名前を、呼ばれる。
それに反応するように顔を上げると、夕焼けにも染め替えられていなかったはずの青峰君が、ボクの足元に落ちる影を映したかのように薄暗く染まって見えた。なのに青藍の瞳だけが、射るようにボクを映している。おかしいと思うのに、どこかでこの情景が当然であると甘受している自分がいて、辻褄のあわない自分の中が破綻してしまったかのごとく、ざわざわとした息苦しさが肺から腹の辺りを覆い尽くしていく。堪えるように指先を握り締めると、徐々に追詰められるように頼りないこの場所の中で、その痛みだけがたしかなものだった。
「なあ、テツ。本当に、おまえとはバスケだけだよ。気が合うのは」
チシャ猫のようににんまりとした微笑が、逆光ではっきりとしない彼の表情の中で浮いていた。どうしたんですかと、と問おうとしたのに、喉の奥が焼けるようでうまく言葉にならない。なのに、そんなボクをあざ笑うように、青峰君は饒舌に言葉を紡いでいく。
「それだけ、だけどな」
意味がよくわからずに首を傾げると、まるで別の生き物のようにすべりのいい口が、ボクに更なる追い討ちをかけていく。
「駄目なんだよ、おまえじゃ」
吐き捨てるような、その言葉。口元は笑っているはずなのに、ボクに向けられた声音は冷え切って温度がない。軽蔑さえ含まれているようだ。まさかと思って、助けを求めるようを見つめるのに、返事はない。いいようもなく怖くなる。足元が震えそうになるのを堪えるように、地面を踏みしめる。なのに、自分の立っている足場が崩れ去ってしまうような漠然とした恐怖は大きく口を開けて手招きをやめない。それに抗おうとするように彼の名前を呼んだはずなのに、ボクが望んだ音の羅列になることはなく、ただヒュッと喉がなっただけだった。
しかし、ボクの焦燥に反して、彼はただただ楽しそうに無邪気ともいえる笑みを浮かべながら、ボクを覗き込んできた。まるで瞳と口元以外は影に覆い隠されてしまったような不気味なそれ。いったい誰だかわからないのに、ボクは違うことなく青峰君だということを認識していた。
「テツ、自分でも分かってるんだろ」
なあと、同意を求めるようにボクを覗き込んでくる青峰君。とっさに逃げようと身を引いたのに、不可視の何かに邪魔されるように動きが阻まれる。紅よりも夜闇を反映して色濃くなった浅黒い指先が、ボクの頬に伸ばされる。拳で確かめ合った体温が嘘のように冷え切った彼の指先に震え身をかたくする。夜におびえる子どもみたいに身を小さくしたボクに、青峰君は喉の奥で小さく笑った。まるで、だからおまえは駄目なんだよと、最後通牒を突きつけるように。
「オレに勝てるのはオレだけで、おまえのバスケじゃオレには勝てやしねえ。あの頃からなんも変わっちゃいねぇ、おまえじゃ、手も足もでないんだよ」
いやだ。違う。ボクは違う。反論したいのに、言葉にならない。てんで語彙のない幼子のように、拒絶の言葉ばかりが頭の中をぐるぐると回って、その場所で思考停止してしまう。瞬きの間をスローモーションで流れていく映像は、ボクが青峰君に手も足も出ないでコートにねじ伏せられていく光景だ。目を閉じたって、開いたってそれはボクの脳裏に焼き付いて離れない。そしてボクに背を向けていってしまう、深紅色の彼。その背中を見送った無力さと悔しさは、あわせるはずだった拳の行き先を失ってしまったときと同じ心もとなさと遣り切れなさでボクの中をいっぱいにした。
残像から逃れようと、いやいやをするように頭を振る。ボクの頬に触れていた青峰君の手のひらがぐっと頤を掴んだ。手つきは乱暴なのに、労わるかのように優しく引き寄せられた体が、ボクと同じ白いブレザーへと不時着する。逃げ道を塞ぐように背中へと回された彼の腕。こめられた力は、言外にされた彼からボクに対する糾弾だ。
耳元を擽る吐息は、冷え切った彼の体温からは考えられないくらいに熱をはらんでいた。テツと、コートの中でボクを必要としてくれる、ボクに居場所を与えてくれる、彼の声音が呼んだ。冷め切ったそれに息を呑む。
「コートの中で役に立たないおまえなんて、」
やめてくれと、悲鳴をあげそうになった。でも、ボクの中でだけ反響するそれは音にさえならなくて、二酸化炭素を吐き出すだけに終わる。射すくめるような青峰君の瞳。これ以上はいけない、頭の奥でサイレンが鳴り響いている。なのに、からめ取られるように視線を逸らすことができない。
