黒子からまわされたパスを受け取り、リングめがけてダンクを決める。それと入れ違いになるように、カントクのミニゲーム終了を知らせる笛の音が体育館の天井に響いた。コート内を支配していたバッシュが床を噛む音と、ドリブルの音が止む。
「試合終了! ミーティングするから集まって」
ぐわんぐわんと、カントクの張りのある声が頭の中をかき乱した。全員分のスポドリ用意してあるから、後から取りに来てという呼びかけに応える代わりに、足元を転がっていくバスケットボールを拾い上げる。息が荒く、全身を伝う汗の代わりになる水分を求めるように、喉の奥がカラカラに乾いている。それを誤魔化すために飲み込んだ唾液を引き金に、血のような味が口全体に広がった。激しい運動のあとの喉の乾きは、張り付くような痛みにも似ている。うるさいくらいの心臓の鼓動を落ち着けるために体育館内のぬるんだ空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
コートの中央に集まってのミーティング。主将の終わるぞという掛け声に重なるように、隣から重いものが倒れる大げさな音がした。円陣を組んでいた全員の驚く声が重なり、ざわめきが広がるように、みなが口々に同じ名前を呼ぶ。
「火神、生存確認」
 向かいに立っていた主将が頭を抱えて肩を落とす。
「りょーかい、です」
主将の生存確認なんて言葉は少々乱暴かもしれないけれど、ある意味では、恒例行事のような状態だ。何事かと驚く必要もなく屈みこみ、倒れたそれを覗き込んだ。
「黒子、生きてるか?」
 激しく上下していた肩がぴくりと動いて、オレの呼びかけに反応するように黒子がわずかに上体を起き上がらせた。だがそれも一瞬のことで、露草色の瞳は試合中に見せるようなアイコンタクトおくっただけで力尽きて再び倒れこんでしまう。
「生きてるっす」
 集中する視線に応答するように全員の顔を見回して報告すると、みんなの体から力が抜けるのが分かった。毎回恒例とはいえ、倒れられもすればそれなりに焦る。
 主将ももう一度だけ確かめるように黒子に声をかけて、返事が返ってくるのを確認してから、口を開いた。
「よーし、じゃあ終わるぞ! 解散!」
 それに応えるオレたちの声が、体育館の天井をぶわんと揺らす。その残響が消えると同時に、小金井センパイが隣にいた水戸部センパイにだらんともたれかかった。
「やっべー、今日も疲れたー!」
 突然の重みに、水戸部センパイが足を踏ん張るのが見えて、止めるべきか迷ったが、それを見咎めたのはオレだけではなかったらしい。
「おいコガ、水戸部が嫌そうな顔してるぞ」
 主将の嗜めるような言葉に、水戸部センパイは慌てて首を横に振った。それに我が意を得たとばかりに、小金井センパイは遠慮なしに背中を預けきってしまう。しかし、授業後のカントクの地獄のしごき。疲れているのは全員一緒だ。冗談じゃなく全体重をかけられている水戸部センパイの笑顔が歪んでいるように見えなくもない。離れて見ていた伊月センパイも、疲れているからってほどほどにしておけよと、小金井センパイの肩を軽く叩く。すると、まるで神の啓示でも受けたかのように、真っ黒な目がまん丸に見開かれた。
「疲れたコガにひっつかれた!」
「伊月やめろ、余計に疲れる!」
 はっと真剣な顔をした伊月センパイが、突如として叫んだ寒いギャグに、主将の遠慮なしの突っ込みが入る。伊月センパイとしてはこれ以上ないくらいにきまったギャグだったのだろう。理解してくれなかった主将に恨めしげな視線を送った。だが、まわりの反応も似たようなもので、もたれかかっていたはずの小金井センパイも体を起こして、いまのはないわと引きつった笑いを浮かべていた。
「コガってちょっと猫に似てないか?」
 ざわりと騒がしさがましたところで、いままで黙り込んでいた木吉センパイが、怖いくらい真面目な顔をして、同意を求めるように全員の顔を見回した。一瞬の沈黙のあとに、誰のものかも分からない汗がポタリと体育館の床を濡らす。深刻なその表情と話している内容はまったくつりあっていなくて、二年生のセンパイたちが脱力するのが分かる。
「木吉は喋るな。分けがわからなくなるから。あと、根本的にかみ合ってねぇよ」
 仰々しくも仁王立ちをして言いきった主将に、見上げられていた木吉センパイがいたくショックを受けたように亜麻色の瞳を細める。たぶんこの人は、一人だけしゃべっていることがずれていることに気づいていないんだろう。
