小説だとか、マンガだとか、ドラマだとか、作り出された世界の中で血の臭いのことを鉄くさいと表現することがある。それこそ手垢のついた、なんの面白みもない比喩表現だ。たぶん、それをかいたやつらは知らないのだ。血中に含まれている鉄分を濃縮したようなその臭いの奥に、体の芯に埋め込まれている本能的な部分を突き動かす生の証明としての生臭さが潜んでいることに。
 見紛うことなき赤。しかしそれは、想像しているよりも軽く、安っぽい。一見してしまえば、鮮やか過ぎる絵の具か何かのようで、鼻腔を刺激する匂いと不釣合いだった。だが、大量に集まれば、一転して色に深みが増し、深紅の一番濃い部分に黒さえ混じる。
 いまも、俺の嗅覚は、その生の香りに満たされていた。二酸化炭素を多分に含んだ呼気を吐き出して、ひんやりとした空気を肺の奥に限界まで吸い込むと、体の中に他人の生命の片鱗が紛れ込んでくる。そのあまやかさに、赤く染まっていた手のひらが震えた。埃っぽく人気のない貯水槽へと移動してきてからそれほど時間はたっていない。自分の部屋に戻って再度必要なものをかき集めてくる時間も惜しく、ほとんど着の身着のままの状態だった。アートを作り出すために必要な最低限のものを何とか準備している間に、旦那はまたこの貯水槽の周りにあのゲームの中のモンスターのような生き物を放って、この場所の守りを固め急ごしらえの工房として機能するように、俺の理解の範疇を超えるような儀式を繰り返していた。その一つ一つにどんな意味があるのかは分からなかったが、さっき見たような危機を避けるための策であるということは理解できた。そうやって、この世ならざる魔術を使っている旦那を見るのは嫌いじゃなくて、むしろあの旦那を悪魔として呼び出したのは俺なんだと強く実感できるようで、むずがゆく誇らしくさえあった。
 真っ暗な貯水槽の中に光をともし、ほとんど何もない中で、埃っぽいこの場所を深い血の臭いで染め替え出したのは先刻のことだった。旦那の魔術によって神経と感覚をいじられた子供は、俺の手の動きに反応して苦悶の声を上げ、苦しみに体をよじらせる。俺の目の前では、涙さえも枯れ果て絶望に染まりきった表情で天井を見上げている少年に、優しい笑顔を向けながらその体内を作り変えていく旦那の姿があった。こうやって向かい合って作業することはほとんどなかったけれど、今日ばかりは酷く気分が乗っていて創作意欲も旺盛らしく、目を見張るようなテクニックで少年の体を美しく切り刻んでいく。その動きに無駄はなく、躊躇いも、失敗もない。あの大きな手のひらをどうしたらあんなにも器用に動かすことができるのか。盗み見るようにしてすごいと感心するばかりで思うようにフィードバックできないことがもどかしかった。絵でもえがくような迷いのない指先が、みずみずしく美しい皮膚をはいでいく。同じことをしているはずなのに精度の落差に思わず声をかけてしまった。
「ねえ、旦那」
 呼びかけに反応して、一心不乱に子供と向き合っていた旦那の肩が微かに揺れた。そのせいで手元がずれてしまったのか、叫びも枯れたかすれた声音が漏れ聞こえた。急ごしらえのテーブルの上に寝かされた小さな体がびくりと反応して、もがくようにわずかに伸ばされた手のひらは、救いを求めることもかなわずに落ちていった。
「いかがいたしましたか」
 細く、なのによく通る声が高い天井に響いた。
 旦那は血に濡れた手を拭うこともなくこちらを見ると、俺がいま向き合っているアートを前にして目を見開いたのが分かった。まだ作成中のそれは、艶やかな黒髪をたっぷりと背中の半ばまで伸ばした女の子だった。墨をたらしたような黒にワンポイントアクセントをくわえるように、淡い紫色のリボンを結いつけている。もう確かなものを映さないその瞳は、透き通るようなブラウン。上品なチョコレートケーキのようだった。
 旦那は中性的な外見の子供たちを好んでいるようだったが、人形のような整った外見を一目で気に入ってしまい、白く滑らかな肌もとても魅力的で、この皮をはいでなにかに使えないだろうかと創作意欲を刺激されてしまったのだから仕方がない。