「いるかいねぇかもわかんねぇような、ただの影だ」
カタリと、何かが壊れるような音がした。音声にできなかった言葉たちを澱のように臓腑の奥に溜め込んで、その腐敗からくる嘔吐をやり過ごすように唇を噛み締めた。痛みは、ボクを酷く冷静にさせる。こんなこと、青峰君が言うはずがない。青峰君は、こんなことをボクにいわなかった。でも、彼は言葉にしなかっただけで、心の中でたしかに思っていたのかもしれない。そんなこと、確認のしようがなかった。
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「今日は、どうしたんですか? 練習もあるはずなのに、こんなに急に」
乱暴すぎる話題変換かと、自分で自分に笑いそうになってしまったが、黄瀬君は何も言わない。稲穂色の瞳に映るボクはいったいどんな顔をしているのだろうか。内面の薄汚れたものを滲ませた表情ではなければいいのにと、祈ることしかできない。そんなボクのことなんて知りもしない彼は、大きく背中を逸らして星の瞬きのない、ただただ暗いだけの夜空を見上げた。
「練習自体はあったんスけど、体育館に業者さんが入るらしくて、早めに切り上げたんで。それで、なんとなく黒子っちと会いたくなってメールしてみようかなって」
「なんとなくって、答えになってません」
「それは困ったっス」
至上の命題にぶつかったように真剣な顔をして腕を組んだ黄瀬君。しかし、そんな真面目な顔でブランコにのっているのだと思うと、あまりきまってはいない。
「まえ、お好み焼き屋さんで話したこと覚えてますか? 海常でプレイするの楽しいってやつ」
「ええ、覚えてますよ」
「あれ、ああやって思えるようになったのは、黒子っちのお陰かなって思うんです。うまく言葉にはできないっスけど。帝光中学には、キセキの世代の中にはなかったものが、あそこにはあるのかなって」
手探り手探り話すように、黄瀬君はゆっくりと言葉を選びながら曖昧な形のないものを音にしていく。彼の思考過程をたどるように、白く長い指先が自らの太股の上を鍵盤でも叩くようにせわしなく動いている。
たぶんそれは、ボクがどんどんと空虚になっていったあの帝光中学のコートの中で、求めて止まなかったものだ。
「すごい恥ずかしい自覚はあるんスけど、こういう忘れてた楽しさみたいなのを思い出させてくれた黒子っちに、インターハイの前に会いたくなったっス」
同意を求めるように、口角をあげて笑う黄瀬君。女の子の前で見せるような飾った笑顔じゃなくて、ただ無邪気に純粋に笑う彼に、ボクもつられそうになってしまう。黄瀬君が、インターハイのどこかでキセキの世代とぶつかる覚悟をしていることも、なんとなくではあるけれども伝わってきた。
いまのボクには過ぎた言葉だ。黄瀬君は変わったのに、黄瀬君や彼らを変えたかったボクが、足踏みをしてしまっている。羨ましいとさえ思った。こんなにも真っ直ぐに前を向いて踏み出そうとしている彼が。汚い自分を責めるように、地面をぐっと踏みしめる。その力の反動のようにブランコが揺れて、爪先が幾何学模様を描いていく。薄暗い地面にぼんやりと浮かんだそれは、まるでいまのボクの心を反映するようにぐちゃぐちゃと絡まりあっていた。
「いや、中学のときが足りないから駄目とかそういうことが言いたいわけじゃないっスよ。方向性の違いって言えばいいんスかね?」
目を細めて座りなおした黄瀬君は、足りない言葉を補おうと必死になって頭を回転させているようだ。慌てたように付け足さなくたって、なんとなく彼が伝えようとしていることは分かった。
「分かってます。慌てなくても、そんな勘違いはしません。ボクにだって、みんなとの思い出は大切なものです」
膝の上に乗せていた鞄を抱きしめて呟くと、黄瀬君がほっと肩を撫で下ろしたのが分かった。
ボクにとってあの頃の全て百パーセントがいとしき思い出というわけではない。美化しきれない苦いものだってある。それは、彼らには一言だって漏らしたことのない、ボクの秘め事のようなものだった。誰にも言わなかったし、言えなかった。黄瀬君はボクのことを親友といってくれるけれども、たぶん帝光中学の中でのボクは、徐々にそういった感覚を失っていっていたのだろう。コートの中で彼らが縦横無尽に駆ければ駆けるほどに、ボクは思い知らされる。自らが、彼らにとって価値のない存在になっていくことを。