「オレの何が駄目なんだ、日向」
「うん。黙ってろ」
 満面の笑みを浮かべて頷いた主将に、迷いの色はない。これ以上ないくらいに清々とした潔いものだ。このやり取りから考えるに、致命的としか言いようがない。
「あんたたち、いつまでもそんなことしてないで、これ」
 スポーツドリンクのスクイズボトルをカゴに詰めたカントクは、呆れたように笑ってボトルに書かれた名前を確認しながら順々に配っていく。
「火神君も、はい」
「うっす」
 当たり前のように差し出された二本のスクイズボトルを受け取って、軽く頭を下げる。おかしなことをしているつもりはないのに、頭を上げてもカントクの視線がオレと黒子に向けられていて、何事かと首を傾げると、いま凝視していたことに気づきましたとばかりにあたふたと両手を振って、なんでもないのよと隣にいた降旗たちにスクイズボトルを配りに行ってしまう。もしかして実験に使われているのだろうかと、ボトルの中のスポーツドリンクを振ってみたが、水音がするだけでおかしな個体が入っているような異音は感知できなかった。しかし、水に新しい栄養剤の類を混ぜられていては気づきようがない。もしもの場合を考えて、先にボトルに口を付けていたセンパイたちの様子をうかがってみたが、特に生命の危機を感じている様子はなかった。大丈夫だろうと判断して喉を潤すためにスポーツドリンクを流し込むと、冷えたそれがとてもうまく感じられた。
「今日は復活遅いな。とりあえず、オレたち先に片付けにいってるから、黒子をみてやっててくれ」
 同じくカントクからスポーツドリンクを受け取って水分補給を済ませた降旗と河原、福田が黒子を覗き込んで呼びかける。悪いなと礼を言うと、気にするなと言ってそのまま出しっぱなしになっていたバスケットボールやスコアボードを片付けに走っていってしまった。
「おーい、いい加減生き返れ」
 目と同じく光の加減か毛先にいくほどに濃くなっていく露草色の髪をぐしゃりと乱暴になでると、いやいやをするように汗に濡れた首が揺れた。
「しんで、ません」
「それは知ってる。死んでたら大騒ぎだ」
 まだ息も荒く掠れ掠れの反応にもう一度髪をかき回してやると、今度はぐいっと手を掴まれて力ずくで止められてしまう。そこまで嫌がられるとこっちも意地になってぐしゃぐしゃと頭を撫ぜまくってやる。これならどうだと思ったら、姑息にも床の上を転がって逃げられてしまった。
「ずるいぞ」
「しつこいです。それください」
 まだうつぶせに転がって、体育館の床と仲良くしているのに、図々しくも腕を伸ばしてはやくと要求してくる。それといわれて一瞬何か分からなかったが、自分が持っているものなんだろうなとスクイズボトルを軽く振ると、再度催促されてしまった。
「おまえ、なんでそんなに態度がでかいんだよ」
「そういった態度だとか振る舞いに関して、火神君だけには言われたくありません。特に敬語」
「ああ? ケンカ売ってんのか」
「そう思うのは、自分に心当たりがあるからではないでしょうか」
 さっきまでに疲労困憊した姿はどこへなりを潜めたのか、打てば響く鐘のように無駄にぽんぽんと言葉が返ってくるのにイラついて、手にしていたボトルを上気している頬に押し付けてやる。
「うわっ」
 珍しく声を荒げた黒子は、何事かと目を白黒させて飛び起きた。それがおかしくて揶揄するように、ニヤニヤとしながらまんまるになった露草色の瞳を覗き込むと、小学生みたいなことはやめてくださいという冷たいお言葉とともに、乱暴にボトルを奪い取られてしまった。
「しつれーなやつだな。熱いかと思って涼しくしてやったんだろ」
「驚かせようとしたの間違いじゃないんですか? 悪戯に成功したのを喜ぶ子供みたいな顔をしていました」
「先入観のある見方をしてるから駄目なんじゃねえの?」
「どんな先入観ですか」
 いやそうに顔をゆがめた黒子は、スポーツドリンクを流し込んで一息つくと、疲れた体をほぐすように天井に向けて大きく伸びをした。まだ息は荒い。ついでに、体中汗だらけだ。基本的に体力がないということは見ていれば分かるし、必死になってうちの練習についていこうとすることも知っている。練習後に倒れてしまうのだって、こいつなりにギリギリまでがんばっているからだろう。バスケに関しては絶対に弱音をはかないし、自分にとって必要だと思えばとことんまで突き詰めて、諦めることなく練習に励む。こういうところは素直にすごいと思うことができた。こいつなりにがんばっているんだろうと、頭に手を伸ばすと、触れる前に叩き落されてしまった。
