遠くからすすり泣くような声が聞こえてきた。その嗚咽はどんどんとひどくなっていき、途中でむせるような苦しそうな声まで混じった。それでも、いやむしろ拍車をかけるように、もう何が悲しいのか分からず嘆くことこそが彼にとっての命題になっているのはないだろうか思えてしまうほどの慟哭を続け、悲嘆に暮れても、その声の持ち主は悲しみ以外のすべてを拒絶するかのごとくに、涙だけを吸収して生きる生き物かなにかのように、自らの愛したものの境遇を嘆き、愛したものに振り向いてもらえない自らの不憫さを嘆き、嘆いていることに嘆き続けている。ときおり混じる女性の名前は、既に聞き慣れたものになっていた。
ジャンヌジャンヌと紡がれる、かの乙女はたぶん人の類でないはずだ。でなければ一人の人間の心にここまで深く根付き、いや悪魔の純粋な心根を絡め取ることなどできないであろうから。聖処女と、それこそ夢も現も分からぬ状態で彼が口にしているのを何度も見たことがあるが、この段階まで到達してしまえば聖でも処女でもなくて、ただの悪女なんじゃないかという考えが頭の隅をよぎる。だが、間違ってもあの泣き虫の悪魔にそんなことをいえるわけがなかった。それを言葉にしてしまったら最後、雨生龍之介にとって今生唯一の理解者であり尊敬しうる師でもある悪魔は、彼にとって見れば最上級の侮辱に当たる言葉に激高してこの場を去り、永遠に手の届かぬところに去ってしまうかもしれないからだ。それだけは絶対にさけたかった。なによりも恐れねばならないことだった。
いま現在の雨生龍之介にとっての幸せの絶頂のようなこの状況は、すべて悪魔との出会いから始まったことなのだ。それを手放すなんて考えられない。いくら環境破壊による悪影響や自然保護の重要性が声高に叫ばれていたとしても、文明の利器を捨て去ることのできない人間と同じで、一度甘い蜜をなめてしまえばもう知らなかったころには戻れないし、そんなことになるのなら死にものぐるいでそれを避けるために尽力をつくすだろう。だから雨生龍之介は、自らの真綿にくるまれたようなふわふわとした幸福が少しでも長く続くように、あの悪魔の逆鱗に触れるようなことをするわけにはいかなかった。しかし、それを別にしても、幸福だとかそうじゃないだとかを別にしても、ただ単純に彼の存在を失いたくないと強く願っていた。
なぜと問われれば、彼だからだと答えるしかない。
自分に幸福を与えてくれるから、いままで知らなかった世界を見せてくれるから、師として自分を導いてくれるから、あげだせば理由なんてたくさんあった。でも、その理由のすべてを取り払ったとしても、もうかの悪魔が居ない生活など、雨生龍之介には思い描くことができなかったし、いやむしろ言い過ぎてしまうのならば、彼と出会うまでの人生などほんの前哨戦みたいなもので、肉体的な誕生や自我の芽生えを考えたときのはじまりというものはたしかに存在しているし、自分のルーツがそれらに隠されてはいるのだが、どこかくすんだ素っ気ないものに思えた。逆に言うのならば、いまは、昔の自分が自分なりに贅を凝らし工夫を凝らし退屈の中に楽しさを見いだしてきたものが、ことごとくかすんでしまうくらいに色鮮やかで美しく、きらきらとお菓子やおもちゃ、夜空に浮かぶ星のように輝いて見えるものばかりなのだ。
そして、それ以上に二人という単位をくれた。
なにをなすにも一人であり、一人の方が都合がいいと考えていた。複数人を連れ立って雨生龍之介の欲望を満たすようなことを実行し続ければ、証拠を残し足跡を残しアリバイを失い、絞首台に一直線になってしまうからだ。また切り口を変えてみるのならば、雨生龍之介は自らがこよなく愛し求め探求したいと思う事柄が世間一般に大手を振って主張できるものでも、大多数の愛好家が存在している類のものでないことを嫌というほどに理解していた。それを勘違いできるほどに愚かではなかったし、愚かになりきれないさとさが彼に孤独の影をおとしていた。
誰にも、理解されなかった。
