時間がたつのはあっという間だ。そんなことはこの歳になれば痛いほどに分かるようになった。一日が過ぎるのがはやいとおもっていたら、次は一週間が風の ように過ぎていき、そのうち一ヶ月まで光のスピードで消費していってしまうのではないかと末恐ろしいものさえ感じてしまう。つまり何が言いたいのかという と、俺が歳を取るのもあっという間なら、楓が成長するのもあっという間で、しかも娘とは手に負えない生き物らしく、女の子になったかと思ったら知らないう ちに女性になって、いっちょまえにレディを気取ってみせるのだ。
 そうなってくると、それ相応のバートナーも出現してくるわけで、俺も父親として の最難関、娘の恋人とのご対面を果たしたりせねばならなくなったのだ。成長すればするだけ、どことなく友恵の面影を感じさせるようになった楓は、お父さん みたいな人なんかとは絶対に結婚しないんだからと、俺の心を打ち砕くような目標の元、俺の娘に恥じないほどのポテンシャルの高さで、そのスローガンを守っ て見せたのだ。紹介された恋人は、前日にビンタのスウィングをしていた俺の予想を裏切るほどの好青年で、裏の裏の読みすぎで、どう転がったっていいやつに しか見えなかった。持参した手土産がなかなか美味かったこともポイントが高かった。ここまでこれば、楓の見てなさいよといわんばかりの誇らしげな表情にも 納得が言った。その上、ヒーロー好きと来たものだから、楓を差し置いて恋人を独占し、ヒーローの話題で大いに盛り上がってしまったのだ。
 そのと きは、俺なんかよりもバニーのほうが重症で、楓が帰ったあとに興信所に身元調査をだとか、年収は大丈夫なのか(そのときはまだ二人とも大学生だった。年収 を気にするほうがおかしいというものだ)、職業はどうだ(言うまでもなく大学生である)、どうみても人がよすぎるから裏では汚いことをしているんじゃない かと、人間不信にでも陥ってしまったんじゃないだろうかと思えるようなことを、怖いくらい真剣に言っていた。全部笑って流してしまった俺に、虎徹さんはも う少し真面目に考えてくださいこのままでいいんですかと説教をくれるくらいには、楓のことを慎重に考えてくれていたのだと思うのだが、なにぶん行き過ぎで ある。
 俺としても自分の娘を取られたようで悔しかったし、実際問題ちょっと泣きそうだったのだけれども、そんなハートブレイクの涙も吹き飛んで、出会って一日目の恋人くんを必死になってフォローしてしまったのもいい思い出だった。
  そして、不毛な擁護派と否定派の言い合いの末のバニーの一言が今でも忘れられない。僕よりいい男でないと、楓ちゃんを嫁に出すことは出来ません! あの男 前が、女の子の黄色い声を浴びなれているバニーが、あんまりにもあんまりなくらい真顔で言うものだから、笑っちゃ失礼かと思ったけれどもやっぱり笑ってし まった。それが火に油にガソリンに灯油を注いで石炭までくべてしまって、瀕死覚悟の大爆発。どうしてだか俺が正座をさせられて、夜が明けるまでとうとうと 親としての心構えを語られてしまった。
 そしてそれも懐かしい思い出となったころ、ついに楓が結婚することになった。相手はもちろん、その恋人く んである。あわせていうのであれば、やっぱり時が過ぎるのははやく、結婚式もいつのまにか明日へと迫っていた。招待状を手にした瞬間から苦悩と覚悟を決め ていたというのに、待ちに待ったというか、紐なしバンジーを刷る気持ちというか、戦場へおもむくような心積もりというか、いろいろ交じり合っていた感情は 混沌としたままに案外あっけなく時間は過ぎていってしまったのだ。
 俺としても、楓を任せるには十分に安心できる男だと思っているし、バニーもあ の強硬派のような態度を、だんだんとではあるが軟化させていった。しかし、結婚となればなったでまた別の心配事もあるらしく、親の俺以上にバニーは忙しそ うだった。てか、隣でそこまで取り乱されると、見ているこっちが冷静になってしまうから、ある意味ではバニーがいてくれてよかったのかもしれない。