「随分と気に入っていたようなのに、少々胸部の切り口が乱暴すぎではありませんか」
「あ、やっぱり分かっちゃう?」
「ええ。いつも壊れ物を扱うように作業を進めていくあなたにしては、珍しいことです」
 俺の言葉に頷いて、なんでもないことのように言い放った旦那は、ローブの内側からいつも肌身離さず持っている本取り出した。旦那にとってはなんでもないことだったのかもしれないが、俺としてはベッドマナーでも覗き見られていたようでなんだか恥ずかしい。
 「しかし、その丁寧さがときには鮮度を損なうことへと繋がるころもあったことを思えば、荒々しさというのも必要なものなのかも知れませんが、これは行き過ぎかもしれませんね」
 長く伸びた爪の先から血を滴らせながら冷静に言葉を重ねていく旦那に、想像力が豊か過ぎる自らに頬が熱くなった。そして、俺のことをそこまで見ていてくれたのかと、その赤みが増したような気がした。
 だが、そんなことに気づいているとは思えない旦那は、生きながらにして死を味わうことを許されたその稀有な少年に向かって、小さく文言を唱えた。日本語ではないその言葉は、俺の知りえる範囲内で該当する言語を思い浮かべることは出来ない。それでも、旦那の操るその魔術とやらの恩恵にあずかってきた身としては、なんとなくその働きを窺い知ることができた。少年は俺の予想通り、旦那の声に反応して、いままでの痛苦を忘れたように安らかにまどろんでしまう。少年を置いて、こちら側に回って俺の隣に並んだ旦那は、作業台を覗き込んで少女の美しい鳶色の瞳に笑いかけると、マシュマロのように柔らかい彼女の頬をなぞる。まだ乾ききっていなかった、指先に付着していた血液が、歪な軌跡を残していく。白い肌に映える血の色は、人間をキャンパスにした芸術作品のようでもあった。そのまま指を彼女の胸部にすべらせ、俺がさっきまで触れていた部分の切断面を検分していく。外気に晒された真っ赤な肉壁の奥に埋まった心臓は、この歪な状況でも休むことなく全身に血液を送り続けているのだから、人間の体の働きには驚かされてばかりだ。もう何人を殺し、解体し、その苦痛を、死を、生を味わいつくしてきたのか分からないのに、いつまでたっても自分の思うままに人の体というものをコントロールすることは出来ない。
 死んでしまえば鮮度が加速度的に失われ、想像していたような柔軟さやあたたかさを保ち続けることは不可能に近かったし、それを克服するために生きたまま体を作り変えようとすれば、生きているからこそのみずみずしさと柔らかさが俺の作業を阻んで、思い描いたようなままの理想型を作り出すことは難しかった。
 いまだってそうだ、魚の開きか何かのように鎖骨の下から下腹部までを一気に切り開かれた少女の腹からは、腹圧に押し出された腸が零れ落ちそうになっている。生命の躍動にあわせた動きと艶やかさは美しいけれども、こんなみせ方をしたいわけではなかった。そこから視線を辿っていくと、旦那がいささか乱暴すぎると表現した胸部の切り口にぶつかる。いや、切り口自体には迷いも躊躇いもなく、美しく切開できた。だが、そのあとに無理に力を加えたせいで、柔らかい肉がぐちゃりと形をいびつなものにしてしまったのだ。せっかくの綺麗な切断面もゆがみ、内部を傷つけてしまったことで、まだ膨らみきっていない幼い胸は血に濡れている。冷えたまわりの温度でピンク色をした乳首がたち上がっていてなんだかおかしかった。そこに性感はないというのに、いたいけない少女を犯しているような気持ちになる。
 少女の胸部、もっと端的に言うのなら肋骨と胸骨の間にねじ込むようにぽっかりとあいた歪んだ穴。肉色のその奥からは、すべての始まりである生命の鼓動が聞こえてくる。そして、それと血に塗れた俺の拳を、感情を読み取ることが出来ない旦那の目がぎょろりと見比べた。
「手を、ねじ込んだのですか」
ようやく落とされた旦那の言葉に、苦笑を漏らす。


