夜の闇が静かに動いた。

それが誰のものかなんてすぐに察することが出来る。なぜならば、この部屋の中にいるのは俺とロイドだけだからだ。

普段なら男と女で一部屋ずつとったりするのだが、最近は強行軍が続いたために少しでも静かに休めるようにと、二人一部屋で宿をとった。


今日は早めに休みましょうというリフィルさまのお言葉に甘えてベッドに潜り込んだ分けではあったが、いつもよりも早い就寝時間に逆に目が冴え渡ってしまい、

何度も寝返りを繰り返しているだけで空しい時間を過ごしていた。

隣のベッドで身じろぎをしているロイドも俺と同じように眠れないでいたのだろう、せめてもの暇つぶしに声をかけようか迷ったが、

俺が結論を出すよりも先にロイドのベッドが軋む音が聞こえた。それと同じくしてたぶん俺を起こさないように気を使っているのか、

できるだけ音を立てないようにして部屋を歩き回るロイドの気配が感じられた。
気を使ってはいるのだろうけれど殺しきれないぺたぺたという間抜けな足音は、部屋の中に完備されているバスルームへと消えていくと、小さな水音にかわった。

喉を潤すために水でも飲んでいるのだろう。

そこでふと自分も喉が渇いていることに気づいた、気が付けばなんだか体中が水を欲しているような気がして、せめてもの気休めに渇いた喉に唾液を流し込んで誤魔化した。
水音がやむとまたぺたぺたという足音がして、それは俺のベッドの隣を通り過ぎていく。もうベッドに戻るのかと思ったが、音はやむことなくキィという木が軋む音が聞こえた。

その音を機に、無音だった室内に微かにだが他の音が混じりだす。その音を運び込むように、冷たい夜風が、眠気の訪れないベッドの中でもがいている俺の頬を撫でた。

ロイドが窓を開けたのだと確認する前に、小さな声が俺を呼んだ。返事をしたら負けのような気がして息を殺していると、ぺたぺたという音がこちらに近づいてきた。
「ゼロス、寝てるのか?」
ギシリと安物のベッドが軋む。上から降ってきたのはいつもの元気いっぱいな物とは違う、押し殺したような声だった。

目を開けようかどうしようか迷っていると、ロイドが更に体重をかけてきた所為なのか、ベッドか微かに悲鳴を上げる。
「ゼロス」
三度目の呼びかけは、かすれ気味の声とあいまって、迷子で困っている子供のもののように感じられて、観念して負けを認めることにした。
ゆっくりと目を開けると、思ったよりも近くに鳶色の瞳が輝いていて、びくりと肩が揺れた。

なんだかそれが悔しくて、ロイドくんが五月蝿いから起きちまったじゃねーかと責めるように言ってみると、ロイドはいとも簡単にごめんなと謝罪の言葉を口にした。
「なんか眠れなくってさ、もしかしたらお前もそうなんじゃないかって声かけてみた」
眠れないのは確かだった、いつものペースって言うのは嫌でも体に染み付いているらしい。

身体的な疲れさえ神経を興奮させているような気がして、眠りというものがはるか遠くにあるように感じられた。
眠れないものは仕方ないと、ゆっくりと上半身を起こしてヘッドボードに背を預ける。
「そりゃーどうも、それより窓を開けたのロイドくん?」
「ああ、なんか真っ暗な中に、街灯とか家の灯がともってるのが綺麗だなって思ってみてたんだ」
ベッドの上からでも見えるその風景は、俺がよく知るメルトキオやアルタミラのものとはまったく違っていたけれど、悪くはなかった。
「この灯の向こうには一人一人の人間とかエルフがとかハーフエルフがすんでて、この街の向こうには山や海が広がっていて、

その先にはもっともっといろんな場所があるんだと思うと、世界っていうのはすごく広いんだって実感する」
「でも俺たちはいろんな場所にいっただろ?テセアラとシルヴァラントを行き来するやつなんて中々いないぜ」
「そうだけどさ、そうだとしても世界って広いんだなあって思って、このいま立ってる地面だって、どこかに繋がってる」
ロイドはそういうといつの間にか腰掛けていた俺のベッドから立ち上がり、少しだけ名残惜しそうに窓を閉めた。

それだけで室内は外界と隔絶され、外から流れ込んできていた風の流れは止まってしまった。
「なあ、この旅が終わったら、義務とか使命とか世界のためとか、そういうんじゃなくて、世界を見て回る旅にでるなんてどうだ?」
暗い中ではよく見えないが、いつも太陽の下で見せるような満面の笑みでいるのだろう。
言葉に詰まっていると、またあの間抜けな足音ともにベッドの端に戻ってきたロイドが、どさりと腰を下ろした。
「お前といると楽だし退屈しないしさ、もしよければ考えといてくれよ」
ああ、もう、こいつはいつだってそうだ。
俺の思った以上の言葉を俺にかける。その言葉は俺を戸惑わせて、こうやって何とは分からぬ混沌とした感情の中へと絡めとろうとしていくのだ。
俺様もハニーといるのは嫌じゃないよ、といつもと同じく軽く返そうとして、喉がカラカラに渇いていて、上手く声が出せないことに気づいた。

必死に唾液を嚥下して、この渇きを誤魔化そうとしたけれど、そんなものでは限界があった。
それでもなんとか小さく名前を呼ぶと、それに答えるように鳶色の瞳が俺を見つめる。
こいつはメルトキオにいた貴族たちとは違って、真っ直ぐに俺というものを見る、それはこそばゆいような居座りが悪いような、不思議な煮え切らない感情を俺に与えた。

でも、あのメルトキオの貴族たちの打算的な値踏みするような視線よりは何倍もましなもののように思えた。
「ロイド」
もう一度噛み砕いて、自分に中に呼びかけるように名を呼ぶと、いつも手袋に覆われている真っ白な手が、寝乱れた俺の髪を撫でていく。

その手を掴むと、夜風に晒されていた所為なのか、ベッドの中にいた俺のものよりも冷え込んでいて、手首も同じように冷たかった。
「寒いか?」
いまだかすれたままの声で問いかけはしたが、答えを聞くつもりはなかった。握ったままだった手を勢いよく引っ張ると、無理やりシングルベッドの中に引き込む。

予期せぬ俺の行動に、ロイドは驚いて声を上げたが、小さな声で寒いよ、というと抵抗することなく身を任せてきた。
すぐ傍にあるロイドの体からは自分と同じ安物の石鹸の香りと、それに紛れるように今となっては懐かしい日向の香りがした気がした。
それはたぶん母に精一杯、己という存在を知ってもらおうと奮闘していた頃の俺の傍にもあったものだと気づいて、なんだか堪らなくなってしまった。
「ロイドくん」
「ん?」
「旅っていうのも、悪くないかもな」
「そっか」
クスクスと笑うロイドに釣られて、俺も小さく笑う。腕の中にある体温、俺はそれが言うほどいやじゃなくて、こいつの隣も悪くないと思えるほどには、ほだされてきているのだろう。




08・7・10
タイトルがネタバレ。通販のお礼ペーパーに載せていました。