【 1.空前絶後の小説家たち 】

 重々しい雰囲気を打破するかのごとく、無理に作ったとわかるような明るい声が響いた。
もちろんそこに何か意味があるはずではあるのだが、火神大我にはその意味がよくわからなかった。いや、それがわからないほどの愚か者ではないが、その言葉を疑うこともなく理解できるほど従順でもなかった。
「これで火神っちもオレたちの仲間いりっスね!」
 火神の沈黙に更に上滑りする黄瀬の声色。それは、空元気で火神のことを慰めようとしているというよりも、どちらかといえば同じ泥沼にもがき苦しみながら落ちていく友人に喜びの笑みを浮かべる酷くほの暗いものを感じずにはいられなかった。短気なところもある火神が、にやにやとした人の不幸は蜜の味を地でいくような黄瀬の狐のごとき笑顔に殴りかからずにすんだのは、彼の手元にある一冊の文庫本のせいだろう。黄瀬の命の恩人でもあるその文庫本は、妙にきらびやかというか毒々しいというか、光にかざせば万華鏡のように色を変えて夜の街を照らすミラーボールのようにチカチカとして落ち着きがない装丁だ。
 そして、問題なのはここからだ。
 すごく、とても、これ以上ないくらいに問題なのは、ここから先なのだ。
 何の変哲もない(もうこの文庫本が手元にある時点で火神にとっては大事件なのだが)艶やかなカバーには、絡み合う二人の男が描かれていた。片方は身長も高く筋肉質で、眼光鋭い野生的な魅力を感じさせる紅色の髪をした男で、その男に乱暴に組しかれるようにしてわざとらしいくらいの対格差で描かれているのは、線も細く全体的に色白で儚げな印象の女性的な男だった。この影の薄い感じが誰かを連想させる上に、その上にのしかかっている男も、なんだかすごくデジャヴを感じさせた。誰にそっくりだとは言わないが、髪だとか目の配色だとかが火神のよく知る人物、今朝も鏡で、ちょっと前にもトイレの鏡で確認した、よくよく知りすぎるくらいに知っている人間に他ならない気がした。
「オレは、イケメンモデルと一般人のスキャンダルラブみたいな感じだったけど、火神っちも表紙からけっこうきてるっスね! 軽く読み流したところ、なかなか火神っちの特徴をうまくとらえたキャラクター造詣だったっス。名前が水神になってたのが、なんだか笑っちゃったけど。そこは黒子っちの最後の仏心ってことなんスかね?」
 どうおもいますかと問われても、仏なら友人を売るようなこんなまねはするなとか、これってプライバシーとか肖像権的なあれの侵害なんじゃねーのとかいろいろなことが頭の中をぐるぐると回っていく。反応のない火神を覗き込んだ稲穂色の瞳がにんまりと細められて、若干震えている火神の手のひらから文庫本を奪い取りパラパラとめくっていく。
「うわー、黒子っちもなかなか楽しんで書いてるんスねやっぱり」
 こことか見るべきっスと目の前に突きつけられたページ。見たくもないのに眼前に差し出されれば半強制的に視界に入ってしまうというものだ。そこにあったのは、壁に追詰められる黒子にそっくりな男子生徒と、追詰めている火神になんとなくそっくりな男の挿絵で、そのページの最初には「好きだテツヤ」とかなんとかいう台詞が見えて、その瞬間に反射的に黄瀬の手のひらから文庫本を、伊集院徹子こと黒子テツヤの新刊BL小説(明らかにモデルが火神と黒子)を地面へと叩きつけていた。
 既に何人も、人身御供になっているとはいえ、火神としてはまさか自分に害が及ぶとは思っていなかったのだ。黄瀬に言わせれば、誰よりも先陣を切って生贄になるのは火神であるべきだという意見が圧倒的大多数であったのだが。あまりの現実に肩で息をしながら目の前の出来事を拒絶しようとしていた火神を、誰が責めることができようか。



