過ごしやすかった秋は、いつの間にか冬の足音を引き連れて季節のバトンタッチをしていってしまった。
吹き抜ける冬の風に寒さを感じるところなんだろうが、アルコールが入って火照った体には、ちょうどいい心地よさだった。
だが、俺の肩に体を預けている相棒には少々寒すぎたらしく、一陣の風が吹きぬけたあとにぶるりと体を震わせた。
たしかに、そろそろコートが必要な時期ではある。去年の自分はいったいどこにしまいこんだのだろうかと、現実逃避のように考えた。

「おーい、バニー。生きてるかあー」
 いつものバニーならば、俺にもたれかかってくるなんてことは死んでもしないはずだ。なのに、いまは完全に体を預けきって、頼りない足取りで歩いている。
通行人たちはただの酔っ払いだと判断してくれているようで、冷めた目でこちらを一瞥すると絡まれる前にと足早で去っていってしまう。
常識的に考えるなら最良の判断だ。そして、俺にとってもさいわいだった。

期待のルーキーだとか、付き合いたいヒーローナンバーワンだとか言われてちやほやされているバーナビー・ブルックスJr.が、
ブロンズステージの寂れた飲み屋街で泥酔のうえ千鳥足でダストボックスに突っ込みそうになっていたなんてことが知れれば、
ロイズさんもアニエスもいままでのイメージが台無しじゃないかと、飲みに連れ出した俺を烈火のごとく責めるのだろう。
そういった最悪の事態を避けられるのなら、肩を貸すことくらいなんていうことはなかった。

 いくらまっても返事はないので、もう一度呼びかけてみる。
今度は俯きかげんの顔を覗き込んでみたが、翡翠色の瞳が瞬いたかと思うとひどく緩慢な動作で俺を映しただけだった。

「酔ってるなあ」
「酔って、ないです」
 焦点のあっていなかった瞳が、僅かの沈黙の後に俺に視点を定めた。どこか潤んだ緑色は、十分に酔っ払いのそれだ。
しかも、呂律の回らない酔っていないですという主張は、典型的な古きよき酔っ払いのあるべき姿ではないか。

「いーや、酔ってるね。ふらふらしてるぞ」
 バニーは俺の言葉に意地になったように体を起き上がらせて、いままで体重のほとんどを預けていた俺のから腕を離した。
本人としては俺の酔っているという言葉に対して、酔っていないことを証明するつもりなんだろうけれど、一人で歩き出した瞬間にまっすぐどころか斜め四十五度くらいの角度で蛇行しているのだから笑えてくる。自覚のない酔っ払いほど手に負えないものはない。

「しょうがねぇなあ」
 頼りない足取りであらぬ進路をとるバニーの腕を掴んで無理矢理引き寄せると、僕は大丈夫ですという非難の声が聞こえた。
どこから沸いてくるのかもわからない自信に満ちた大丈夫ですを信じて手を放せば、壁に激突するだけだろう。

これ以上悲惨な醜態を晒さなくてもいいようにと、バニーの腕を俺の肩に回させて、力の入っていない体を支えるために無駄に細い腰を支える。
いちおうの抵抗のように、放して下さいと弱々しい声が聞こえたが、このまま連れ帰るのがバニーのためだろう。
酔っ払いの面倒を見るなんてこっちから願い下げだと思うことも多いのに、このどうしようもない状態がなんだか楽しくなってきているのだから、
俺のほうも十分に酔いが回っている。

もともと、飲みにいかないかと誘ったのは俺だった。最初バニーは乗り気じゃなくて、杯の進みも舐めるようにと表現したほうがいいくらいだった。
それが、何がきっかけだったのかはわからないけれど、急にスイッチが切り替わったかのようにハイペースでアルコールを摂取し出したのだ。

いや、何がきっかけなのかはわかっていた。なぜならたぶん俺も、バニーがかかえていることと同じ部分に消化不良や煮え切らない想い、そして自らの不甲斐なさを感じて、バディを飲みに誘ったからだ。
どちらが話題に出したのかはよく覚えていない。だけれども、お互いに思う部分があったから、どちらともなく話題に挙げたのだろう。
言葉少なげに、探りを入れるように。

よくある話だといわれればそれまでだ。
前々回、街で窃盗犯が暴れたときに、全員のヒーローが出払って確保にあたった。
もともと、何度も追っていた常習犯だったので、全員が全員今回こそは捕まえてやると躍起になっていたのだ。
そのかいあってか犯人は無事確保。特別な被害もなく、盗まれた現金や貴金属は無傷に返ってきた。しかし、その次が問題だった。
連続して事件が起こったのだ。ビルの火災事故だった。アニエスからのコールが入り、そのまま事故現場まで駆けつけた。

