最初のころは、それはもうああいえばこういうし、こういえばああいうし、まったく嬉しくない意味で打てば響く、年下なのに可愛げというものをどこかに置 き忘れてきてしまった相棒に、頭を抱え胃を痛くしていたのだが、それもずいぶんと昔のことのように思える。まあ、いまこのときにたどり着くまでの紆余曲折 は省くとしても、案外うまくやってきた。苦労した思い出だって、過ぎ去ってしまえば美化されてしまうというのが定説だ。というより、いまワイルドタイガー とバーナビー・ブルックスJr.といえば、シュテルンビルトで一、二を争うほどに有名なバディだ。それはもう、二人の絆は感動もので、これこそバディのあ るべき姿であるとちょっと気持ち悪いくらいに過剰装飾されて報道されているくらいにはうまくやっていたと思う。少し的外れなたとえかもしれないが、お互い に無言で隣にいたとしても、不快ではないくらいには仲良くやっていた。これって思いのほかに、ハードルの高いものなのだ。だから、そのハードルを越えられ るくらいには、円満なバディ関係だった。
 うん、そうだ。うまくやっていたはずだ。今日だって、珍しく、そして目出度くも世間様のカレンダーと同 じように土日休みになったので、久しぶりに二人で飲みに行こうかと俺の方から誘って夜の街に繰り出したのだ。もちろん、正体を隠して活動している俺は他と して、公私共にバーナビーとして生活しているバニーを引き連れて飲みになんて出かけたら、それはもうすごい大混乱になりそうなので、わざわざ個室まで予約 したのだ。人気者といってしまえばライトアップされた美しいところばかりに目がいってしまうが、どこへ行っても騒がれて、己を知らぬものがいないのだと考 えると、それだけでため息が出そうになる。なのに、バニーは嫌そうな顔一つ見せずに、これも仕事のうちですからといって、すぐに営業スマイルという仮面を かぶる。その根性には恐れ入る。言い方は悪いかもしれないが、褒めているんだぞ。あいつの変わり身の速さには感服するから。
 いや違う。そんなこ とを言っているんじゃない。これは確実に現実逃避ではないだろうか。ああそうだ、現実逃避だ。だってそうだろう、俺達はうまくやってきたバディだった。二 言目には、嫌なら辞めてくれてもいいんだよといっていたロイズさんが、辞めるなんて滅相もないといってくれるくらいだ、俺達の働きも、アポロンメディアに とってプラスのものとなっているのだろう。
「あの、虎徹さん。聞いてますか?」
 もうずいぶんと耳に慣れたバニーの声が、遠くに聞こえる のはどうしてだろうか。完全個室と銘打っているだけはあって、黒を基調とした室内は完全に外界からシャットアウトされている。もちろんドアの向こうから盛 り上がっているような声は聞こえてくるが、外の酔っ払いどもは、隣の個室がどんな話をしているかなんて気にしていないだろう。室内自体も定員二人の部屋に しては広々としていて、向かい合わせに設置されているソファ席も硬すぎず柔らかすぎず、座りやすいものだった。
今日はゆっくりとしたペースで飲ん でいたつもりなのに、アルコールが耳にまで回ってしまったのだろうか。目の前にある焼酎のお湯割を引き寄せて、乾いた喉を潤した。アルコールの味だけは、 いつもと変わらないもので、じゃあ何がいつもと違うのだろうと、目の前のオリーブグリーンの瞳を見た。酔っているとは思えない。視点は定まっていて、むし ろ返事をしない俺が酔っていると考えているのか、ペース配分考えて飲んでくださいよという呆れたような声が聞こえた。
「酔ってねぇからな」
「あ、喋った。返事がないから目を開けたまま寝ているのかと思いました」
「いや、耳がちょっとおかしくなったみたいで、バニーの言ってることがよくわからなかったから熟考してみたんだけど、やっぱりわからなかった」
「すみません。あなたの言っていることのほうがよくわからないんですが。やっぱり酔ってますよね」