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 だらしなく出たシャツの隙間から触手が肌をのぼってくる。へその辺りをぐりぐり抉られたかと思うと、胸まで到達した別の触手がやっぱりどう考えてもアブノーマルすぎる動きで俺の乳首に触れた。表面はぬるりとしているのに、触手の内側には烏賊の吸盤のようなものがついていて、肌触りは心地いいものじゃない。それでも、想像よりも痛みがないのは、旦那の言うとおりに俺に尽くそうとしているからなのだろうか。冗談なのか本気なのか悪魔の感性は計り知れないが、あの外見に人をもてなすような機微が備わっているようには思えない。すると触手が、俺の失礼な思考を読み取ったかのように、強く乳首をすりあげた。ざりっと音がするくらいの強い刺激に、ひっと変な声が漏れた。
 じんわりとした痛みが広がるその場所を、今度はぬるりと冷たい粘膜が撫で慰める。器用にも表皮と内側を使い分けているのかと、冷静に分析してしまう自分が憎い。しかし、そんなことはお構い無しで、痛みを取り除こうとする触手は勝手に俺の体をもてあそんでくれる。くすぐったいだけだったはずのそれにわずかばかりの熱がこもる。足をばたつかせたくなるような感覚に身を震わせて空いていた方の手で触手をはがそうと試みるが、逆に手を拘束されて自分の自由を奪ってしまうことになる。
 快楽というよりも外気と刺激によってたちあがった乳首を強く食んでは、優しく擦りあげる。飴と鞭のやり取りに、痛覚の奥から痛みだけではない痺れが頭を覗かせ、口元からは飲み込みきれない熱をはらんだと息が漏れた。
「くぅ、ぁっ」
 俺が反応を見せるたびに、触手は手ごたえを感じたように責める手を激しくしていく。充分に痛みと愛撫の刺激になれきったその場所は、触られなくても痺れるような熱を持っていて、粘液に濡れ透けてしまったシャツの上からでも分かるくらいに自己主張をしていた。
「おや、この子達のもてなし、気に入っていただけたようですね」
 耳元をくすぐる声に、体が震えた。さっきまでの拒絶をどこかに捨て去ったように、肌を赤く染めた俺を揶揄する言葉とこの異常な状況に、羞恥が沸きあがってくる。いやいやをするように首を降って瞼を閉じると、背後から伸ばされた旦那の指が、遠慮無しにたちあがった乳首を押しつぶした。もうくすぐったさじゃなくて、燻るような戦慄きが下腹部からせりあがってきて胸が締め付けられるように切なくなる。
「ちがっ、あっ」
「色を知った女のような声で言われましても、説得力がありませんよ」
 旦那の指が胸元から離れると、触手がそれを引きつぐように、疼痛と熱で硬くなった乳首に吸い付いた。母の母乳を求める子供のよう愛撫されて、飲み込みきれなかった呼気を吐き出す。
「これっ、なんかちが、」
 がりっと、吸盤の奥に潜んでいた鋭い部分に噛み付かれて思わず声を漏らす。鼻から抜けるようなだらしない声。口角からは唾液が糸を引いてたれて、口元を汚す。だが、触手の与える刺激で情報過多の脳内が分けもわからぬ波に飲み込まれていくようで、そんなことを気にして入られない。
「いけません、リュウノスケ」
「んぁ、だ、んなっ」
 チシャ猫のような笑みを浮かべた旦那は、俺のことを覗き込むと、もう一度いけませんよといいながら、唾液に濡れた口元をぬぐってくれた。そしてべたついた指を唇の奥に捻じ込んだ。
「そんなにかみ締めては、食い破ってしまいます」
 俺のことを心配していますとも取れる冷静なお言葉に、この異常な状態が浮き彫りになる。しかし、だからといってどうすることもできず、触手が乳首を食むたびに旦那によって抉じ開けられた唇から、唾液が零れ落ちていく。すでに俺の体を好きなように嬲っている紫紺の触手たちは、上半身を集中的に責めたて、それになれた俺の皮膚は触手が肌の上を這っていくだけでもぞわぞわと総毛だった。
 体からは力が抜け、立っていることが出来なくなって後ろにある旦那の気配に重心を預けた。俺と旦那の間に挟まれた触手がもがくように身を捩じらせて、下方へと逃げていく。ふわふわと形がなくもどかしいばかりの乳首への刺激に熱をもてあましていた性器を下着の上からすりあげられた。やっと与えられた男としての性感に思わず旦那の指に歯を立ててしまう。ごりっと歯が皮膚にめり込み、骨をかみ締める音がして、耳元で旦那が息を呑むのがわかった。駄目だと思うのに、両方の乳首を撫ぜられ抓られ、そこから湧きあがる快感に堪らず、俺をいつも導いてくれる長い指を噛む。
