眠りの訪れないつらい夜には星を数えればいいと教えてくれた人は、中途半端な優しさを残して消えてしまった。
それを裏切りと呼ぶのか離別と呼ぶのか、私に判断することはできない。
だけど、あの人が空に余りある、到底数えきることなどできないであろう星の光を指折り数えなければ超えられないような、
つらく長い夜を過ごしてきたのは確かなことだろう。
眠れない体ではなくなったのに、眠れない夜は変わらずにあった。今がそう。
旅のさなかにあって、日中は歩き続けたり戦闘をこなしたりして体は十分に疲労を蓄積して疲れきっているはずなのに、目が冴えてしまっている。
瞼を閉じてもそこに闇があるだけで、心地よくやわらかいまどろみが私の手を引いてくれることはなかった。
ここで眠らなきゃ明日がつらいのはわかっていることなのに、意識するほどに無意識からは遠くなる。
体を包む薄い毛布を手繰り寄せて真上に広がる空を見上げると、瞼の裏の闇よりも明るくてきれいな藍色とキラキラと自己主張する星があった。
つらい夜に私を慰めてくれたそれは、毎日姿を変えて、でも必ず空にいてくれる。
リフィル先生から星の動きや星座の種類を習ったりしたし、ロイドとジーニアスと一緒に星座の観察もしたけれど、
そのときの夜空よりも一人で眺める夜空のほうが無限の広がりを思わせた。なんだってそう、私ひとりでは重すぎて長すぎて広すぎる。

「コレットちゃん…?」

急に名前を呼ばれて息をのんだ。次に言いようもない後ろめたい気持ちが押し寄せてきて、子供のころ夜更かしした日の記憶の中と同じように寝た振りをした。
きつく瞼を閉じて、まるで深い眠りに落ちているかのように長い呼吸を繰り返す。

もう一度、聞きなれた声が私の名前を呼んで、その後に地面を踏みしめる音がした。
一歩一歩、音が近づいてくるたびに自分にしていることが無駄なことのように思えて、薄く目を開けた。
足音が止まって、確かめるように名前を呼ばれたときに真上の空を見上げると、藍色よりも明るい色の瞳が私を見つめていた。

「眠れないのか?」
困ったように笑って頷くと、彼は小さくそっか、と答えて私に手を伸ばしてくれた。
みんなを起こさないようにそっとゼロスの背中を追って、今日のキャンプの中央にある焚き火を囲むように腰を下ろす。

「ゼロスも眠れないの?」
私の隣で炎に照らされているゼロスはかぶりを振ると、足元に置いてあった木切れを掴んで炎の中に投げ入れた。
はぜるような音がして、木切れは緩やかに木としての形を失い炭になっていく。全てがなくなったころに、もう一度木切れが投げ入れられた。

「残念ながら、火の晩なんだ。次はリーガルだけど、交代までは当分時間があるわけよ。だから一緒にお話しましょ」
「うん、ゼロスがいいなら相手してくれると嬉しいな」
「もちろん、喜んでお相手させていただきますよ。俺も一人じゃつまんないからね」
「あのね、眠れない夜には星を数えればいいって教えてくれた人がいるの」
「そりゃ、どこのロマンチストだよ」
「ふふ、ロマンチストすぎるかな。でもね、そうして過ごした夜もあったから、今日も星を見てたの」
「つらいことがあったから?」
「違うよ。すこしね、眠れなかっただけ」
「本当?俺はコレットちゃんと同じ立場ならつらいと感じるかもしれないのに」
「ゼロスはつらいの?誰かの太陽であること」
「太陽?」
「そう、テセアラの太陽であること。言い換えるなら、常に光となって、繁栄の礎であることかな」
「俺様はそんなご大層なもんじゃないよ。コレットちゃんが太陽ってなら納得がいくけどね」
「シルヴァラントとテセアラの夜空が変わらないように、対極の位置にある私が太陽なら、ゼロスだってそうだよ。私は、繁栄と安息をもたらす光」
炎に照らされている地面に丸を一つかいて、その反対側にも同じ丸を描いた。
私が描いたそれは二つともでこぼこしていて、左右対称とはいえなかったけど、この違いが私とゼロスの違いだ。
でもこの鏡合わせ見たいな立ち位置は変わらないんだろうと思う。

「ゼロスは光で太陽だよ。私はそうだと思うな。メルトキオの人たちは、ゼロスのことを必要としてる、みんなゼロスに声をかけられると笑顔になるしね」
「もしもコレットちゃんの言葉のとおりだとしても、俺は誰かの太陽であることが、いや神子であることが嫌で嫌でしょうがなかった」
「私は生まれたころからそう育てられ、私の前の神子も私と同じようにして生きて死んでいったの、怖いと思ったことはあるけれど嫌だとは思えなかった。
ううん、嫌だと思ったのかもしれないけど、私はそれをね、押し殺して押しつぶして、私の中の一番遠いところに追いやってしまってたの」