  いやまさか、酔ってるわけがねえだろとバニーに向かって肩をすくめて見せる。だって、ここまで意識がはっきりしている酔っ払いがいたとしたら会ってみたい ものだ。いまなら、元素記号をアルミニウムくらいまでそらんじることができそうな気がする。しかし、俺の主張なんてまともに聞いていないであろうバニー は、酔っ払いを見るような目で俺を映してため息をつくと、綺麗に爪の切りそろえられた指先でワイングラスを引き寄せた。注がれているのはピンクというより も薄いオレンジと表現したほうがよさそうなロゼだ。これが薔薇色だとかピンク色だとか言われているらしいが、初めてそう評したやつは色彩感覚が少しおかし いのではないだろうか。俺にはどうあがいても薔薇色に見えそうもない。
「虎徹さん」
 ワインで唇を湿らせたバニーが、じれったそうに俺の 名前を呼んだ。何かを期待させるようなことを言ったつもりもないし、俺が期待しているつもりもない。だが、バニーのその声色はどこか挑発のようなものが含 まれていた。それは、健全にバディをしている俺達には不釣合いなものでしかない。
「なんだい、バニーちゃん」
 ああ、また来るのかと、バニーに負けないようにもうほとんど残っていない焼酎を傾ける。一番最後の一滴まで飲みきったときに、それを待ち構えたようにバニーが口を開いた。
「僕としませんか?」
  うん、目的語がない。何をするのかわからない。いやまて、わかりたくない。わかりたくないのに、わかってしまうような気がするのは、この問答が二回目だか らだろうか。省略された目的語の割りに、平然としているバニーは、まるで勝負に出る女か何かのように、テーブルの上に投げ出していた手のひらを俺の方へと 伸ばして、男にしては白く綺麗な指先で俺の手のひらをなぞった。わからない、わかりたくない。でも明らかに、この態度から考えるならば、省略された目的語 は、なんていうかかなり俺達には不似合いな艶めいたものになる。
「あ、の、バニー? 飲み物頼んでもいい?」
 最高に格好の悪い逃げ方だと思う。レンズの向こうのオリーブグリーンも冷たい視線を向けてきた。もっとわかりやすく抵抗があらわれるようにと、捕食者か何かのように這わされる指先から逃れるように、そのまま呼び出しボタンを押す。
「何かいる?」
「いえ、僕は結構です。それで、話の続きですけど」
  意を決して撤退戦略を採ったというのに、この兎ちゃんはまだ攻め入ってくるのか。ボタンを連打したい気持ちを抑えて、瞼を閉じて深呼吸をする。これって案 外深刻な問答のような気がするんだけれども、バニーが明日の天気でも聞くみたいに軽く提案してきているのは気のせいではない。そう考えるならば、俺の考え すぎで、もしかしたらこのしませんかというのは、僕と(レジェンドの特番の上映会を)しませんかというものかもしれない。いや、もしかしたら、僕と(新し い必殺技を編み出すためのトレーニングを)しませんかとか。前者にしても後者にしても、ヒーローとして大切なことではあるし、俺としてもそれなら一緒にが んばってみようと思える類の提案だった。だから、希望を捨ててはいけないと、店の照明を受けてきらきらと輝いて見える金糸を視界の端に収めながら、なあ何 をするんだと直球の疑問を投げかけてみた。僅かに声が震えていたのは、たぶん武者震いだ。
「はあ、セッ、」
「ちょっ、まっ、」
口 を開いたバニーを身を乗り出して止めたのと個室のドアがガラリという無遠慮な音をたてて開いたのは同時だった。慌てて行動に移したせいで、はたから見たら 俺がバニーに暴力的な意味で襲い掛かっているように見えるかもしれないと頭の端で考えたが、もうここまできてしまえばどうしようもない。むしろバニーの口 からセッ以下略の部分が音にされることと天秤にかければ、こんなことはたいしたことではない。
「ご注文承りに参りました」
注文を取りにき た店員と、俺の目の前にいたバニーは同じように俺の奇行に目を白黒させている。前かがみになった状態から座りなおして、なんでもないですと店の人に愛想笑 いをすると、向こうも何かこう言葉にできないものを察してくれたのか、何もなかったかのような笑顔で注文を取ってくれた。さっきと同じように焼酎のお湯割 を注文して、店員の背中を見送ると、ずっと口を閉じていたバニーが、それでと弛まぬ心で話題を振ってくる。その諦めの悪さはどこからわいて来るんだ。とい うよりも、この話題はそこまで重要なものなのだろうか。若者の考えることが、中年のおじさんには理解できない。