先に到着していた消防から詳しい現状を聞いて連携をとるように、というのがヒーローに与えられた指令だった
。もちろん、俺もバニーも能力を使うことはできなかったが、できる限りの救助活動を行った。
しかし、遠く離れた現場から急行したことで初動救助が遅れたこと、特に俺たちは能力を使えなかったことで救助が難航した。
自分の精一杯の力で救助にあたった。それは、嘘偽りない信実だし、自信をもって頷くことができた。
バニーも、ポイントを取ること自分を売り出すことを最重要視している素振りを見せるのに、そんなことは二の次三の次にして、
目の前で助けを求める人に必死になって手を伸ばしていた。
だが、俺達がいくらがんばりました死力を尽くしましたといったとしても、結果論として助けられない人がいたのなら、残るのはその現実のみなのだ。

あと少し、もう少し早く現場に向かえていて、能力が使えたのなら、犠牲者として名を連ねることになった人たちを助けることができたのかもしれないと思うと、
俺も、そして他のヒーロー達ももどかしく悔しい気持ちでいっぱいだった。
世間では火災事故のなかから多くの人を助け出したヒーローとして俺達のことを持ち上げてくれているようだったが、
世論でどういわれようとも自分たち自身の無力感ややりきれなさというものが昇華されるわけではなかった。
ヒーローになってもう両手の指くらいの年月がたっている俺やアントニオならもっと違う受け止め方をすることもできるのかもしれないが、
バニーは口にはしていなかったが、ひどく悩んでいるようだった。まだヒーローになって日が浅いバニーは、
口ではポイント重視だとかヒーローとしてのスタンスが俺とは違うといいながらも、他のヒーローとたちとなんら変わらない、
純粋に困っている人を助けたいだとかいう、正義感と表現してしまえばくすぐったい気持ちを隠し持っていることを知っていた。
だからよけいに、こういったいうなればヒーローの影の部分の存在を、上手く自分の中で噛み砕いて嚥下することができていないようだった。

俺だって、バニーと同じように、すべて納得して仕方ないと割り切ることなんてできなかった。
だからまるで、自分を慰めるみたいに、そして誤魔化すみたいに、こうやってバニーを誘って飲みに繰り出していたのだ。
バニーにとってもせめての気晴らしになればいいと思いながら。

「なあバニー」
「なん、ですか」
 足取りは頼りないものなのに、案外しっかりとした口調だった。
俺に全体重を預けたまま地面を睨みつけているのでどんな表情をしているのかはわからないが、さっきまでの呂律の回っていない状況とは違う。

「仕方ない仕方ないっていうけど、仕方ないほど便利でいやな言葉はねえな」
「仕方ないって言う言葉で切り捨てられてしまった人たちには、本当にそうなんでしょうね」
 どんな顔をしているんだろうかと思った。自分もぶつかったことのある壁だからなおさらに。
自らの力で、自分なりの方法で、乗り越えることしかできないとはわかっているけれども、それでも不器用にしか自分の気持ちを表現することができない青年は、
一人で立ち往生してしまってはいないだろうかと、心配になってしまう。

 ぐらりとバニーの体が揺れたので、地面にダイビングすることのないようにと腰にまわしていた手に力をこめる。
ぐっと抱き寄せると、俺よりもほんの少しだけ高いところにあるバニーの頭がこてんと俺の肩にもたれかかってきた。


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どうしてこんなことになってしまったのか。
たしかに朝から様子がおかしいとは思っていた。特に、バニーの隣に並んだあたりから。
いや、これはこれで誤解を与える表現になってしまうのだろうか。正しく言うのなら、バニーがおかしかったとかいうわけではない。
朝一番から、もう少し早くこられないんですか始業五分前ですよという、お局様か何かのような嫌味をくれたバニーは、嫌になるくらい通常運転だった。
じゃあなにがおかしかったのか、それはもちろん周りの環境と視線だ。

最初に気がついたのは、俺達のまん前のデスクに座っている妙齢の女性の探るような視線。
普段なら、バニーと同じような嫌味にプラスして賠償金のことをネタにねちっこく責めてきたりするのに、それさえなしでチラチラと俺達のことを見てくるのだ。
俺だけではなくて、バニーと俺のことを、だ。俺が目の敵にされることなら何度だってあったけれど、
バニーがこうして探るような目を向けられるのは初めてのことだった。
俺だけではなくて、バニーもそのことに関して違和を感じているのか、何かとお姉さまのほうを気にしていた。

その後トイレに行くにしても飲み物を買いに行くにしても、ちょっと自主休憩のために部署を脱出するにしても、いつも以上に視線を感じていた。
どこかおかしいところがあるのだろうかと、出社してからゆうに五回以上は鏡を確認したのに、ネクタイが曲がっているわけでも、ボタンがずれているわけでも、
ましてやズボンのチャックが開いているわけでもなかった。そうこうしているうちに、俺たちの上司であるロイズさんからの呼び出しがかかったのだった。
至急執務室までこいという命令に、自分の賠償金の総額がどこまでいったのかを軽く概算してしまった。
バニーも同じことを考えていたのか、次はいったい何を壊したんですかと失礼な質問をよこしてくれた。