ある日唐突に気づいた。
はじめてユニフォームを着て、はじめて勝利を味わったときの喜びがもうボクの体の中には残っていなかったということに。そして、その喜びの原動力となっていたバスケットボールを好きだという気持ちが荒廃していくように打ち捨てられてしまったということに。だから、見返してやりたいと思った。信用してくれなかった彼らに、ボクの苦痛を知らしめてやりたかった。ただ踏みにじるだけのそれに何か意味はあるのかと。火神君と組んで、ボクが正しいということを立証したかった。
「キミは、海常に自分の居場所を見つけたんですね」
吐き出した自分の声は、我ながらひどいものだった。
「黒子っち、どうかしたっスか?」
心配するように伸ばされた指先が、ボクの頬に触れた。
いいえ何でもないです。ありがとうございます嬉しいです。インターハイがんばってください。押し着せの耳障りのいい言葉が何通りも脳裏を過ぎ去っていく。何でもいいから、それらの中から適当に選んで笑って見せればよかったのに、迷子になったみたいに途方にくれることしかできいないボクは、あたたかく伸ばされた指先を傷つけるようなことばかりを心の中で考えている。
「黒子っち?」
覗きこんできた、稲穂色。公園の中の外灯の光を映したように艶やかな色をしたそれはいつだって明るくて、ボクにはもったいないほどの親しみや評価を与えてくれていることも知っていた。なのに、スイッチの入ったボクは、ブレーキのかけかたを忘れたように、踏み出そうとする。
「少しだけ、変な話をしてもいいですか?」
ボクを映したその瞳に、戸惑いが見え隠れする。それでも黄瀬君は、ボクの言葉を待つように静かに頷いた。
「ボクは、帝光中学で自分が道具のようになっていくのが嫌で嫌でたまらなかった」
瞠目、困惑、瞬き。
黄瀬君は、息を飲んでボクのブランコの鎖を掴んだ。座している場所がぐらりと不安定に揺れる。足元の幾何学模様に更に混沌とした線が増えていく。ギイと金属と金属がすれる不快な音が鼓膜を揺らしたが、そんなものよりも、ボクの声のほうが不快で仕方なかった。駄目だと分かっているのに、一度話し出してしまうと今まで溜め込んでいたものがあっけなくあふれ出してしまうみたいに制御が利かなくなる。
「自分だけを信頼し点を取っていくバスケの中で、パスの精度のみを信用されていたボクは、どんどんと無感動になっていきました」
青峰君は、ボクの光だった。そしてボクは彼の影であることに、存在意義を見出していた。いままで知りもしなかった自分を認められる快感は蜜のように甘く、何よりも甘美なものだった。一舐めしただけで、もっともっとと貪欲なくらいに、欲しがった。だからこそ、ボクは信頼が信用へと変わっていくのを聡く察知したのだろう。欲に塗れた自己顕示欲が、自らの危機をすぐに感じとった。
「あそこは、黄瀬君が言うみたいに、ボクにとっても大切な場所だ。失ったものもあったけれど、たくさんのものを与えてもくれた。でも、眩しすぎる才能といき過ぎた個人プレーの中で、ボクに求められるようになったものは仲間じゃなかった」
そこにいたのは、黒子テツヤではなかった。彼らが誰よりも必要としていたのは、自分自身で、ボクは黒子テツヤは、そう。
「ボクは、機械じゃない。都合よくバスを出すだけのロボットじゃないんだ」
夜陰にまぎれるように漏らしたつもりだった呟きは、思ったよりも大きく空気を揺らした。いや、声にしていたのかと、自分自身に驚いた。ああそうだ、機械にはなりたくなかったとのだと、必要とされたかったのだと。もう、黄瀬君に向けた言葉ではなかった。誰に叫びたかったのかもわからない、戯言。伝わらない透明な悲鳴は、ボクの存在のように空虚なものだ。
生ぬるい風が頬を撫ぜた。まぎれるように、遠くから車が走る音がする。生活音から隔絶されたようなこの場所は、孤独を具現化したような静寂。
「ねえ、黒子っち」
顔を上げることはできなかった。自分が、薄汚いことばかりを吐き出している自覚があったから。こんなのは嫌だ。なのに、嫌悪すべき物を抱きかかえているのも、捨て去ることのできない自分で。機械のように都合のいい存在にはなりたくなかった。人間として必要とされたかった。それでも、こんな薄汚いものしか吐き出せないのなら、いっそ。