「セックスしませんかって言ってるんです」
「ごめん、よく聞こえない」
「だから、セックス」
「すみません、意味がよく」
「あなた、一児の父ですよね? 純情ぶらないでください」
  どうにも一方通行な剛速球の言葉のキャッチボールの末に、バニーは物分りの悪い子供かに向けるような冷めた一瞥をくれた。それにかっとなって思わずテーブ ルを叩いて身を乗り出すと、またもや間が悪いとしか思えない店員さんがドアを開いて注文した焼酎のお湯割を持ってきてくれた。こんなときのノックなんても ので勢いを殺しきれるわけもなく意味がない。

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  入ってすぐ、リビングの役割を果たす部屋に、これから五日間守るべき対象であるフレデリック・マーカットさんの姿があった。資料にあった写真と同じく清潔 感と快活そうな活力に溢れた外見の将来有望な政治家が、座り心地のよさそうな黒革張りのソファから腰を上げて俺たちを迎え入れてくれる。
 髪はバ ニーよりも少しだけブラウンの混じった金色で、俺達に向けられた瞳は明るい空色だ。目鼻立ちはくっきりとしていて、写真写りがいいだけではなく、本当に年 齢よりも若々しい。喋り方がはきはきとしていることも彼の爽やかさを演出しているのだろうか。どことなく、スカイハイの癖をなくしてもう少し細身にしたよ うな人物だ。政治家はどことなく腹に一物をかかえているという先入観が入りがちだが、ここまで爽やかだと、その考え自体が申し訳なくなってくる。
「ようこそ。私の我侭で忙しい二人を借り出してしまったようで申し訳ないね。今日から五日間お世話になる、フレデリック・マーカットだ」
「いえ、お招きいただきありがとうございました。はじめまして、バーナビー・ブルックスJr.です」
「はじめまして、ワイルドタイガーです。これから五日間、尽力させていただきます」
  躊躇うことなく差し出された手のひらを取って握手を交わす。俺とは本当に初めましてになるわけだが、バニーと握手をしたときに探るような視線を送っていた ところを見ると、やはり面識があるのかもしれない。俺と握手をしたときははじめましてと声をかけながら、バニーと握手をしたときにはよろしく頼むと口にし たことからも推測できるような気がした。しかし、バニーがはじめましてと言い切ってしまっているところをみると、俺の相棒としては初対面という設定を押し 通したいらしい。
「あと、行動を共にすることも多々あると思うので、紹介しておこう。私の秘書のアヤメ・カヴァンナだ」
フレデリックさん が紹介してくれたのは、彼の後ろに控えていた俺達を迎え入れてくれた女性だった。彼女がよろしくお願いしますと一礼をすると、後でまとめていた黒髪がさら りと揺れた。シルバーのフレームにはめ込まれたレンズの向こう側の、二重瞼のまんまるな瞳は墨汁をたらしたような黒で、小柄な体格と目や髪の色、そして名 前から日系であることがわかった。俺達も彼女に倣って頭を下げる。バニーまで俺に合わせて頭を下げるとは少しだけ驚いた。
「菖蒲かあの花でいいのかな。綺麗な名前ですね」
「ええ、そうです。綺麗だなんて、ありがとうございます」
 笑うと秘書に相応しいキャリアウーマンのイメージが崩れて、幼さが見え隠れする。眼鏡で童顔をカバーしているのだろうか。ヴィヴィットカラーの紫よりも、淑やかなたたずまいをしている白菖蒲のような女性だ。
「セクハラですよ」
  小さく落とされたバニーの言葉にびくりと肩が揺れる。俺に向けられているのは、テレビカメラの前に立っているときと同じ営業スマイルなんだが、がん見して くる緑色がちょっと怖い。冗談めかしているようで、全然冗談になっていない。もしかして、嫉妬とやらをされているのだろうかと考えて、いやいやまさかと打 ち消す。というより打ち消したい。
「私は気にしていませんので大丈夫ですよ」
「いや、こちらこそすみません」