だが、俺の予想もバニーの嫌味も、まったくもって見当違いというか、いや俺の目の前に突きつけられているものの方が見当違いというか。
とりあえず、世界は間違っている。俺ではなくて、世界のほうが。確実に間違っている。隣にいるバニーもこれには同意してくれるはずだ。

おかしい。
どう考えてもおかしい。おかしいところしか見当たらない。
なのに、それが真実であるかのようにまかり通っているわけだ。当事者の俺達が置いていかれているというのは、どういうことなのだろうか。
いや、だからといって、この波に乗りたいわけではなかった。
とりあえず、本当にとりあえず、どうしてこうなってしまったのか、誰か納得できる説明をしてくれないか。
しかし、どれだけ説明を求めたところで、俺が納得できるような答えをくれる人間は存在してはいなかった。そ
の代わりに、俺達の目の前で頭をかかえていたロイズさんが、死刑宣告をくだす裁判官か何かのように口を開いた。

「君達の性的嗜好をとやかく言うつもりはない」
 ロイズさんの重々しい言葉が人払いされた執務室内に響く。
そのあまりの内容に、新手のギャグか何かなんだろうかと真面目に検討してしまったのだが、突っ込めるような雰囲気ではなかった。
それくらいにずしりとのしかかるような緊迫した空気だった。

だいたいが、俺の性的嗜好っていったいなんだ。
巨乳好きか? 女教師好きか? それとも、ナース好きのことか? 
三十年以上生きてきたが、人並みはずれた変態的な趣味を持っているつもりはない。人にも嫁にも危険趣向だという烙印を押されたことはない。
いたって健全なる性的趣向が、ロイズさんにひいてはアポロンメディアに迷惑をかけたというのだろうか。
ロイズさんが視線を逸らした隙にバニーを盗み見たが、完全なる無表情で一点を睨みつけている。俺達の上司の手の中にある、一冊の雑誌を。

「もしも、もしもだが」
 低く落ち着いた声だった。黒い瞳は、彼の困惑を示すように、視線をさ迷わせてから、意を決したように俺達のことを見た。
「真剣な付き合いをしているのならそれ以上はなにも言わない」
「意味がよくわからないのですが」
 バニーの疑問に乗っかるように、俺も首をかしげてどういうことですかと問う。
あまりに突飛というか、発想力豊か過ぎるロイズさんの言葉に、儀礼的に外していた帽子が手から滑り落ちそうになった。
なんとか落下を食い止めると、更なる追撃が放たれた。

「君たち二人が恋愛関係を持っているなら、」
「ありえねぇ、ませんよ!」
「ありえません」
 頭で考えるよりもはやく、呼吸をするように当然に、ロイズさんの言葉をすべて聞き終わる前に否定していた。
バニーも俺と同じように、延髄反射でノーという言葉を吐き出した。

「ありえないといわれてもだね、現にすっぱ抜かれてるわけなんだよ」
 見てみろといわんばかりに俺達のほうに向けられた一冊の雑誌。
視線で物を燃やせるのなら、バニーの射抜くような瞳によっていまごろ灰になっているところだろう。

カラーの写真に添えられるように走る見出しは「ヒーロー熱愛・真夜中の禁断愛」とのことだ。
日夜市民を守るバーナビー・ブルックスJr.の夜の顔とか、二百回くらい考えてみても、趣味がいい言葉選びとはいえない。
使い古されているうえに、即物的すぎる。そして、ご丁寧にも載せられているカラー写真も、写りがいいものではない。
真っ暗な路地で、バニーらしき人物が、同じくらいの背丈の人物に肩と腰を抱かれている。もう一枚は少し場所が変わって、狭い路地裏のようだった。
肩を抱かれるどころか、相手に抱きついているバニーの写真だ。もちろんバニーに焦点があてられているので相手の顔はわからない。

だが、この場所はどうしてだか見覚えがあった。そして、このシチュエーションにも。
まさかと思ってバニーに視線を送ると、同じ思考経路をへて、まったく同一の結論をはたき出したらしい翡翠色の瞳が俺を見ていた。
とても冷めた色をした緑色に、無表情の美形ほど怖いものはないと思う。

「アイコンタクトはいい。事実関係はどうあれ、困るんだよこういうことは。発売前のものならまだしも、少部数とはいえもう世の中に出回ってしまったんだ」
「ちょっとまってくれ、いやまってください! そ、その雑誌がですか!?」
「まさか、そんなデタラメ! ありえません!」
「まさかもデタラメもない! そういいたいのは、私だって同じだよ。だがね、信じられないならブックストアーに行ってみるといい。
同じ見出しを前面に押し出した雑誌が片隅に積み上げられているはずだ」

 怒りをぶつけるようにテーブルに叩きつけられた雑誌は、景気のいい衝突音をたてて力尽きてしまった。
だが、この情報は雑誌本体なんかよりも強い影響力を持って街中を駆け巡っていくのだろう。