体全体が重い。青年から中年に足を踏み入れた身としては、信じたくもないが体力の限界というものを感じることがある。

特に最近、あの新人と組まされたせいで、否応なく自覚させられる。

  トレーニングルームの端に設置されているベンチに腰掛けて一息つくと、いままで酷使された体が一気に悲鳴を上げたような気がした。

ランニングマシーンで黙 々と走り続けていただけなのだが、同じだけのメニューをこなしていたバニーは顔色一つ変えることなく走り続けている。

この、俺たちの間にある埋められない 差は何なんだ。やっぱり若さなのか。

 自分でもトレーニング時間よりも休憩が勝っているのはあまりほめられたものではないとわかっている。

だが、理解するのと実行するのは別問題なわけで。

ベンチから腰を上げようとしても、脳が信号を送るのを拒否しているのか、なかなか体に力が入らない。

「あー、もう無理」

  こんな悲鳴を上げているのをバニーに見られたら、すごくさめた視線をプレゼントされそうだ。

まあ、当のバニーはなにを目指しているのか黙々とランニングマ シーンで走り続けているわけだが。

どうせなら階段で兎飛びでもすればいいのに。

そっちのほうが、お似合いだ。ぴょんぴょんとぶかわいい兎ちゃんじゃない か。あとは、どこかに置き忘れてきたとしか思えない、

年上を思いやる心を取り戻すことができれば完璧だ。どこに送り出しても恥ずかしくない。

 自分の考えた余りに現実から遠いバニー像に、涙を禁じ得なくなる。俺って、普段どれだけ迫害されているんだろうか。

よそ行きのあのお綺麗な笑顔を、少しくらい俺の方に回してくれても罰は当たらないんじゃないか。

「まあ、夢は見るだけ悲しいよな」

 はあと、疲れのせいではないため息をつくと、頬にひんやりとしたものが押し当てられて、

うわっと間抜けな声をあげたうえに大げさに肩を揺らしてしまった。

「夢を否定するのは悲しいぞ、ワイルド君」

「おい! 驚かせるんじゃねぇよスカイハイ!」

  この見当違いとしか思えない発言と声を聞けば、嫌でも誰だかわかる。

ぐいぐいと押しつけられたままのスポーツドリンクのボトルを奪い取るように受け取っ て、老若男女に大人気のキングオブヒーローを振り返ると、

全く悪気の感じられない、これぞヒーローとでもいえそうな爽やかな笑顔とぶつかった。

「すまない。驚かせるつもりはなかったんだが」

  この笑顔を見せつけられたうえで、更に素直に謝られてしまうと、怒鳴ってしまった俺の方が大人げない大人代表みたいに感じられて心苦しい。

しかも、俺がス カイハイに突っかかっていたと分かれば、俺が悪くても悪くなくても、百パーセント越えの高確率で俺ばかりが責められることになるんだ。

理不尽な事実に胸を痛めながら受け取ったボトルと表面を撫ぜると、俺の右隣にスカイハイが腰を下ろした。

「これ、もらってもいいのか?」

 冷えたボトルを左右に 振ると、中からは水音が聞こえてきた。スカイハイも同じデザインのものを持っているところを見ると、

俺にくれるということなのだろうが一応確認してみる。 自分用に持ってきていたスポーツドリンクは、

バニーが使っているランニングマシーンのそばに放置してきてしまったので、いまさら取りに行く気力もない。

「ああ。ずいぶん疲れているようにみえたのでね。トレーニング中の水分補給は生命線だ」

「ありがとよ」

  礼を言ってスポーツドリンクに口を付けると、スカイハイは晴れた空みたいな色をした目を細めて嬉しそうに口角をあげた。

こいつは、というよりもバニー以外はヒーロー活動として顔出しなんてしていないが、

こいつがあいつと同じような売り方をしたら更に人気があがることだろう。

この無駄な爽やかさと天然はどこか らくるんだ。毒気を抜かれてしまう。

「ずいぶん疲れているようだが大丈夫かい?」

「あー、大丈夫大丈夫。最近、トレーニングのメニューが一段と厳しくなってな」

  まだ黙々と走り続けているバニーのおかげで、俺のトレーニングメニューまで厳しく見直されてしまって、

本当にこれをこなすのかと二、三度確かめたくなるような素敵なものができあがったのだ。

バニーは文句一つなく着実にメニューをこなしていっているようだが、俺としては日々自分の限界を見せつけられている。 地味につらい毎日だ。

スカイハイも随分とトレーニングには入れ込んでいるようだからバニーとは気が合うことだろう。

 なんとなく視線のやり場に困って、ランニングマシーンで走り続けているバニーを目で追っていると、

隣にいたスカイハイがよく通る声でバーナビー君かと呟いた。

「え、ああ。よくやるなと思ってさ」

  走っているスピードが落ちることはない。男にしては長めの金色の髪は汗と室内の光を受けて少しだけ光を帯びていた。

トレーニングに勤しんでいるためか、体 に無駄な脂肪はついていなくてハーフパンツから覗く足も袖から見える腕も、

普段服を着たときに受ける細っこい印象とはつりあわないくらいに逞しい。走って いるフォームはお手本のようにきれいなもので、

これをお茶の間に流したらまたファンが増えるのだろうと思うと、やっぱり人間外見が八割というのも嘘じゃな いのかもしれないと悲しくなった。

あいつの場合は性格に難ありすぎて付き合っていくうえでたくさんログアウトしていきそうだけど。

「あ、バランス崩した」

  つんのめるようにして転びそうになったバニーについ口を滑らせると、隣からは何故だか笑い声が聞こえてきた。

バニーのほうは何もなかったように体勢を整え てまた走り出した。

平気そうな顔をしているが、内心は格好悪いところを見せた自分にあせったりしてるんだろうか。