 笑みを深くして、 バニーの台詞を否定するようにフォローに回ってくれたアヤメさんの心遣いは嬉しいのだが、俺を見るバニーの目が更に冷たくなったような気がする。俺として は同郷の士を発見したようなちょっとした喜びを表現したつもりだったのだが、ここでそんなことを長々と説明しても、バニーのよくわからないところでスイッ チが入るハンティングモードに油を注ぐだけだろう。
「挨拶も済んだことだし、これからの話に移ってもいいだろうか。説明といってもたいしたものじゃないんだが」
「はい、お願いします」
 バニーの肯定の言葉に頷いたフレデリックさんは、それではと俺達にさっきまで座っていた革張りのソファを勧め自らも腰掛ける。
「とりあえず、君たちには五日間私のSPとして働いてもらうつもりだ。訪問先にも一緒についてきてもらうし、パーディーがある場合は一緒に参加してもらう」
 説明とはいっても、フレデリックさんの口から出るのは、資料にあったものとほとんど同じだった。連れ歩くというところや、完全に別動隊として働くところ、そしてこの待遇を考えると、バニーがいうところの客寄せパンダというのも間違いではない。
「では、今日のジャスティスタワー訪問も?」
「そのつもりだ。タイガーくんも大丈夫か?」
「そのつもりで来ていますから、任せてください。もしも何かあったとしても必ず守ってみせます」
  フレデリックさんに向かって大きく頷くと、ありがとう心強いよと満面の笑みを浮かべてくれる。どんな我侭息子が来るのかと思っていたが、これならば話の通 じそうな相手だし、へんに頭を悩ませなくて済みそうだ。不快感よりも安堵が強い俺とは違い相棒の方はそうではないらしい。いつも以上にビジネスライクな態 度を貫いてリップサービスの一つもない。見ているこっちのほうが、失礼なことをしでかさないかと冷や冷やしてしまう。これじゃあ、いつもと立場が逆じゃな いか。その見えないと棘の存在を感知しているらしいフレデリックさんも、分かりやすい苦笑いを浮かべている。それがまた気に入らないのか、バニーは眉をし かめた。初対面にしては不遜すぎる態度だ。
「つれないね。バーニーは」
 フレデリックさんが誰のことを言っているのかわからなくて動きが 止まってしまう。え、バーニーってあれ、俺じゃない、よな。じゃあと思い、唯一愛称がバーニーになりえるバーナビー・ブルックJr.に視線を送ると、なん だか口舌しがたいっていうか、これはやばいっていうか、よくない前兆だと言い切れる無表情を浮かべてフレデリックさんを見つめていた。

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「そんなに僕のことが気になるんですか?」
 疑問だ、とでも言いたげに首を傾げる。蜂蜜色の髪が、さらりと揺れて室内灯の光を受ける角度が変わった。俺がバニーに興味を持っていることを言外にしているようだ。
「あなたはずるいなぁ」
  言われている意味が良く分からなくて、まるで鏡あわせか何かのように、俺が首を傾げる番だった。ずるい。それはあまり俺には当てはまらない言葉のように思 う。言われて嬉しいものでもなかった。俺は何かバニーの機嫌を損ねるようなことをしてしまったのだろうかと考えてみるが、思い当たる節はない。ずるいって と、バニーに問おうとしたときに、グラスを握っていたバニーの指先が、俺に伸ばされた。少し長めの爪はきれいに切りそろえられている。一ヶ月に二回美容院 に行くそうだから、ネイルサロンに行っていてもおかしくない。俺と同じようにヒーローとしてシュテルンビルトを守り、そして俺とセックスしたいなんて言い 出した男の指先は、逡巡もなく俺の目元に伸ばされた。
「おい、バニー」
 咄嗟に身を引いたが、それよりも早くバニーの指先が俺に触れる。そしてすぐに顔を隠すためにつけっぱなしにしていたアイパッチを引き剥がした。
「何されると思ったんですか?」