「ボクの頭は手を休める場所ではありません」
「わりぃ。ちょうどいい位置にあるから」
「それって、もしかしてボクの身長に対して何か言いたいことでもあるんですか?」
 不満げに目を細めた黒子が、オレのことを睨みつけてくる。疲労が激しいためあまり迫力がないが、いまのところ精一杯の不機嫌ですアピールのようだ。身長や体格で子供扱いされるのがあまり好きではないらしく、疲れて気が立っているのか、こんな些細なことにまで突っかかってくる。いつも無駄に口の立つ黒子にやり込められているオレとしては、意固地になっているその姿にちょっと胸がスカッとするような気がするのだが、黒子の普段の積み重ねが原因であって、オレの性格がひねくれているわけではないと信じたい。
「いやまさか、おまえの身長が低いなんていってねえだろ?」
 さらに、その積み重ねのせいなのか、人に子供みたいというくせに、それこそ拗ねた子供みたいに頬を膨らませる黒子に、こちらとしても悪戯心が刺激されてしまう。その悪戯心を残しながらも、オレの冤罪を晴らすように軽く肩をすくめて自己弁護すると、白々しいとでも言いたげな半眼で黒子がこちらを見ていた。
「火神君がそんな皮肉を言うなんて、成長したものですね。ボクはちょっと感動してしまいました。このあいだまで、羅生門のことをラshowモンといっていた人と同一人物とは思えません。目を見張るほどの進化です。ボクは人間の可能性というものを垣間見た気がします」
 立て板に水とばかりに落ち着いた声音で紡がれる言葉の一つ一つが、間違っても言葉通りにオレのことを褒めているとは思えない。というより、それを賛美の言葉であると取れるほど、オレだっておめでたくはない。思わず手が出そうになるのを堪えて拳を握り締めると、黒子がどうしたんですかと控えめに首を傾げた。
「おまえ、確実にバカにしてるよな。オレの思い違いとかじゃなくて百パーセント絶対に」
「いいえまさか。火神君をバカにするだなんてそんなこと……」
 滅相もございませんと瞬いてスクイズボトルを抱きしめた黒子は、無表情の仮面の下で確実にオレのことをあざ笑っている。いつもは凪いでいる露草色の瞳が、体育館のライトで艶やかに光っているように見えるのもなんだか癪に障る。一つのことが気になりだすと、無意味に他のことが忌々しく思えてきてしまうのが人間というものだ。
 堪えるように握り締めていたはずの拳に、逆に力が入る。思わずそれを黒子に向けてしまいそうになったところで、後頭部を衝撃が襲う。
予期していなかったそれに、力の方向に従って黒子の方へ倒れそうになる。やばいと、なんとか直前で床に両手を付いて堪えた。顔を上げるとまん前、すぐそばに驚きに目を見開いている露草色があって、あと少しで黒子にヘディングをかますところだった。体勢を立て直そうと体をもがかせると、妙に近い距離に黒子が身じろぎをする。衣擦れと、バッシュが床にすれる音がした。
「火神君近いです。ちなみに、犯人はボクではありません」
「わかって、いって!」
 今度こそ手加減なしに御見舞いされた一撃に犯人を振り返ると、呆れなんだか怒りなんだか、眉根をひそめて青筋を立てている主将の黒い瞳とぶつかった。その向こう側には、興味深そうにオレたちのことを覗き込んでいる木吉センパイの姿もある。
「です!」
「ダアホ、敬語が追いついてねぇよ! あといつまでも遊んでんじゃねえ。他の一年生は片付けいってるぞ!」
「遊んでねえ、です! こいつが!」
 どうしてこんなことになったかを弁解するように傍にいる黒子を顎で指すと、もう一撃御見舞いされてしまう。何度も同じところを殴打されたせいで痛む頭を抱えると、まだ距離を取りきれていなくて、オレの下に潜り込むような状態になっていた黒子が大丈夫ですかといってポンポンと肩を叩いてきた。労わっているように見えて、その実、元凶はこいつなのでまったく嬉しくない。こういうときばかりはこいつの影の薄さが羨ましくなってくる。
「言い訳はいいから、はやく降旗たちを手伝ってこい!」
