「これはもしかして、ダンスのお誘いかな」

私の手の中にあったグラスはいつの間にかゼロスの手の中に移動していて、そのまま流れるような所作で近くのテーブルの上へと安置された。

グラスの変わりにゼロスの手が戦闘が続いて昔よりも荒れてしまった私の手を掴んで、絵本の中の王子様みたいに手の甲に軽くキスをした。

「ゼ、ゼロス!?」

吃驚して声を上げると、俺様じゃコレットちゃんのダンス相手はつとまんねーかな、と拗ねたような台詞が聞こえた。

その後に続くはずの飲み込まれてしまった言葉を、私はやすやすと想像することができる。

でも、これは間違っても私に向けられるようなものではなくて、この拗ねたような態度も私へのものじゃなくて、この場にいない人に向けられたものなんだと思った。


「そうじゃないけど、ゼロスと踊ったらいろんな女の人に怒られちゃうよ」

「俺もコレットちゃんとダンスしたら、ロイドに殴られちまうよ」

そういったゼロスの顔は笑っていたのに、スカイブルーの瞳はシャンデリアの眩しすぎる光を受けてもなお、どこか暗さを伴っていた。

「ねえ、ゼロス。ゼロスは勘違いしてるよ」

私がつぶやいた言葉は周りの猥雑さに飲み込まれて消え、ゼロスには届かなかったようだ。その証拠に彼は微動だにしない笑顔のまま私を見つめていた。

「じゃあ、コレットちゃんとお話して元気を充電したから、俺の休憩時間は終了。お付き合いありがとね、また気が向いたらダンスのお相手お願いします、予約しとくから。

でも、コレットちゃんのダンス相手にはロイドがお似合いだけどね」


ウインクしてそのままくるりとターンすると、次の目的地が決まっているのか、赤い三編みをたらした背中は迷うことなく進んでいこうとする。

小さく名前を呼ぶと、彼の背中が止まった。


「私ね、ううん、私たちね、もっと素直に求められたらよかったのに。こうして互いの距離を測り続けるんじゃなくて、手を伸ばせたらよかったのにね」

返事はない。だけど、その代わりに三つ編みが揺れて、手袋に包まれた手を軽く振ってくれた。そしてそのまま人の間に消えてしまう。

このあとに顔を合わせたとしたって、私の言ったことを聞かなかったかのように、笑顔を見せてくれるに違いない。

 


   *              *              *

 

鳴き声というには禍々しい奇声が響き渡って、明るい太陽の下には不似合いなモンスターたちが勢いよく突進してきた。

いまはどのあたりを歩いているのか、地図で見れば片手で測れるような距離を、何時間かかけて移動していた。歩いているというよりは、むしろ疾走している。


大理石の床とも、レンガ造りの整備された道ともちがう、草原の草を踏む独特の感触を靴の裏に感じながら、目の前に迫ってきたグロテスクなモンスターの爪を避けた。

そのままバックステップで距離をとって周りを確認すると、ロイドがモンスター出現の警戒の合図を出したときよりも何匹か増えている。


体勢を立て直してモンスターの胸元へと切り込んでいくと、肉を断ち骨に刃が食い込む嫌な感覚が手に伝わる。力ずくで刃を進め振り払う。

胸を一刀両断した傷から体液のようなものがあふれ出し、ベッタリと手についてしまった。

本当ならばすぐにでも洗い流したい気分ではあるけど、そんなことをしていたら、逆に俺が切り込まれてしまうのは目に見えているので、後回しだ。


次の攻撃がくる前に返す刃でモンスターを薙ぎ払い、その勢いで剣に付いたモンスターの血をふるい落とした。だけどまだ、刀身を鞘に収めることは出来ない。


モンスターが消えたおかげで開けた視界を見回して、自分が次にとるべき行動を頭の中で組み立てていく。

それはさながら、幼いころにしていたチェスやオセロの類のボードゲームのようで、命のやり取りのはずなのに、少しばかりスリリングなゲームに身を任せているような気さえした。

はじめて剣を握ったときの震えがとまらぬような恐怖と、吐き気をともなうような緊張感は、毎日繰り返される作業としての戦闘の中に埋もれていってしまった。


「ゼロス、後ろ!」


真っ赤な背中が振り返って目が合う。でもそれは一瞬のことで、すぐに逸らされた。ロイドの激には答えることなく、振り返りざまに閃空裂破をお見舞いして返事の代わりにした。

安定したとはいえない、振り向きざまの無理な体勢から技につなげたせいか、手ごたえが甘い。

このまま次の技をつなげていくべきか、体勢を立てなおすべきかを考えあぐねると、凛としたリフィルさまの声が俺を呼んだ。


「ゼロス、さがって!」

「わーってますよっと」

すぐにバックステップで距離をおくと、俺がいた場所でマナが膨張して、光の炸裂とともに熱爆発をともなって収束していく。

収束されていく一点は、もちろん俺が相手をしていたモンスターで、目も眩むような光が消えた後には、瀕死の状態か灰が残っているくらいのものだろう。


ダメージを食らうことも熱風の温度を感じることもないとはないとわかっていても、この迫力と威力じゃあヒヤヒヤしてしまうのも仕方がないことだ。