  俺にとって見慣れたアイパッチを手にしたバニーが、悪戯っ子のように口元を歪めて笑った。慌てて距離をとった自分が馬鹿のようだ。そして、この言われよう では、まるで俺ばかりがバニーを気にかけているようではないか。いや、相棒にあんなことを言われれば誰だって気になって仕方なくなるし、急に手を伸ばされ れば、驚くのが人間というものじゃないか。自己弁護といわれようともそれは仕方ないだろうと思えた。だが、なぜ自分がここまで饒舌に己のことを弁護しなけ ればいけないのかという疑問には、それ相応の解答を与えることが出来ない。
「別に、何も期待してねぇよ。それこそ誤解だろ」
「でも、誤解されるようなことをしているのはあなたでしょう? そういうところがずるいんです」
  バニーの手によって折りたたまれたアイパッチは、ネクタイと重ねてテーブルの端に置かれる。言葉尻だけを取ればまるで責められているようだが、すました顔 でワインを飲んでいるバニーの表情に俺を責めるような不機嫌そうな色はない。まるでもうわかっていますからとでも言いたげな余裕さえかもし出していた。
「ずるいって、初めて言われたぜ」
「僕が初体験ですか? 嬉しいですね」
「気持ち悪い、言い方するな」
 相棒のちょっと勘違いされそうな言葉選びに顔をしかめると、その分だけバニーは嬉しそうに頬を緩める。性格が歪んでいるのかと疑いたくなる。
「だって、あなたは僕があなたと寝たがっているのを知っていて、僕は手札の全てをあかしたのに、あなたは決定打を下さない。そういうところが、ずるいんです」
  それをいいとか悪いとか言うわけではありませんけどね。バニーは呟くように言った。それがどこか寂しげに思えたのはどうしてなのだろうか。だが、いますぐ はいそうですかと言って距離を取れるような間柄なら、バニーは俺にあんなことを言わなかっただろうし、俺だってバニーが言うところのずるい態度なんてもの を取らなかったんだろう。完全に自己を正当化しているつもりはあった。だからこそ、バニーの言葉に言い返すことが出来ない。
「お風呂、いただいてもいいですか?」
「あ、ああ」
 声がかすれる。立ち上がったバニーにあからさまにほっとしてしまった自分を責めたい。これではまるで、俺がバニーから逃げ回っているようじゃないか。
「じゃあ、お先に」
  言葉のままに自分の荷物をあさって風呂場へと向かっていったバニーは、俺を振り返ることもなかった。バスルームへとつながる扉の奥にバニーの背中が消えた とき、一気に体から力が抜ける。あいつが一度風呂に入ると、結構の間出てこないことは分かっているので、詰めていた息を一気に吐き出した。
「ずるい、か」
 乾いた喉を潤すためにワインを流し込むが、渋みばかりが舌の上を転がっていく。ずるいという言葉を引きずって嚥下されていくそれは、まるで蟠りか淀のように臓腑の奥へと流れ落ちていく。
「俺じゃないと駄目だって、すごい告白だよな」
  ドア一つ隔てた先にいるバニーが俺に言った言葉だ。明言はしていないが、言い換えるならば俺のことが好きだと考えても、自意識過剰といわれることはないだ ろう。あいつは、俺じゃなければならないと言ったんだ。それに俺はなんと返したんだろうか。たしかに、そんなすぐに答えを出せる問題ではなかった、もちろ んイエスと返すことは今の俺には出来そうもなかった。だけれども、バニーをノーと突き放してしまったときに、俺たちはどうなってしまうんだ。口ではバディ だなんだといっているがつまり俺は、あいつを拒絶するのか。だからといって、受け入れられないままに、ただただ冗談みたいにバニーのことを交わしていくこ とだって不義理以外の何物でもない。
「たしかに、ずるいか」
 返事はない。期待はしていない。責めはしないといったバニーはどんな気分 だったのだろうか。復讐以外のものなんてどうだっていいと思っていたはずのあいつが、俺じゃないと駄目だといって、人とのつながりを求めるようになった。 これってすごい進歩じゃないだろうか。なんで、俺なんだろうか。こんなおっさんじゃなくても、もっと素敵な人間はあいつの周りにたくさんいるだろう。で も、俺でよかった、なんて心のどこかで思っている自分がいるのだとしたら、それは本当にずるいのかもしれない。バニーに責められたってしかたない。
 そんな自分がいることを、俺は、否定できない。