく眠気にため息をついて、ゼロスは寝返りを打った。

暗い部屋の中にギシリという音が響く。みなが寝静まっている中で、一人だけ眠れないでいたゼロスは、何か悪いことをしているわけでもないのに、

息を潜めてまた静寂が訪れるのを待った。が、ゼロスを待っていたのは静寂ではなく、隣のベッドの住人が寝返りを打つ気配だった。
「起きてるのか」
眠りの中にいるほかの仲間たちを考慮した、小さな声がゼロスに投げかけられた。
「疲れすぎたせいで目が冴えて眠れないんだ」
ゼロスもロイドに引きずられるように小さな声で答える。

低く掠れた声は聞き取りにくいだろうかと思ったが、ゼロスの心配に反してロイドはそういうときってあるよなと頷いた。
「がんばれば寝そうなんだけど、体の奥がジンジンするようなもどかしいような、変な疲れ方したみたいだ」
「ゼロスには、明日も前線で戦ってもらうんだから、しっかり休んどけよ」
「ロイドくんは人使い荒いんだから。まあ、ハニーの背中は俺様が守ってみせますよ」
ロイドは暗闇の中にいても、ゼロスがどんな表情でいるかが分かるような気がした。

声が微かに震えていることから、いつもみたいにふざけてみせているんだろう。
「背中は任せるから、戦闘中にへましないようにちゃんと休んどけよ」
「ああ」
ゼロスの返事を聞くと、じゃあお休みとなんでもないことのように言い放って、ロイドは寝返りを打って反対を向いた。

ロイドの背中を見つめていたゼロスは、ロイドの期待を裏切るように、穏やかな顔をしていた。
背中を預けると、ロイドは言った。それをどう処理するべきなのか分からない。

言葉以上の意味もなく、それ以下の意味もない。ロイドはそういう人間だ。

ゼロスはロイドの人となりのことを知っているはずなのに、言葉に込められた意味を掬い取ろうとしてしまう。
ゼロスの前には、いままで考えもしなかった選択肢が、まるで昔からそこに存在していたかのように、投げ出されていた。

そのことに戸惑っているのは自分だけで、ゼロスの目の前で選択肢を提示して見せたロイドはなんてことないかのように振舞って、

自覚もなしに与えてくれるのだ。たぶん、ゼロスが遠い昔に求めても、得られなかったものを。

幸か不幸か、ゼロスは選べるようになってしまった。

気にしても期待してもいなかったレール外の存在に、気づいてしまったから、世界は一気に広がりをみせた。
確かに障害はたくさんあるし、ゼロスの立場ですべてを曝け出してみせるには躊躇いがないとは言い切れない。

だが、望んでみせたとしたら、いや望むことができるものがあることを知ってしまったことは、ゼロスにとって大きな変化だった。

自分の置かれた状況に、喜びとも悲しみとも付かないようなもどかしさがゼロスを襲う。
俺はいまならあの娘になんと答えるのだろうかと、誰にともなく問いかけた。
 














リクエストありがとうございました!
ゼロス→→→←ロイドくらいの愛の差で、ロイドくんからの愛情表現(ゼロスの思い込み)を受けて、
生きてて良かった!ってなるゼロロイです。
自分も望めば手に入るのかもしっれないと知った喜びと、
望んでも手に入らないのかもしれないという絶望です。
09・3・28