薄暗い部屋の中、自分の呼吸音だけがよく響いていた。

それがなんだか気持ち悪くて、咄嗟にテレビのリモコンを探す。だが、自分がどこかに置いたはずなのに、すぐに置いた場所を思い出すことができない。

早く早くと意識すればするほどに何者かに追い上げられるような言いようのない焦燥を感じた。

ただ、音がないだけでどうしてこんなにもあせらなければならないんだろうかと思うのに、

自分以外がここにいると実感できるような音が欲しいと切に願っている自分もいた。
 あまりに必死になっている自分が馬鹿らしくて、部屋の中央にあるソファに腰掛ける。目の前にある大画面には何も映されていない。

真っ暗な中には、窓の外から微かに映りこむ明かりが四散していた。その光を辿るように視線をめぐらせていると、自然とため息が漏れた。

誰に向けたものなのかは分からない。なのに、静寂をはらんだ室内にいつまでも重くのしかかる。
「ばかじゃないのか」
 白々しいとそう思った。なのに、もう一度、今度は意識的にばかじゃないかと呟く。

自分以外の気配がないのはいつものことだ、なのに最近どうしてだか違和を感じてしまう。どうしてだかなんていうこのとの方が白々しいんだろうか。

原因を誰よりも一番良く知っているのはこの僕だというのに。
 自然と吐き出した重い息は、ただの呼吸というよりはため息で、そのことに気がついてまたため息をつきたくなった。

隣で静かな稼動音をたてているパソコンは、こんな僕の憂鬱さえしらないで、

たぶん僕にとって一生忘れられないであろう日のことを報道した新聞記事のスクラップを映し出していた。

この画面の中に映し出されている無機質な文字の羅列は、僕にとってはどんな現実よりもリアルなものだった。

そして、あの日から僕は覆しようもない孤独に似た何かを抱え込んでいた。
 埋められないままの空虚を埋めることさえ放棄して、正常とはいいがたい方法でその穴を塞ごうとしていた。

そうして東奔西走しているときには、前に前にと進めているような気がしたから。だからいまだって、実名を晒してまでヒーローをやっているのだ。

それがいいことなのか悪いことなのかなんていう判断基準には、重きを置いてはいない。

そんなちっぽけで独善的なもので解決できるような問題だったのだとしたら、いまごろこんな選択はしていなかった。
あのおじさんは疲れないのかと、むしろ自分が疲れきったかのような表情でいっていたが、やっとここまでたどり着いたのだ。

だから僕が手に入れたのは、疲労よりも確かな達成感だった。
 あともう少し、あともう少しで、僕の内側にある見えない穴は塞がるはずなのに、僕がたどり着かなければいけない場所はただ一つのはずなのに、

なのに、どれだけ戒めるような言葉を重ねたとしても、もうどうしようもないくらいにいまここにはないものを求めようとしている自分がいた。
 パソコンに手を伸ばして、瞬きもしない瞳で僕を見つめていた両親の写真を消した。

そうすることで、疼くような心の奥底が少しだけましになるような気がしたから。

そのままブラウザを閉じて、パソコンデスクの前に置き場所に困ったまま放置していた真っ赤な兎に手を伸ばした。

中に綿が詰め込まれているんだと分かるふわふわとした感触。毛並みに沿ってなでればもこもことした手触りが心地よかった。

この兎の人形に罪があるわけではない。だが、この兎の人形こそが自分が否定しながら求めようとしているものの象徴のようで、

自分を戒めるように気の抜けるような顔をしてる人形の顔面に拳をお見舞いした。

丸い目と目の間、人間で言うなら眉間あたりに直撃した拳は、人形持ち前の柔らかさで跳ね返され、大してダメージを与えられたようにも思えなかった。
 僕は何をしているんだろうか。こんなところをあの人に見られたら、腹を抱えて笑われてしまいそうだ。

それがまた悔しくて、人形を抱きしめたままその胸の辺りに顔を埋めた。
 でも、一番おかしいのは、たぶん僕だ。
 孤独の象徴のように整然とした音のない部屋の中で、ただこのヴィヴィットカラーの兎に手を伸ばしただけで、

僕をバニーと呼ぶ(もちろん本意ではない。僕の名前はバーナビーだ。

そして、僕がバニーと呼ばれるなら、あの人だってタイガーと呼ばれるべきじゃないか。いや、もう呼ばれているのか)あの男の声が再生されるだとか、

あんなにも苦しくて仕方なかった音のない世界を平然と受け止めることができるだとか、

案外あの人に相棒と呼ばれるのも悪くないんじゃないだろうかと考えている僕だ。
 違うと否定してしまうことができればよかったのに、否定よりも先に肯定に近い感情が僕の内面を支配する。

はやく抵抗しなければ。はやく否定しなければ。

誰よりも強く、望みをかなえるためにヒーローになることを望んでいた自分自身が、何よりも甘い考えで過去の自分を裏切ろうとする。
 心を許しては駄目だ。
どうせあとからつらくなる。同情と中途半端なやさしさを受け入れることは、相手の自己満足に甘い餌を与えるだけで、僕には傷しか残さない。

だから、これ以上を明け渡しては駄目だ。
 人形を抱きしめたまま息を吸い込むと、どこかでかいだことのあるような懐かしいにおいがした。思い出すのは、一気に賑やかになった僕の周りのこと。

世界を塗り替えるように、強制的に変えられていく周りの環境。そこに何らかの変化を感じ取っている自分がいることも確かだった。

必死にブレーキをかければかけるほど、自分の努力が上滑りしていくのが分かる。

譲れないことがあるんだ。おままごとみたいなやり取りに流されてしまってなるものか。

僕が欲しいのは、あんな生ぬるいごっこ遊びみたいなもんじゃない。

僕が奪われたものを奪い返すことができないというのなら、それに等しいかそれ以上のものを奪い取ってやりたい。
 兎を抱いていた腕に力を入れると、その体は簡単にぐにゃりと変形してしまう。

ただの人形、されどそれが自分に与えられたものだと思うと、全部吐き出してしまいたい気持ちになる。否定しならが流されつつある自分に。

すべてをくだらないと笑ってしまえればよかったのに。なのに、そんな僕を笑ってくれる人間さえこの部屋の中には損座していなかった。
「おまえが悪いわけじゃないことぐらい、分かってるさ」
 腕の中の兎に声をかけてみても、返事があるわけもない。

散々暴力的な扱いをしてしまったせいで、少々ゆがんでしまった兎は、初めて受け取ったときから変わらぬ間抜けな表情でこちらを見ていた。

その気の抜ける顔に、どうしてだかバニーという不快でしかない呼び名を思い出した。










11・05・17