それが日常であり恒常であり常であり不変であり覆しようのない事実だった。もしかするのなら、幼い雨生龍之介は、まだ未成熟な心で孤独を恐れ涙を流しながら自分の賛同者を求めたのかもしれないが、結局のところその願いが叶うことはなかったし、誰かと一緒にいたい、他のぬくもりが欲しいという人間の根幹的な欲求が満たされることはなかった。だから、徐々にあきらめを知り、希ってもかなわないことがあることを知り、心を殺すことを知り、いつの間にか一人であるということが当たり前になっていた。体に染みついた強固な檻のごとく張り巡らされた孤独は打ち破りようもなく、時がたつにつれて雨生龍之介は幼い自らが望んでいた願いさえも封じ込め忘却し、ただ赤く熱い他人の肉でしかぬくもりを知ることができなくなっていた。それを打ち破り、心のどこかで泣き続けていた幼い彼を救ったのは、同じく終わりがない悲しみに暮れ、悲嘆に身を落とし、もう手に入らないぬくもりを追い続けていた一人の悪魔だったのだ。
遅まきに現れた理解者は、まるで来るべくして雨生龍之介の隣に並んだように、しっくりときた。欠けていたピースがはまるように、足りなかった部品が組み込まれて機械が動き出すかのように、まるでそこに悪魔が来ることを想定したうえで雨生龍之介という人間が設計されているかのように、かちりと音がして自らが起動したような気がしたのだ。
だから、彼はかの悪魔の嗚咽に耳をすましながら一人思う。
この出会いに名前を付けるのならば、それはまさに運命か宿命か天命か。どの言葉も違ったとしても、まちがいなくそういった類の強制力を持った語句がふさわしいのだろうと、一人頭のどこかで考えていた。もちろん青年にさしかかる自分が考えるにはロマンチックすぎるし、まるで女子高生や女子中学生が、熱病の恋を罹患したように、世の中に掃いて捨てるほど転がっている安物の恋愛小説のように、取るに足りない使い古された表現だとも、夢見がちだとも分かっていたし、理解もしていた。だが、だけれども、そうであったとしても、雨生龍之介はそう思わずにはいられなかった。
悪魔が聖処女に絡め取られたように、雨生龍之介は薄暗い孤独の中でやっと自分の隣にたち誰に伝えることができなかった、自らが美しいと、素晴らしいと信じてやまないものを、理解し共有し賛美し指導し与え導き開花させてくれる悪魔と出会ってしまったことで絡め取られてしまったのだ。ずるずると底なし沼に落ちていくように。抵抗することもなく望んで奥の奥まで。だからこそ、雨生龍之介はあの悪魔の嘆きにはふれないし、その涙を拭うこともしない。
失いたくないのだ。
今生最後で最高といえるであろう出会いを失いたくないのだ。
あの悪魔の嘆きに心を痛めながらそれでも耐えることができたのならば、悪魔は心に別の人物を深く深く刻みつけたままに、雨生龍之介の隣にあり続けてくれるのだから。
これが、建前だった。
彼が世の中を円滑に渡っていくために身につけた他人の心につけこむ才能がはじき出した、完璧な建前だった。建前の裏側で、やっと涙をふいて立ち上がり、笑顔を孤独ではないことを理解者を知った幼い雨生龍之介は、くれればいいのにと思っていた。あんなに涙を流させるのに、隣に現れ抱きしめることができないのなら、この俺にくれればいいのにと思っていた。そうすれば、あの涙を拭い悲しみを分かち合いそれを癒しながら毎日楽しく生きていくことができるのだ。隣の芝生は青く花が赤いからではない。雨生龍之介の心の臓があの悪魔を求めてやまないのだ。いらないのならくれればいい。隣にたたないのならその場所を明け渡せばいい。幼い欲求が満たされればまた新たな欲望が首をもたげ、一度与えられることを知ってしまったからこそ、雨生龍之介にとってそれは御しがたいものとなっていた。それでも駄目だと、彼は自らにストッパーをかける。建前を知っているから耐える。失いたくないのだ、文明の利器を知ってしまった人間のように、甘やかされることを知ってしまった子どものように。
だから、雨生龍之介はかの悪魔が心を深く絡め取られた聖処女を思いながら悲しみに暮れるときに、なにも気付かぬふりをして踏みとどまっている。あの涙を拭うことなくほしいほしいと、諸刃の剣のように危うい願いを押し殺すことなく心の中でわあわあと駄々をこね涙を流す幼い自分を宥め賺しているのだ。
12・04・22
13・02・25