唇を噛んで、きっと地面を睨みつける。ブランコの鎖を掴んでいた黄瀬君の指先は力の入れすぎて白くなっている。だが、血のような錆びのにおいがうつったそれが、ボクの頭に伸ばされた。
一瞬叩かれるのかと思った。そんなことをする人ではないと分かっていたけれど、ボクの発言を思い返せば、そうされても仕方ないという自覚はあったからだ。なのに、壊れ物に触るかのように繊細な指先は、緩やかにボクの髪に触れて、それを慈しむかのように梳いていく。そしてそのまま流れるように、頬を辿り無理矢理顔を上げさせられてしまった。
「それでもオレは、黒子っちのことを道具なんて思ったことなかったし、バスケがなくたって友達だって思ってるっス」
耳を塞いでしまいたかった。なのに、黄瀬君がボクの肩をぎゅっと掴んで離さない。皮膚に食い込む痛みは、いったい誰のものなのか。怒りなのか悲しみなのかもわからない衝動に、黄瀬君の整った顔立ちが歪む。いっそボクのことを罵倒してくれたのならば、もっと楽になれたのに、彼はそれさえも与えてはくれない。すべて、ボクには過ぎるものだ。喉の奥がヒクリとなった。グラグラと支えを失ったようにゆらぐブランコに不安定な気持ちだけが募る。
優しい彼に返す言葉がなかった。いつまでもキセキの世代に囚われているのはボクだ。現に黄瀬君は、一歩を踏み出した。そんな彼に、吐き捨てるみたいにあてつけるような言い方しかできないボクの方が、どれだけ浅ましいかわからない。
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ぐわんと、ゴールが火神君のダンクを受け止めて、振動する。その残響が、ボクの鼓膜を揺らして脳髄を痺れさせた。夜闇を打ち払うように煌々とともった外灯が、二人しかいないコートを照らす。随分と日は落ち、空には深い闇が侵食していたけれども、雲間から覗く月は星の光を飲み込むくらいの柔らかな月光を落としていた。
深紅色の瞳が、ボクを射る。恐れとともに遠くて仕方なかったはずのそれは、それが当然であるかのようにボクを映している。火神君とまっすぐに向き合うのは久しぶりのことだった。随分と長い時間、彼と離れていたような気がする。全力疾走のあとの、手加減抜きの火神君とのワンオンワンはあまり誇れるものではないボクの体力を極限まで削り取ってくれた。まだ余裕のある火神君に対して、ボクは既にボロボロだ。話すうちに落ち着いてきたとは言えども、まだ荒い呼吸を落ち着けるように酸素を吸い込みながら、火神君のダンクによって地面に叩きつけられたボールの軌跡を追っていった。徐々に勢いを失いながらコートの上を転がって行くそれは、ボクのつま先にぶつかって動きを止めた。
「不快ではないんですか」
ボクの前で止まったバスケットボールを拾い上げて問いかける。ボクが彼に言ったことは全部本当だ。帝光中学の六人目の黒子テツヤとしてではなく、誠凛高校一年生の黒子テツヤとして、彼の隣に立ちたかった。彼の影となって、先輩や同級生のみんなと日本一を掴みたかった。それは、全中のときのような、渇ききっていく自分とは違う。彼らじゃなきゃだめで、彼らと一緒がよかった。鬱屈し歪曲したボクの中を払拭するように差し込んだ光明は、火神君が、そして誠凛高校バスケットボール部のみんながもたらしてくれたものだ。だからこそ、余計にボクが彼に対して求めていたものが、酷く汚れきったものに感じられて仕方なかった。あまつさえ、ボクが地べたを這いずり回り、誰かのためを思うようなふりをして、自分が勝手に定めた自分の限界に屈しようとしたときにも、彼はボクを信じていてくれた。そこに泥を塗り重ねるように、自らの保身に走るようなことを問いかけるのはルール違反だろうかとも思ったが、ここまで来てしまえば禍根は残したくなかった。同情してくれとも、察して優しくしてくれと願うわけでもない。純粋に、彼の信頼を侮辱したボクを、許してくれるかどうかが知りたかった。しかし、返答はない。いまのボクと火神君を繋ぐ絶対的なものである手に馴染むバスケットボールを抱きかかえて、無言の火神君を見据えた。
「何がだよ」
汗に濡れた髪を掻き揚げた彼は、ボクが何を指して問いかけていたのかがわからないらしく、首をかしげて眉をひそめた。真正面から聞き返されてしまうと、気負って問いかけたぶんだけ肩透かしを食らってしまう。
「おまえ、悪いことでもしたのか?」