【 2.群馬の家 】
 
 部屋の壁に掛けるようにして置かれている大きな液晶テレビから、とうとうとしたナレーションが聞こえてきた。どうやら、古くなってきた家を改装するという趣向の番組らしく、今回は群馬にある一軒家を舞台に選んだということだそうだ。なんでも、家の大黒柱がお風呂が好きで、是非とも室内に温泉のような豪奢な風呂場を作ってくれないだろうかというリクエストらしい。
そんなあきらかにテレビに映し出されている家からはキャパシティを超えているとしか思えない願いを、一軒屋を改築したぐらいで実現することができいるのかどうか甚だ疑問だったが、依頼主としてはそのあたりを行き過ぎた望みだとは思っていないのだろう。
 いや、そんなことはどうでもいいんだ。
 現在進行形で進んでいくこの世にも理不尽な状況を思えば、人の家に温泉ができようが爆発しようが失敗しようが知ったことじゃない。それよりも、群馬の家だかどこかのリフォームについての番組を垂れ流しているこのテレビも、いままでの尊い犠牲の上に成り立っているのだと思うと、自然と胸が熱くなった。そしてそこに、ついに自分が名を連ねてしまったのだとすれば、その衝撃と遣る瀬無さは筆舌しがたいものとなって目頭さえ熱くなりそうになる。
「あの、黙り込んでどうしたんですか? そんなに感動してしまいましたか?」
 この本と、先日知りたくもないのに黄瀬によって知らされてしまった残酷な事実もとい、黒子の新作を眼前に突きつけられる。見れば見るほどに、どう考えてもオレと黒子にしか見えなくなってくるので、やめてもらえないだろうか。最初はちがうちがうと自分に言い聞かせていたのだが、一度自覚してしまうと残酷なほどにそっくりに見えてしまうから、その結論に至った自分の頭さえ憎らしく思えてくる。しかも、家に帰ってからもう一度読み直してみたら、なんとなく身に覚えのあるエピソードまで改変されて流用されているのだ。
これを聞いた人間は、自分が主人公として登場しているなど自意識過剰にもほどがあるというかもしれないが、明らかにこのキャラクターデザインと、バスケットボール部に所属したアメリカ帰り(勉強があまり得意ではない)という設定までこればあれこれオレのことじゃね?と首をかしげずにはいられなくなってくる。
「なわけあるか!」
 咄嗟に黒子の手のひらから文庫本を引っつかもうとしたが、寸前のところで避けられて手が空を掴む。肩を怒らせているオレを見て何を思ったのか、とりあえずこれでも呑んで落ち着いてくださいと、すでにさめてしまっているコーヒーを勧められた。勧められなくたってコーヒーでも飲んでなきゃやってられない。もうむしろ、ビールでももってこいよと言いたくなってくる。オレのほかにも、黄瀬を筆頭に緑間や青峰、そして日向センパイや木吉センパイも黒子の餌食になったのだという話を風の噂で聞いていたのだが、いままでの犠牲者もこんな荒れ狂う海みたいな気持ちだったのかと思うと、黒子の被害者友の会を設立したくなってくる。
「これでも、ボクの書いた作品の中ではなかなか反応がよかったんですよ。もしかしたらシリーズ化するかもしれないって、担当さんから連絡があったんです」
 仕事がうまくいっていることが嬉しいのだろう、にっこりと笑った黒子にそれはよかったなと言いそうになったが、それを直前で飲み込む。よかったもなにも、黒子が手にしている本の中には勝手にオレが出演させられたりしているのだ。事前の深刻もなしに流石にそれはひどいのではないだろうか。だからといって、連絡をくれたらオッケーをだしたのかと問われればそれはまったく別の話になってくる。
「それって、まあつまり、あれだよな」
「あれ?」
 不思議そうに露草色の瞳を瞬かせた黒子。その童顔ゆえにあどけなささえ感じる面持ちに、黄瀬に見せられた挿絵の中の線の細い少年のイメージが重なる。それを自分が元となった少年が押し倒して恋愛感情を盾にして性的な行為まで迫ったのかと考えると、仮想の出来事だというのに他人事とは思えないような居た堪れなさに顔を覆いたくなる。だから、自分が口にしようとしてできず、濁した言葉に更に逡巡を覚え頭を抱え重々しい溜息を吐き出した。
「あー、つまりだな。その、男同士の恋愛を描いたというか、えっと」
「ああ、まあそんな感じです。男同士の恋愛を題材としたBLという立派なジャンルです」
 困惑しているオレを尻目にしゃあしゃあと言いきった黒子は、自分の書いているものに恥じる必要はないと言いたげに胸を張ってオレを真っ直ぐに見つめている。自らの仕事に誇りを持っているのは好感が持てるが、それとこれとは別問題もいいところだ。
「だから、なんでそこで、オレとおまえが恋愛してるんだよおかしいだろ! しかもやってるし! ねーよ」
「それは、ファンタジーですから。ねーですよ。しかもご丁寧に全部よんでくださったんですね。少し嬉しいです」
「別に読みたくてよんだわけじゃねえ! オレのしらねぇところで自分がなにさせられてるか気になっただけだ! しかも、オレとおまえにはねーけど現におまえかいちまってるだろ!」
 眉間に皺を寄せて、至極真剣な表所を作った黒子は、ごくりと唾液を嚥下してオレを見つめた。
「もしかして、本気にしたわけじゃないですよね。もちろん、ボクと火神君の間にはこういった関係はありませんでしたよ?」
「わかってるわ! そんなとこで勘違いするか!」
 オレの言いたいことがまったく伝わっていない。この苦悩が伝わらないもどかしさに、溜息の変わりに冷たいコーヒーを流し込むと、その苦味だけが舌を刺激して思わず唇を噛んでしまった。唇から伝わる鈍い痛みにこれが夢ではないといくことを証明された気がして、自然と溜息が漏れた。
 いくら黒子に抗議したって、もう本屋に新刊として並べられている以上どうにもならないことはわかっているし、それなりに売れていて黒子にとってプラスになっているなら、それはそれでいいんじゃねえのと思わないでもないが、だからといってよかったなと笑顔で肩を叩いてやるなんてのはもってのほかだという被害者としてのオレの気持ちも分かってもらいたいと、誰が聞いているわけでもないのに一生懸命に言い訳せずにはいられなかった。



13・02・04