 主将が顎で指した降旗たちは、すでにボールをカゴに納めきっていて、あとは体育館倉庫に運んでいくだけの状態だった。あと残るはモップがけくらいだから、それはオレたちもやらなきゃならない。あれだけ無駄に口が回れば黒子も大丈夫だろうと、中途半端な体勢のままになっていた体を起こそうとすると、木吉センパイがどうしてだか、嗜めるように主将の肩を叩いた。この場合、オレたちのほうにそれが向けられるべきではないかと思うけれど、死にそうなほど嫌そうな主将の表情にその全てが凝縮されている気がする。
「あんま怒ってると血圧上がるぞ。ばあちゃんも高血圧には気をつけろって言ってた」
「ん? オレはおまえに黙ってろって言ったよね? 言ったよね? ここは雰囲気読んでオレと一緒に一年に片付け行けって言うところだよね? なんでおまえは高血圧の心配なんてしてんだよダアホ! 血圧上がる理由の一端はおまえにもあるんだよ!」
「落ち着け、日向。仲良きことは素晴らしきかなって、昔から言うだろ」
「ちげえ、まったく関係ねぇから。なんで、そんないいこと言ったみたいな顔してるんだ。オレの伝えたかったことまったく伝わってねえよ!」
 最後の最後、世界の真理でも告げるかのように腕を組んで重々しく吐き出したセンパイの頭を、主将が手加減なしにはたく。プロなんじゃないかと思えるぐらい良い音のしたそれに、木吉センパイの、暴力はよくないぞという、この上なく正しく一点の曇もない世の中の大半の人間が頷くだろうその主張に、余計に主将の苛立ちが増していく。
いつだって木吉センパイは真剣だ。センパイが真面目であればあるほどに、話はずれていき、主将の血圧も上がっていく。この負の連鎖は今回も止まることなく続いていく。オレたちが怒られていたはずなのに、いつの間にか、主将が木吉センパイを説教する構図になっている。なんだかよくわからないけど助かったと、同じように叱られていた黒子に視線をやると、面倒ごとを切り抜けたと安堵する表情だ。あまり感情を表に出すほうではないが、なんとなく分かる。絶対そういうことを考えてる顔だ。
「カントクも何とかいってやれよ」
 緊急信号のように、案外切羽詰った主将のエスオーエス。しかし、返事はない。突っ込みの追いつかないこの状況に、頭を抱えてため息をついた主将に話しかけられても、なんとなくぼんやりとしたままオレたちを見ていたカントクに、違和感を持つ。いつもならこういうときに怒声を飛ばしてくるのは、カントクの仕事だった。なのに、主将に同意を求められても、何処か歯切れが悪くて、腕を組んでうんうんと唸りながらオレと黒子を見比べている。本日何度目かのその視線に、やはりオレたちが何かしたのだろうかと不安になってくる。心当たりがない分余計に。
「どうかしたのか?」
 訝しげな表情を浮かべた主将に問いかけられても、カントクの歯切れは悪く、はっきりとしない。はつらつとして活動的な彼女の姿とは正反対の状態に、オレと黒子も、お互いに何かしただろうかと顔を見合わせてしまう。
カントクのその様子に、練習が終わって自主練に入ろうとしていたほかのセンパイ達や、だいたいの片づけが終わった降旗たちまでオレと黒子を中心に集まってきて、即席のミーティングのような状態になってしまった。
「おーい、リコ?」
 反応を確認するようにカントクの顔の前でひらひらと手を振る木吉センパイに、鳶色の瞳が瞬くのが分かった。
「えっ、あっ。いや、なんでもないのよ。ただ、ちょっと気になることがあっただけなんだけど。あんた達なんでこんなに大集合してるの?」
 さっきまでのミーティングの再現のような布陣に、カントクは慌てたように全員の顔を見回す。集合の原因となった本人には自覚がないらしく、そんなことしてるぐらいならはやく練習に戻りなさいよとまでいっている。何かあればすぐに言ってくるカントクのこのらしくなさに、センパイたちも珍しいものでも見たように興味深々だ。
「いや、カントクがなんかほんやりしてるから、なんかあったのかとおもって。なあ?」
 バスケットボールを抱えた小金井センパイが、同意を求めるように水戸部センパイを見上げる。それに応えるように眉根をさげたセンパイは心配そうな視線をカントクに送る。
「え? わ、私?」
「まあ、どう考えてもそうだろ、この状況は」
「カントクが、珍しくマジな感じだったから、なにか緊急事態なのかと思って」
 腕を組んで眼鏡のブリッジを押し上げた主将に繋ぐように伊月センパイも肩をすくめた。
「ツッチーなんて彼女待ってるのに、戻ってきたんだぜ」
「おいコガ、それはいいんだよ!」
 急に水を向けられた土田センパイは慌てて小金井センパイの口を塞ごうとするが間に合うはずもなく、元気のいいセンパイの声が体育館に響く。エコーまでかかって。