「悪いことといわれると、なんだか微妙な気がしますが、一応火神君には失礼なことをしたんじゃないかという自覚はあります」
「それは、通常時のおまえじゃねーか」
不当な言いがかりだ。ちょっと日本語が足りなかったりすると、彼のためにそれを指摘したりすることはあるが、まさか彼を貶めるための発言や態度を取った覚えなどこれっぽっちもない。人間にすれ違いはつき物だが、こればかりは悲しすぎる。少しでもこの悲痛な気持ちが伝わればいいと思いながら頭を抱えると、頭痛いのかという火神君の的外れすぎる一ミリもかすりもしなかったフォローが落ちてきた。
「頭は痛くありません。どちらかというと心が痛みます。ボクの真摯な気持ちをばかにするのはやめてください。あと、鈍感なのもどうにかしてください」
「転んだらただでは起き上がらないみたいな目標でも掲げてるのか。ちょいちょい余計な一言を挟んでくるよな」
ありもしないボクの頭痛を心配していた火神君のほうが、痛みを堪えるようにこめかみの辺りを覆った。
「もちろん、転ぶときでも前のめりというのは素晴らしい言葉だとは思いますが、いま伝えたいのはその格言の魅力ではありません」
「なことはわかってる。じゃあなんだよ」
「ボクがキミを利用しようとしていたことを、許してくれますかと聞いているんです」
とても恥ずかしいことを言っている自覚はある。自らの羞恥をやり過ごすようにボールに添えている指先に力を入れた。自然と早口になりながら一気に吐き出すと、返ってきたのはわざとらしいため息。ずれたネックレスを調えるようにチェーンに触れた火神君の指先が、ゆらゆらと揺れているペンダントトップの代わりの指輪を撫ぜた。
「普段のふてぶてしさはどこいったんだよ」
「火神君がボクのことを誤解しているようで誠に遺憾なのですが、基本的に繊細な人間ではないかと自負しています。火神君と比べると、ダイヤモンドとガラスくらいの違いです。輝きではなく、強度に主眼を置いた場合ですが」
「あーもう、喋るな。利用するとかしないとかよりも、いまのおまえの言葉のほうが充分に失礼なんだよ!」
そんなこととボクが火神君と出会ってから密かにいだき続けてきた野望を比べないでもらいたい。だが、火神君は次の言葉に備えるように、威嚇する獣のようにボクのことを睨みつけてくる。
そんなことは関係ないと火神君は言い切るけれども、ボクはそう簡単には割り切れなかった。だからこそ、帝光中学でどんどんと心が死んでいってしまった。ボクはボクを必要とされたかった。ボクにはそれしかないと思っていたから。実際にあの頃のボクにはそれしかなかったから。それだけで、バスケットボール部という繋がりの中でのみ、黒子テツヤという人間を必要とされていたから。いっそ、求められることを知らなければよかったのに、知ってしまったから苦しかった。いままで乾ききっていた砂漠に勢いよく水を流し込むように、ただ与えられた。スポットライトのど真ん中に、導かれるみたいに。でも、ボクには土壌がなかったから、それらをうまくコントロールするすべを知らなかったから、それ以上に昇華できなかった。六人目として彼らに必要とされる自分にすがり続けるしか、人から求められている黒子テツヤを自らの中にとどめておく方法を知らなかった。そして、そうしなければボクは、またただのいるのかいないのかもわからない黒子に戻ってしまうのだ。
怖かったから、すがっていたはずなのに、転落はあっけなかった。キセキの世代がコートの中で自分の腕だけを信じるようになったから。いや、違う。それだけじゃない。ボクが、自らの力量を把握して、愚か過ぎるまでの潔さで勝手に定めた限界を超えようとはしなかったから。限界を超えるなんてこと、パス以外の役割なんて想像もしていなかったボクは、限界を超えて先へ進み続ける彼らの背中を、置き去りにされてしまった子どものように眺め続けることしかできなかった。あの頃から変わらないバスケットボールの感触を確かめるように、つなぎ目をなぞる。短い間ではあれ、何よりも大切だと思った場所を失ってしまった理由は、ボクの至らなさだけではない。それは自覚している。要因なんてものはたくさんあって、ボクなんてその一つでしかないのだ。そこまで悲劇のヒロインのじみたことを言うわけではない。行き過ぎた自嘲は、同情されることを求める愚か者のように醜いだけだ。