焚き木が爆ぜる音、風が木々を揺らす音、そして私の呼吸音。それらを含めたものを沈黙というのなら、いまの世界は沈黙に満ちていた。
でも、それは不快なものではなくて、いままで誰にも言ったことのなかった部分を、静かに促されている気さえした。
「ロイドはね、神子制度なんて間違っているっていうけれど、これは正解や不正解なんていう割り切れる問題じゃないと思うんだ。
それは根本的な制度としてみたときじゃなくて、その世界に生きたときに、そして私とゼロスにとっての神子というものを見たときにね、そう思うの。
私たちは神子であり神子であって神子でしかない。それ以上でも以下でもないんだもん」

「たしかにな。でもさ、そうであっても神子であることが嫌で嫌でしょうがなかったんだ。」
ゼロスの声は、夜の冷たさを反映したみたいに低くて硬いものだった。手には焚き木の切れ端を持って、手慰みのように、なにやらよくわからない幾何学模様を描いていた。
たぶんこれは、私が閉じ込めてしまった感情や思いと同じような形をしているに違いない。

「なあコレットちゃん、イセリアなんてシルヴァラントの小さな村で、世界はもっと広い。イセリアもあってメルトキオもあって、シルヴァラントもテセアラもある。
どこまでもどこまでも世界は続いていくだろ?」

「砂漠も見たし雪も見たし、湖だって救いの塔だって見たね」
いままでいった場所をあげていく。それだけでどんな場所だったのか、何があったのかが、昨日のことのように浮かんできた。
辛いことだって悲しいことだって嬉しいことだって、本当に本当にたくさんあったのだ。ゼロスも私と同じように何かを思い出していたのかもしれない。少しの沈黙があった。

「うん。だからさ、まだまだ知らない場所もたくさんあって、見てない場所もたくさんある。
俺様はね、コレットちゃんともっといろんなところに行きたい。天使みたいな美人には、イセリアは狭すぎる。
神子であり神子であって神子でしかない、それ以上でも以下でもないコレットちゃんだって俺様にとっては神子以上の価値があると思うんだ」

悪戯っこのような笑顔は優しくて、アイスブルーの瞳は明るい炎に照らされキラキラと輝いていた。
それはどこか、ロイドが持っている輝きにも似ている気がして、胸が締め付けられるような泣きたくなるような、自己暗示みたいにして押し込めてきた感情に酷似したものが、
私の中を駆け巡っていく。

「本当はね、みんなと出会って、旅をして、毎日辛くて楽しくて痛くて気持ちよくて、そして泣いて笑って、
みんなが私の名前を呼んでくれるから手を引いてくれるから、もっともっとみんなと一緒にいたいって思うようになったの」

「うん」
「これって、死にたくないって思うことなんだよね」
「うん」
「みんなには、内緒だよ」
「俺様とコレットちゃんの約束な」
「ありがとうね、ゼロス」
「いえいえ、俺様の太陽のためですから」
「ゼロスだって、私の太陽だよ」
彼は炎の影を映して赤く染まった顔を困ったように歪ませて、いつもとは違うグローブをはずした手で私の頭を優しく撫でた。



たわいもない話。







はじめて好きだといわれたとき、俺も好きだと笑ってかえした。
でもそれはあいつにとっては不本意な答えだったらしくて、真っ赤な髪をかきあげて、傍からみても落胆しているとわかるくらいに肩を落としていた。
二度目に好きだといわれたとき、当然のように好きだと言ってありがとなと礼をした。
そのときあいつは何かを言おうとしてその言葉を飲み込んでしまった。
何を言おうとしていたのかなんて俺には想像できないけれど、好きという言葉以上にどう表現すればあいつが満足するのか分からなかった。
三度目に好きだといわれたとき、そこは夜の野営地で、焚き火の炎に照らされたアイスブルーの瞳が妖しく輝いていた。そのとき気が付いたんだ。
ああ、これはすきとかきらいとか、友達とか親友とかそういうことじゃなくて、もしかしたら、まわりを支配する静けさとそこに響く呼吸音と、
そしてあの炎に照らされた瞳の全てを受け入れてくれということなんじゃないかって。
それに気が付いた瞬間に、当然だと思っていたお互いの関係性がなにか違うものに変わってしまった気がした。
その夜はじめて、好きだよとはかえさなかった。さみしそうに笑ったのは、俺だったのかあいつだったのか思い出せないのに、
次の日に躊躇うように触れてきた手の冷たさはいまでも鮮明に思い出せる。
それから好きだと言われることはなくなって、かわりに冷たい指先が頬を撫ぜていくようになった。
言葉にされることはなくなったのに、言葉にされていたときよりも強く、あいつの目が言葉以上のものをかたっているように思えた。
小さく呼ばれた名前に答えたときの嬉しそうな笑顔だとか、二人きりのときにだけ触れてくる白い指先だとか、そんなもの数え上げればきりがなくて、
でも数え上げればきりがないようなものを見逃すことなく取りこぼすことなく掬い上げるようになぞっていく自分がいる。

なのにもうあいつは、それを、ことばには、しないのだ。







その叫びは、声にはならない。
(触れ合った瞬間に、交差することなく離れていった)












08・10・25