「あぁ? 彼女? 良いご身分だよなあ」
「男の嫉妬は空しいぞ」
 したり顔ではやし立てる小金井センパイに、人でも殺せそうな主将の視線が突き刺さる。慌てて二人の間に入ろうとした水戸部センパイは、完全に母親のようなオーラを出していた。心配そうな水戸部センパイに、主将は別にとって食ったりしねぇとか言っているが、土田センパイに対するそれは、確実に怒りというかマイナスの感情が含まれていた。もちろん、それはこの場にいるみんなにもれなく伝わっていたようで、伊月センパイは苦笑いを浮かべて主将の肩を叩いた。
「日向、ちょっとスイッチはいってる。あ、これどう? 嫉妬をしっとかないとね!」
「やめろ伊月、余計イラッとするから! あと、とりあえずコガは黙ってろ」
「場を和ませるギャグだろ?」
どうしたらそこまで純粋に一点の曇もなく、自分のギャグが受けると思えるのだろうか。無邪気な子供のような表情に主将はがくりと力をなくしてしまう。
「かのじょ……」
 カントクの口からもれた言葉に、全員の動きが止まる。そして、またもやその鳶色の瞳がオレたちに向けられているのがわかって、自然と姿勢を正した。いままで黒子に倒れ掛かる不自然な姿勢のままだった上体を起こして、示し合わせたわけでもないのに正座をしてしまう。一瞬かち合った露草色の瞳とのアイコンタクトによると、いまは大人しくしておいたほうがいいというのが、オレたちの統一見解だ。たかがアイコンタクト、されどアイコンタクト。練習や試合の中で培ってきただけはあって、この精度は中々だ。
「疲れてるのか?」
 どこか呆然とした、何か探り出そうとでもするかのようなカントクに、木吉センパイが心配そうに様子を伺う。
「な、なによ鉄平まで。気持ち悪いわね」
遠慮なしの一刀両断に、木吉センパイ以外の全員がその心情を慮って沈痛な面持ちをみせた。心配したのに、気持ち悪いってのは傷つく。しかし、その可能性をまったく見出していないカントクはむしろ、急に近くなった距離に驚いたようにすっと身を引いて、なんでもないの心配しないでと取り繕ったような笑いを見せる。どう考えても、なんでもないという状況ではない。目は口よりもものを言うってのはこういうことなんだろう。
「あの、オレたちがどうした? ですか?」
 じっと向けられ続けている視線に耐えられずに問いかけると、カントクがなにかを吟味するように視線をさ迷わせた。腕を組んでこちらを見ているさまは、練習メニューを考えているときみたいに真剣なもので、なんだか雲行きが怪しくなってくる。どう考えても明らかに、カントクがこうなってしまった理由の一端はオレと黒子にあるとしか思えない。嫌な予感はすれども、このまま放置で過ぎてしまうのも、結局なにがあったのかがはっきりしなくてあまりよい気分とはいえない。どうせなら、何が原因なのか白黒つけてしまいたくて、更に一歩踏み出すように、カントクの鳶色の瞳を真っ直ぐに見た。
オレと黒子の真剣さにのまれるようにごくりと唾液を飲み込んでたじろいだカントクは、なんと言えばいいのかわからない、それこそ迷子の子供のような顔で、オレたちと床の間で視線を行き来させている。ただ事ではない状況に、この場の興味の全てがオレたち三人に向けられていて、見られていることに過剰反応するように、チリチリと肌がざわめく。
「黒子君と火神君って」
 急に呼ばれた名前に、すっと背筋を伸ばす。黒子は求められているわけでもないのに、はいと返事をしていた。

「いちおう言っておくけど、私はそういうのに偏見はないからね。恋愛は個人の自由だと思ってるから」
偏見だとか個人の自由だとか、いまのバスケ部にはまったく関係ない単語を怖いくらい真剣に口にするカントクの様子に、主将や降旗たちがオレたちとカントクを見比べているのがわかる。たくさんのピースの中から当てはまるものを探そうとしているのに、なかなか合致するものが見つからないもどかしさを堪えるように額を覆ったカントクは、覚悟を決めたようにばっと顔を上げて、口を開いた。
「あんたたちって、付き合ってるの?」
 カントクの言葉に、一瞬、時が止まる。
カントクを中心とした全員が困惑を絵に描いたような表情で、それぞれに視線を泳がせていた。もちろんオレも、カントクの言っている意味がよくわからなくて、へっと間の抜けた声をあげることしかできなかった。一番回復がはやかったのは隣に座っていた黒子だった。