それくらいしてくれたほうが、少しくらい はかわいげを感じられそうな気がする。

「バニーが転びそうだったのがそんなに面白かったのか?」

 笑みを深くしたスカイハイに問いかけると、まさかとすぐに否定される。まあ、この善人の集大成のような男が、人の失敗を笑うわけがないか。

じゃあ何がと問いかけると、バニーと俺を交互に見て空色の瞳を瞬かせた。

「いや、仲がいいのはすばらしいことだと思ってね」

「はあ?」

  自分でも間の抜けた声だと思った。

表情自体もかなり脱力したものになっているだろう。だって考えてみろ、俺とバニーを指して仲がいいだなんて

そんな百光年以上先にある言葉を結びつけるとは、俺の貧相な想像力を軽く凌駕している。

だが、スカイハイのほうは自分の言葉にいたく納得しているのか、すばらしいそし てすばらしいとかわけのわからないことを言っている。

 この天然は当てにならないので、俺が冷静になって考えるしかない。いや、どれだけ冷静に なったって、何も変わらないんだけれども。

会えば憎まれ口、失敗すれば軽蔑の目、心配すれば邪魔者を追い払うようなしぐさ。恥ずかしがりやの照れ屋さんだとしても納得できないレベルでの

鉄壁の愛想無しだ。日々悪化の一途を辿っている俺とバニーの関係を仲良しと評するのならば、

俺の持っている辞書とは違う非常にアグレッシブな意味を持った言葉ということになる。

「仲がいい? 俺とバニーが?」

 一応、声に出して確認してみたが、やっぱり違和 感がある。

スカイハイが見ている世界と俺が見ている世界は、もしかしたら違う次元に存在するんだろうか。

そこには、素直でかわいらしく、俺を先輩として尊 敬してたててくれるバニーがいるというのなら、

泣いて懇願してもいいのでその世界へといってみたい。

気持ち悪さで、一時間も持たずに二度目の懇願で元のバ ニーに戻してもらいたくなりそうだけれども。

「きみたちはお互いに助け合って戦っているじゃないか。ヒーローはみな単独行動が基本だからね、

ワイルド君とバーナビー君を見ていると少し羨ましくなるよ。志を同じくするものが傍にいるのはすばらしい、そしてすばらしい」

「天然は伊達じゃねえな」

「どういうことだい?」

 天然の意味が分からないからこそ、真の天然だ。

 俺の言葉を理解できないスカイハイは、頭を悩ませるように首をかしげている。

  単純に与えられた仲が良いという言葉じゃなくて、スカイハイが言うようなことを考えるなら、なんとなくではあるけれども同意することができた。

ヒーロー同 士が協力するということはあったがバディという概念は存在していなかった。普段からヒーロー同士の回線は閉じられていて、

情報を共有して戦うなんてことは ほとんどなくて、お互いにその場で力を貸しあってきた。

だが、いくら協力し合っても、その根本にあるのは結局のところランキングで、現場を離れれば所属も 違うライバル同士といえた。

市民を守りたいと思いながら、俺自身もまたスポンサーがいなければヒーローとして表舞台に立つことができない正社員の一人でし かなかったのだ。

それを思えば、対等でありライバルでもなく、同じ立場でものを見られるバディという存在は貴重なのかもしれない。

 発想の転換というのは偉大なものだ。

 いつの間にかバニーはランニングマシーンを使うことをやめたらしい。また次のトレーニングに勤しんでいるのだろう。

あまりここでさぼりすぎると、あとから嫌味をお見舞いされそうだ。

「仲が良い、か。ものは言いようだな」

「それに、嫌いな人の誕生日を祝おうなんて考えない。真剣になって怒ることもない。そうじゃないか?」

 この世の真理でも言い当てるようなゆるぎない口調に、どうしてだか白旗をあげたくなった。

眩しいばかりに子供のように純粋な理論を掲げるスカイハイから視線をそらして歯噛みしたくなる。

「そりゃあ、そうかもしれないけどなあ」

「二人は十分仲良しだ、そして仲良しだ」

 満面の笑みで頷いているスカイハイを見ていると、反論するほうが馬鹿らしく思えてくる。

色恋沙汰だって必死になって否定するほうが怪しかったりするものだ。 

凝り固まった体をほぐすために伸びをして立ち上がる。

いつまでもここにいてはそれこそ本当に、仲良しといえなくもないバディに目も合わせてあわせてもらえなくなりそうだ。

それはそれでフォローが面倒なので、引き際は間違えないようにしたい。

「スポーツドリンクありがとな」

「ああ、気にしないでくれ。もういくのかい?」

「そろそろトレーニングに戻らないと、うちのバニーちゃんがきゃんきゃんうるさいんでね」

「それは、大変だ」

 さわやかな笑顔で言われてもあまり大変だという気持ちが伝わってこない。俺の迫害の日々はスカイハイには伝わっていないのだろう。

でも、こいつのこういうところが憎めないうえに、たくさんの市民に愛されているんだろう。

「あ、おまえ変なやつに騙されるなよ」

「え? あ、ああ」

 スカイハイは俺の言葉に鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたあとにひどく神妙な表情で眉間にしわを寄せて頷いた。

特別な意味があったわけじゃない。

ただ天然過ぎるから変なやつには引っかかるなということだったのだが、そこまで真剣に返されるとかえって笑えてくる。

 アポロンメディアに移籍すると聞いたときにはどうなるかと思ったが、今現在あいつが隣にいるのが当たり前なこの状態で、

そこまで苦痛でも不快でもないことを考えるなら、仲良しだとかそうじゃないだとかいう言葉よりも深く、俺に与えられた答えなんだろう。









11・05・22