  今日も今日とて、何処か元気がないような様子でソファに座り込んでいる。もちろん、いまさら結婚に反対して暴れまわるでも、楓を止めに走るわけでもない し、そんなこといまさら何をしたって覆ることはないのだ。そして、バニー自身もそれをよく理解しているし、ただ単純に気持ちの整理がつかないだけなのだろ う、危険思考を発揮することもなく、静かに大きな嵐が過ぎることをまつように息を潜めているのだ。
「明日の準備終わったのか?」
 大きな肩がびくりと揺れた。これじゃあいつもと逆だ。
 バニーがここで一緒に住むようになってから。いや、それよりも前から、何かあるごとにこうやって声をかけるのはバニーの方だった。その自覚が彼のほうにもあるのか、拗ねているとも取れる表情で俺の方を振り返った。
「それは、こっちの台詞です。おじさんこそ、準備は終わったんですか。いつもの調子で朝になってバタバタするのはやめてくださいよ」
「おまえ、それはねえよ。さすがに今回それはない。断言できる」
 失礼としかいえない冤罪を吹っかけてくる、すけるよう翡翠色が、皮肉げに細められた。涙に暮れるような背中をしている彼の瞳は、兎のように赤い色をしているのかと思ったけれどもそこまでではない。
「そういって、いつもオチをつけてくれるのは誰でしたっけ?」
 その声色に覇気はなく。嫌味にも切れはない。室内灯の明かりを受けたハニーブロンドだけが、いつもと同じようにつややかに輝いていいた。楓の結婚式で泣く俺を慰めると豪語していたのはバニーのほうだというのに、これじゃあ立場が逆である。
「それはまあ、あれだ。それはそれ、これはこれ」
  慌てて否定する俺に向けられるのは疑わしい眼差し。いままで培ってきた信頼というものはここではあまり役に立たなかったらしい。誤魔化すようにまあいいん だよと混ぜっ返して、バニーの隣に座り込み、元気のない肩に肘をかけた。少しだけ驚いたように瞳を瞬かせたバニーは、別にいやなわけじゃありませんから と、小さく言葉を落とした。
「そんなこと、わかってるよ」
長い睫がまたたきのたびに揺れる。翡翠色が少しだけ躊躇して、俺を映した。
「家族、ですから」
 小さな声音が、俺の鼓膜を揺らした。まるで独白のように頼りないけれど、それはたしかに俺への言葉だった。バニーは視線をさ迷わせながら、それでも俺を見つめるように、そこに恥じることはないとでも言うかのように、途切れ途切れの言葉を紡いでいく。
「家族ですから、嬉しいし、祝福もします。でも、少しだけ、こわくて。これで、途切れてしまうようで」
  翡翠色は不安そうに揺れていて、真っ白な指先が、その不安に耐えるように握り締められていた。ばかだなあと思う、そして同時にどうしようもなくいとおし い。つなぐことを、つづることを恐れていたのに、バニーはもうこんなにも、俺のことを、そして楓のことを受け入れてくれていたのだ。それがどうしようもな いくらいに嬉しかった。だから俺は、自然と緩む頬をそのままに、あいつの瞳を覗き込んだ。
「ばか。途切れるんじゃない。つながっていくんだよ」
 不思議そうに傾げられた首に、小さく笑う。違うんだ。本当にわからないという顔をしているけれども、違う。終わってしまうわけじゃない。むしろはじまるのだ。
「あいつはあいつで、家族をつくっていく。新しい繋がりをつくるだろ。だから、それが広がっていくんだ。なんだ、 おまえはおじいちゃんかおじちゃんか? あっという間に孫か来て大騒ぎになるぞ」
にやりとした笑みを浮かべて、なあおじいちゃんとその肩を揺らしてやると、目を白黒させたバニーが、ハッとしたように俺の顔を見て、そして驚くくらい優しく笑った。
「僕は、おじいちゃんという歳ではありませんので」
 最後まで、素直ではない。ため息が漏れそうになる。でも、それより早くバニーが俺の名前を呼んだ。なんだよと、わざとらしく不服そうなに唇を曲げると、いったん言葉を切ったバニーがその続きを探すように、もう一度俺の名を呼ぶ。
「あなたって、本当にどうしようもない人ですよね」
 貶しているのか、褒めているのか、でも美しい三日月のような笑みを浮かべるバニーに後者のほうなんだろうなと、適当に検討付けておく。
「つながっていくんですよね」
「そうだよ、だからとぎれるわけじゃない。あと、結婚式で泣いたら慰めてやる」
「それはこっちの台詞です」
 はあと返されたため息。やっぱり、素直じゃない。



作成11・12・30
更新12・05・28