それって恋みたいねと、夢見るような瞳で言われたのは随分前のことだった。何がきっかけでそんな話になったのかはわからないけれども、恋を語るには少々味気ない寂れた安っぽいバーだったことだけはよく覚えている。しかもその日は飲みすぎたのか、次の日に前後不覚になるくらいの二日酔いに苛まれて、よい思い出といわれるようなものは何一つとしてなかった。ただ一つ疑問だったことといえば、なんで女は人間が二人いるとすぐに、愛とか恋とかそういった関係性で結び付けたがるのかということくらいだった。
しかし、もしもあの女の言うとおりに、あのときオレが何気なく話して聞かせた高校時代から続いているあいつとの関係を恋というフィールドで語ってみせるならば、今日はオレにとって絶好の失恋日和ということになるのだろう。この話をあの女にしたら、今度は世の女性たちが涙を流してページを捲っているらしい、ベストセラーの恋愛小説も吃驚の超大作恋愛巨編を妄想して語って聞かせてくれそうだ。主人公をオレとあいつに勝手に置き換えて。
遠くに見える空は、気持ち悪いくらいに澄んでいて、綿菓子のように真っ白な雲がふうわりと浮かんでいる。昨日の雨が嘘みたいに深い青は、新しい門出を祝福するように冴え渡っていた。誰しもがみる夢の形を体現したようなその爽やかさにめまいさえ覚えながら、目の前のミニチュアの城のように美しく磨き抜かれた白亜の建物を睨みつけた。大きく開かれた木製の扉を囲むように、黒いスーツを身にまとった男や、ここぞとばかりに自らが主役と勘違いしたような色とりどりのドレスをきた女が楽しそうに歓談していた。その中には見慣れた顔がいくつもあり、オレも彼らと同じように暑苦しいフォーマルスーツを身にまとっていた。ネクタイを外してしまおうかとも思ったけれども、既にだらしがないと怒られたばかりなので、少しだけ呼吸を楽にするように調節するだけで我慢する。
みな一様にドアの向こうから主役達が現れることを待っている。その間を縫うように、式場のスタッフ達が手にしていたカゴから一つの包みを取り出して、何やら説明しながら歩いていく。一歩はなれた場所にいたオレのところにも女のスタッフが来て、新郎新婦が教会から出てきたら、このお米をまいてくださいと、同じような包みをくれた。俗にいうライスシャワーというやつだろうか。実際にやったことはないので、少しだけ楽しそうだと包みを開けながら思った。
木製の扉からうつくしくドレスアップした新婦と、今日ばかりは影が薄いとは言いがたい新郎が現れたときに、その歓声が一気に爆発する。深く青い空に祝福の純白が混じるように、一気にライスシャワーが投げつけられて、おめでとう、おしあわせにという、二人の未来を祈る言葉が洪水のように溢れてくる。
オレも出遅れることのないように、手にしていた米粒を二人に向かって投げつけていると、別にねらったわけでも悪意があったわけでもないのに、露草色の頭に勢いよくぶつけてしまう。小さいものだから痛くないはずだと、自己弁護をしていると、目を白黒させた新郎と視線がぶつかって、なんだか居た堪れなくなる。
すまないと、口パクだけで言うと、伝わったのかわからないけれども、わかりましたという声がきこえたようなきがした。だが、それも一瞬のことで幸せの最高潮にいる新婦が、まるでそれは自分のものだとでも言うように彼の腕を握り締めてなにやらを囁いたことで、彼の意識はそちらへと向かってしまう。
「さみしくなるわね」
にやりと弧を描くように口角をあげたカントクの登場に、思わず一歩下がってしまう。こうやって面とむかってあうのは久しぶりのことなのに、すぐに高校時代にもどったように身が引き締まるような思いがした。
「なによ、お化けでもみたような顔して。失礼しちゃうわ」
外見は参加している女性達に負けず劣らずのドレスアップをしているというのに、口元に浮かんでいる笑みは、オレたちをしごいていた高校時代となんらかわっていない。もうオレにとっての監督ではないというのに、カントク呼びが定着してしまっていて、カントクという呼称以外でこの女性のことを呼ぶと違和感しか沸いてこないくらいだった。
「そんなことねーっすよ」
「あらあら、素直じゃないんだから。相棒を取られて悔しいのは分かるけど、今日くらいは二人の門出を祝福してあげなくっちゃ。あの桃井さんだって、号泣しながら新婦に向かってライスシャワー投げつけてたのよ」
カントクに言われて、彼女が指さしたほうに視線をやると、たしかに無駄に大きな胸を露出した青いドレスを着ている桃井が、泣きはらした顔をしながら、ライスシャワーを主に新婦に向かって投げつけていた。布地が少なすぎるとか、吹けば飛ぶようなその格好がいろんな意味で注目を集めているとか、おまえはどこのセレブなんだと突っ込みたいことは数え切れないほどに存在していたのだが、それよりもなによりも、あいつは確実にライスシャワーという儀式の趣旨を誤解しているだろう。それに気づいているらしい新郎も困ったような笑みを浮かべて、桃井に手を振っていた。
「あれは駄目だろ。てか、別に祝福してないわけじゃねーし、祝う気持ちがなきゃわざわざ帰国の予定ねじ込んだりしてねえっす」
「かなり無理してきたんでしょ。彼が、もう少し日取りを考えればよかったってぼやいてたわよ。それをお嫁さんに聞かれて、喧嘩になりそうになったってことも」
「そりゃあ、男友達一人呼べないから、結婚式ずらしてくれなんていわれたら、怒られてもしかたねえだろ」
でも、どうしても呼びたかったんでしょう、火神君のことと、小さく笑ったカントクに、全部気持ちを見透かされてしまっているようで、恥ずかしくなった。
いや、やましいところがあるわけでもないし、今日という日を呪っていたわけでも、いつかあの女が言ったみたいに、オレたちが恋愛関係にあったわけでもない。何回も誤解されるようなことがあったけれども、二人して苦笑いしながら何度も否定してきた。そして、そんな関係がいつまでも続くんじゃないだろうかと思っていたところがあったから、なんの前ふりもなしに届いた、結婚式の招待状にひどく狼狽してしてしまったのだろう。そこに他意などは存在していなかったはずだ。