「らん、らぁ」
「噛み千切るおつもりで?」
 頤を掴んで持ち上げられ肩越しに旦那と視線が合う。
 静かな声音とはかけ離れた、熱を持った黒い瞳には、媚びるようにあさましい顔をした俺が映りこんでいるのだろう。それが嫌で旦那から逃れようとするのに、俺が抵抗するほどに旦那は目を細めて舌なめずりをする。そんな俺を絡め取るように、口内を犯していた指の本数が増やされぐっと奥に入り込んでくる。舌の上を撫ぜる指先にこたえるように舌を絡めると、旦那が聖人君子かなにかのように穢れない笑顔で笑った。だが、俺の口腔を我が物顔でいたぶっていくその行動は、聖人の皆さんなら顔面蒼白ものだ。勢いを得た指先は歯茎をなぞり歯の一本一本を愛でるように口内をまさぐる。既に爪の先が喉の奥へと到達して、生理的な嘔吐感に涙が出た。
もうここまで来てしまえばどこでスイッチが入ったのかはわからないが、常に狩人として他の人間たちを狩る立場にあったはずの俺が、いまこのときは旦那の手中に収められたまな板の上の鯉のような状態だ。少し前に締め上げられた喉元を慈しむように撫でる指先に情欲をはらんだため息を落とす。
 いつまで立っても明確な快楽にならない熱は、消化不良のままに腰のあたりを埋火のように舐めていく。駄目だとわかっているのに、堪らずに靴先が地面を蹴って、太股に絡まっている触手たちにねだるように腰が揺れた。緩く勃ちあがった性器と下着が擦れて、鼻が鳴った。眉根をしかめて忙しなく呼吸を繰り返す。いつもよりも敏感になっているのか、たったそれだけのことで目の前に霞がかったようなベールが張る。視界を占拠していたそれは、何度か瞬きを繰り返すうちに涙となって目尻を流れていった。頬を濡らすあたたかいものに、自分は泣いているのかと他人事のように思う。しかし、焦らすように触手が内股を這う感覚は、冷静な思考を簡単に霧散させた。
 はやくしてくれ。もう、ゆるゆると決定的な刺激を与えられずに熱を持て余すのはつらすぎる。変換しきれない快楽は、脳の奥を焦がす電気信号にしかならない。断片的な快楽をじりじりと与えられるだけで、男として一番快楽に従順な部分は避けられたままだった。すでに恥じも外聞もなくねだるように腰を振っている俺を見れば、望んでいることなんて分かるだろうに、旦那は穏やかな笑みを浮かべたまま、俺の口内を楽しんでいた。
「リュウノスケ」
「ふっあ、んっ」
 旦那の声に反応するようにへその下を撫ぜた触手の動きにさえ、あさましくも快楽の片鱗を拾い上げる。首筋を愛撫していた指先がたどるように、鎖骨と触手によって断続的に責め立てられている胸をたどっていく。リュウノスケと、また名を呼ばれた。首筋に、熱い息がかかる。ひんやりとした触手の粘液のせいで、その熱さが際立つ。返事の代わりにまだ口内にある旦那の指を食むと、くすりと笑いをはらんだ呼気を漏らした口元が、俺の首筋を舐めた。ざらざらとした舌のなだめるような動き。欲しいのはそれじゃないんだと、尿意のようにもどかしい快楽に音を上げそうになる。
 つうと、痛みが走った。がりっと、首筋に歯を立てられる。一度は弱く、そして噛み心地を確かめ、肌に歯が馴染むと、次には遠慮なしに強く。このまま噛み千切られるんじゃないかと思うくらいに遠慮がない。いっそのこと、食いちぎってくれればと頭のどこかで考えてしまうのに、旦那は残った歯形を癒そうとするように丹念に舐めていく、その感覚に知らぬうちに息が上がり、背中をふるわせる。
「言わなければ分かりませんよ」
 俺を楽しませたいのか、旦那が楽しみたいのか、すでに卵が先なのか鶏が先かも分からない。ぐちゃぐちゃに交じり合っている。頭の中で卵と鶏は融合して消えたのに、脳髄の根幹で快を求める声はやまない。
 さあ、素直になりなさいと言いたげに口の中から抜かれた指。追うように、切なげな犬みたいな声がでた。
「したぁ、お、ねがいだから、さわって」
 とぎれる、声。
 ええと、鼓膜を揺らす旦那の声音。